久間ヘラヘラ大臣を辞任に追い込んだ参議院選挙

2007-07-04 18:29:09 | Weblog

 久間辞任劇をNHKニュースとTBSニュースから拾ってみた。

 記者に野党から罷免要求が出ていることを問われて、「いやいや、それは、そんなことはいいよ。そんなことはよくあることだから」と、罷免要求は野党の常套手段、そんなことに一々構ってはいられないと軽くいなそうとしていた久間ヘラヘラ防衛大臣、野党・世論の批判・反発は勿論だが、与党内からも批判を受けて辞任に追い込まれた。だが、辞任を仕向けた第一番の主役は何と言っても間近に控えた参議院選挙なのは誰の目にも明らかである。

 このことを裏返すなら、参議院選挙がすぐ背後に控えていなかったなら、「誤解を受けた」で片付けて、大臣職に居座ったに違いない。安倍首相が言うように「アメリカの考え方を説明したに過ぎない」、単に誤解を受けたに過ぎないと。

 防衛省での午後4時半頃(07.7.3)からの記者会見。

 久間ヘラヘラ「私の不用意な発言だったんじゃないかなー、と、ああいうふうに反省もしているところです。原爆・被爆についての、非常に私の態度が、まあ、軽んじたように、そういうふうに取られた節もございます。そういう点ではそういう人たちの心情を思うときに、大変申し訳なかったかなあと、いう、そういうふうな思いはいたしました。今度の選挙で、私が足を引っ張るようなことがあっては大変申し訳ないというか、そういう気持ちになりまして、マイナスにならないようにと、いうことで、既にマイナスになったかもしれませんけど、私自身が身を引く決意をしたところでございます」

 そう、ちょっとまあ「不用意な発言」だった。「そういうふうに取られた節もございます」――そういった感じで受け止められてしまった向きもある。単なる行き違いです。

 「大変申し訳なかったかなあと、いう、そういうふうな思いはいたしました」――確かに申し訳なかったかもしれないが、自分の発言があのような「誤解」を生んだなどと、まだ半信半疑なんです。

 「今度の選挙で、私が足を引っ張るようなことがあっては大変申し訳ないというか、そういう気持ちになりまして・・・・・」

 一番大切なことは参議院選挙です。与党が議席を減らすことです。与野党逆転へと足を引っ張ることになってから、防衛大臣にしてくれた安倍首相に「大変申し訳なかったかなあと、いう、そういうふうな思い」をしたとしても遅いですから、参院選挙大事ということで「身を引く決意をしたところでございます」

 安倍首相にしても久間ヘラヘラにしても、時期が悪かった。参院選が控えていなかったなら、しぶとくやり過ごせば、そのうち騒ぎは収まる。身近な例として柳沢「女性は産む機械」発言がそのことを教えてくれている。柳沢「女性は産む機械」にしても、選挙を控えていたなら、うまく居座ることはできたかどうか。ちょっとしたことで人の運・不運は違いが生じる。巡り合わせが悪かったとしか言いようがない。

 今回参議院選挙への影響を考えて辞任してもらうことになったが、国民が「しょうがないかな」発言をすっかり忘れたなら、機会があったら他の大臣でまたご活躍願うことにします。選挙のためです。それまで我慢してください。

 安倍首相、首相官邸での午後4時40分頃の記者会見。「辞任すると、まあ、いうことにとっては、いうことはですね、まあ政治家として、一番重い責任の取り方であります。私は、その、久間大臣のお意志を(〝御意志〟だろう!!)尊重いたしました。当然任命責任は私にあります。こういう結果になったことは大変残念でありますが、その上に於いてですね、私は、まあ、改革を進めていくという、大切な使命があります。この使命を果たしていかなければならない、決意を新たにしています」

 「まあ」という言葉を多用しているが、この「まあ」は積極的な意志を示す言葉ではない。〝取り敢えず〟とか、〝一応〟といった意思の表れとしてある言葉だからだ。「まあ、行ってみよう」は積極的な意志行為ではなく、中間的意志を示す行為であろう。当然、「まあ」からは強いメッセージは伝わりようがない。

 辞任は「政治家として、一番重い責任の取り方であります」と言いつつ、それが「まあ」と形容詞をつけることで、〝取り敢えず〟は、あるいは〝一応〟は「一番重い責任の取り方」ということとなって、「一番重い」が絶対的にそうであることから離れている。発言そのものに対して直接的に責任を取る辞任ではなく、選挙対策からの間接的辞任だから、「まあ政治家として、一番重い責任の取り方」という言葉の使用となったのだろう。

 また、「当然任命責任は私にあります」と潔い責任意識を見せているが、「私は、まあ、改革を進めていくという、大切な使命があ」るからと、「任命責任」よりも「使命」を優先させて、「任命責任」を反故にする自己都合を見せている。

 それが自己都合なのは、「まあ、改革を進めていくという」の「まあ」が何よりの証明となる。「任命責任」を逃れる口実に改革推進の「使命」を持ち出したに過ぎないから、是が非でもの行為とすることができず、取り敢えずの行為、一応の行為に位置づけてしまい、「まあ」が口をついてしまったのだろう。

 もう一つの証拠として、小池百合子女史を後任に当てた理由について昨日同じ官邸で述べた言葉を挙げることができる。口実や誤魔化しを働かせないで済む場面では「まあ」は一言も使っていない。

 安倍「小池さんは、私の内閣に於きましてずっと、安全保障担当の補佐官を務めてもらってきました。海外の国務大臣、外務大臣、あるいは防衛担当の大臣ともですね、面識ができています。ま、そうした経験を生かして、仕事をしてもらえると、そう私は確信をしています」

 軽く「ま」を一度使っているが、「経験を生か」すことに関しては本人の才覚がものを言うから、生かせるかどうかは確実とは言えず、その条件性から、「ま」が出てきたのではないか。

 安倍美しい首相は最初は辞任する必要はないとの態度を示していた。だとしたら、久間ヘラヘラが参院選を理由に自ら辞任すると申し出ても、安倍首相は辞任する必要なしとした任命に関わる自らの最初の判断を守って、辞任の必要ないと慰留すべきだが、舌の根も乾かないうちにコロッと態度を変えて辞任を簡単に受け入れる相変わらず無節操なことをやらかしている。

 安倍首相「に於きましては」、それ程にも任命判断は軽いものなのかと、そう国民は確信するしかないようだ。

 楽屋裏を説明するまでもなく、参院選に不利になるとの状況が生じて、辞任する必要なしとした任命責任者としての自らの判断などに構ってはいられなくなった。かといって、辞任必要なしとした手前、罷免するわけにもいかない、本人からの辞任というシナリオを作成することにして騒ぎを鎮めようとした。そういった経緯を裏に抱えていたからこそ、任命責任を逃れるために体裁上「改革を進めていくという、大切な使命」を持ち出さざるを得ず、「使命」が「まあ」(取り敢えず)の「使命」となったのだろう。

 中川暴力団幹部タイプ幹事長「核のない世界、核軍拡反対、核廃絶という信念はあの人は強く持っていた人ですから、今回のことで誤解を招いた、と。それにけじめをつけると、懸命な勇気あるご英断だと思いますね」

 国民の多くは参院選が与党に不利になることを防ぐために「けじめをつけると、懸命な勇気あるご英断」の辞任だと分かっているというのに、何ともシラジラシい取り繕いか。

 中川昭一・安倍同類国家主義政調会長「選挙にとって我が党、安倍リーダーが一生懸命やっていることに対してですね、決してプラスではなかったというふうにね、思っております」

 そう、すべての道は「まあ」ではなく、まさしく参議院選挙に通じているのでございます。

 中川昭一が核問題について一言も触れていないのは、昨年10月の静岡県沼津の講演で「北朝鮮が核ミサイルを撃ってきたらどうするのか。米国さん助けて、と言うのか。その前に飛んでくる。核議論は今こそすべきだ」と主張し、別の機会に次のように補足している。「憲法の政府解釈では、必要最小限の軍備の中には核も入るとしている。その片方で非核三原則がある。現実の政策としては核は持たないということになるが、憲法上は持つことができると政府は言っている」と核保有衝動をおおぴらに見せたこととの整合性を図る必要から、核廃絶とか下手なことは言えないということなのだろう。昭一国家主義者は昨年こうも言っている。「あの国の指導者はごちそうを食べ過ぎて糖尿病ですから(核ミサイル発射を)考えてしまうかもしれない」。そして後で「関係者に迷惑をかけたので、おわびしなければならない」と陳謝している。

 丹羽総務会長「国民のみなさん方のですね、心情を思うと、あまりにも重い発言だったと。久間大臣も色々お考えになって、ええ、そういった、あー、声に、率直に従ったんではないかと思います」

 「重い発言」ではなく「軽い発言」としなければならないはずだが、これも重大には受け止めていないことの意思表示でもあるのだろう。世論の批判に「率直に従った」のではないことは久間ヘラヘラが自らの発言自体を否定していないことからも分かることで、本人が言っているように、参院選で「足を引っ張ること」があってはならないを理由とした辞任に過ぎない。それを「声に、率直に従った」は身内庇いからの美化に過ぎない。このことも久間ヘラヘラ「発言」を深刻には受け止めていない証拠となるだけではなく、別の映像ではホンネを曝け出している。

 丹羽「この問題をすっきり、ケリをつけて、エー、参院選挙に臨まなければならない」

 このホンネが久間ヘラヘラに対する丹羽総務会長の最初の言及が単なる体裁に過ぎないことを物語っている。

 片山虎之助参院幹事長「現職の大臣としてはね、やはり軽率だったと思います。直ちに選挙戦が大きく変わるとは思わないけれども、しかしいい影響ではないわね。うん、それだけは言えると思う」

 桝添要一自民党参議員「本当に反省して辞任したって言うよりも、追い込まれて辞任したっていう感じがする。事実上の内閣改造ですよ、これは」

 追い込んだのは国民や与野党の批判であるよりも、参議院選間近という事情に過ぎない。別の映像での桝添要一の発言がそれを証明している。

 桝添「この選挙期間中、土下座行脚していただきたい。それくらいの気持、我々が正面で戦っている人間にとっては、後ろから弾を撃たれるようなものであります」

 「土下座行脚」したって、あのヘラヘラ顔では「土下座行脚」にはなるまいに。「土下座行脚」イコール安倍退陣ということになりかねない。安倍退陣を誘うために是非ともあのヘラヘラ顔で土下座行脚してもらいたいものだ。

 鳩山民主党幹事長「選挙というものを直前に控えて、これはまずいと、みなさんに言われて、撤回を事実上して、そしてそれでは済まないということで、特に与党などから批判を受けて辞任をされると。問題閣僚を多数抱えてしまっている安倍内閣の任命責任というものは極めて重く残ると――」

 小沢民主党代表「総理自身が同じような考え方や同じような体質を持っているちゅうことですから、その意味に於いて、こういった政権を是とするのか、非とするのか、それは主権者が一票一票によって選挙で判断するということではないですか」

 最後に公認に決まった直後の小池百合子女史「あの、国防ってのは、国にとって重要な、アー課題でございますし、一刻の猶予もございませんので、しっかり、あの、これから尽くしてまいりたいと、私は思っております。あたかも、オー、原爆っていうこと容認するような、ふうに受け取られてしまったということ、あの、ご本人が一番残念に思っていられると思います」

 「国防ってのは、国にとって重要な、アー課題でございますし」――重要だからこそ国の役所を一つ宛がっているのであって、これでは単に当たり前のことを当たり前に言っているに過ぎない。日本の防衛はどうあるべきか、どうすべきかについてどのような考えを持っているのか、何一つ窺うことができない。言語不明・意味不明の二重の不明の致すところではないか。文字に直したまま誰が言ったか伏せたなら、自民党の他の男性議員と区別がつかなくなるような何ら変わらない物言いとなっている。久間ヘラヘラ発言を「誤解」レベルで把えているところも他の議員とまったく変わらない。隠れ核容認派の一人ではないかと疑って、インターネットで調べたところ、「しんぶん赤旗」インターネット記事(2006年10月21日(土)≪安倍政権の閣僚ら 「核武装検討」 8人連なる≫)に次のように出ていた。

 <二〇〇三年十一月の衆院選で、毎日新聞が候補者に「日本の核武装構想について」の見解を聞くアンケートを実施しています。回答は、(1)将来にわたって検討すべきではない(2)国際情勢によっては検討すべきだ(3)すぐに検討を始めるべきだ――の三択でした(同年十一月十一日付)。
 このときの選挙で当選した候補者のうち、「国際情勢によっては検討すべきだ」と回答したのは、安倍・現首相をはじめ、現閣僚では麻生外相、長勢甚遠法相、山本有二金融担当相の三人。副大臣では、岩屋毅外務副大臣、山本拓農水副大臣、池坊保子文科副大臣(公明)、首相補佐官では小池百合子氏(国家安全保障問題担当)が、同じ回答をしています。
 自民党の役員(四役)では、安倍総裁のほか、十五日のテレビで核武装の議論を容認する発言をして批判を浴びた中川政調会長も「核武装検討」の立場で回答していました。>

 隠れ核容認派でも何でもなかった。姿は女であっても、中身は女久間章生といったところか。

 上記調査で安倍晋三も日本の核武装を「国際情勢によっては検討すべきだ」としていたなら、久間発言擁護の一環として述べた「唯一の被爆国である日本の、日本の使命はまさに究極の目的である核の廃絶においてリーダーシップを発揮していかなければならない防衛大臣としての核の廃絶について、これから大いに力を発揮していただかなければならない、と思うわけでありますが、国民のみなさまに誤解を与えるような発言については、まことに慎んでいただかなければならない」はますます二枚舌となる。

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