花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

人間ドックはうけていますか?

2018-07-12 21:53:55 | Weblog

正直言って、、、受けねば、、、受けねば、、、と

しばしば思うのですが、

70歳を過ぎてからは、、、一回も受けていません。

子育てに責任のある時は、、、人間ドックを受けるのも仕事のうち!と。

健康維持に気合が入っていました。

人生の責任が集中して肩にかかってくる

43歳ぐらいからは

毎年、、、必ず受けていましたね。

息子たちが2人とも「私立大学」

しかも、、、

次男の方は北海道の高校から、東京に進出。

7年間だけ授業料を保証するという保険に入って、

さらに、頻繁に健康診断に病院に行ってましたね。

息子が医学部の高学年に差し掛かるころ、

主人の両親が病気になったり、

北海道と東京を行ったり来たりしながら、

国立がんセンターで

かなり、、、精度の高い人間ドッグを受けました。

CT検査、大腸がん検査、マンモグラフィ

極めつけの斬新な「ペットCT]を検査していただきました。

MRI も検査していただきました。

人生の、責任の重かった45~60歳ごろまでは

人間ドックが、心の支えと、

「よし!大丈夫だ!がんばるぞ~~」

力と自信とやる気と、、、

無理を承知で頑張れました。

 40歳から 50歳は、、働き盛りで、健康を損なうとやがて来る世代交代、、納得の成果がいまいちになるかも?

今でも思い出すのは、、、

たまたま

ニューオータニで、

長男夫婦のイベントで招かれて

会食していた時でした。

内科医の兄が、、、

「しばらく見ないうちに、変な体型になったな?。。。

、、、待てよ!

腕も、上半身も前に会ったときと変わっていないのに

腹部だけ大きい、、、それも、、、不自然だ!」

いきなり、

「たった今から、がんセンターに電話をして予約するから、

すぐに検診を受けるように!兄と思うな!内科医の命令だ!」

すごい口調で、

脅迫するように言うのです。

そこで、見つかったのが

「卵巣嚢腫でした。」

当時、

築地のがんセンターで、

CTの開発に夢中だった弟が

検診を担当してくれました。

「お姉ちゃん!医者の奥さんとして、、、はずかしくないのか?!!!

赤ちゃんの頭のような卵巣嚢腫が出来ている。」

弟先生は、

CTで撮ったスクリーンに映った特大の

卵巣嚢腫を見せてくれながら

その場から、

手術の予約を、外科医の主人に電話をしてくれました。

家庭でハ主人に、、、腹が重たいのよ、、、と

何度か言ったが、

「家では自分は医者じゃないから、

病院に行って診てもらえ、、、」

取り合うどころか、

「子宮筋腫があったとしても、縮小する年齢だから

かかりつけ医で見てもらってくればいいよ」

、、、、なるほど、、、

ネットで検索しても、

深刻になる症状ではなく、、、、自覚症状もなく、

中年太りかと思っていた。

医者の職業に徹して、家ではゴミも捨てない主人へのストレスはあったかもしれません。

、、、この人は、、、家では下宿人か?、、、と

時々気合が抜けることもあった。

ストレスは、、、よくない。

何もし無くても良いから、、、一緒に生きているチームであり

つまらなく見える家事が、バランスを保っている分銅だってこと

少しはわかってほしかったり、、、

親戚が遊びに来ても、

私だけ留守番だったり、

明治の男の文化遺産を丸ごと持っている育ちは

女房を家に閉じ込めるあの手この手の

老獪さで、自分は医師の仕事に専念する、

自分をコントロールして、

ベストな状態で、病院の仕事に臨むこと以外考えつかないのか、、、この旦那は!

こんないらいらが病気を呼ぶのも

40歳から50歳中ごろの、、、更年期のいらいらである。

こんな時には、

人間ドックに行って

「あなたが一番!」と扱ってくれる検診は、精神的にも自信を取り戻す。

人間ドッグのおかげで、

自分への関心も高まり、

自意識も取り戻せて、

早期発見で、入院しても、、、退院できるのは

絶望的に手遅れになる前に

アドバイスをしてくれた兄弟や家族のおかげでした。

大きな卵巣脳腫は

弟先生が、CTを撮った後、

「ムチンだから、手術すれば治癒するからと、説明してくれました。」

蜂の巣のように、部屋が分かれていて、ムチンが入っているんだよ、

卵巣嚢腫の外側に近いところに、硬さの違う細胞群が出来始めているから、

万一、、、「がん細胞になる前がん物質」が、、、

卵巣嚢腫が敗れて

脾臓に飛んでしまったりすることもないとは言い切れないから、

今から、ヒコーキで北海道に帰り、

明日の早朝から、手術を受けられるように、

義兄さん(主人の事)の病院に手術予約を入れておいたから、、、!

「お姉ちゃんは、、、賢いようで、、、いて、、、信じられない馬鹿なところがある!」

弟は「医師の家内としては自己管理失格だと言って、、、あきれていた。」

皆さん、、、こうならないように、

一年に一度は、、、ドッグを受けて、

15センチも、お腹を切らなくても済む健康人生を手に入れてください。

自己管理は人任せでは、、、手遅れ寸前になります。

自覚症状が、、、無い!!、、、このことが、ドッグの必要性を感じました。

 

婦人科の先生が、「すぐにOPEしましょう!」と、、、

もう一度CTを撮影して

診断は

「卵巣の切除」「ムチン質の卵巣嚢腫」という事でした。

手術中は漠然と意識があり、

大きな脳腫が腹から摘出されるのが解りました。

 

一か月後、

15センチの「腹の縦割りの傷」もふさがり、

大学病院の薬局に薬剤師として復帰しました。

大学の先輩の薬剤師さんは優しくしてくださり

生薬学の得意な先輩薬剤師が

ヤマブシタケ、、、というキノコを、毎日煎じてくださり、

それが効いたのかどうかは証拠はありませんが、、、

予後は、極めて快調で、

勤務を休むこともなくて、

それ以後は」再発もしていません。

私の父は、明治生まれの外科医でしたが

内科からの手術の指示ではありますが、

来た患者さんの多くは

「手遅れのがん」であり、

もっと早く見つかれば、

、、、、、、、、、

術後の生存率が上がるのにと、、、ボヤいていたのは

まだ、、、

後にがん検診と研究で闘う弟が少年の頃でした。

「早期に発見できれば、患者さんが苦しまずに治療できる!」

、、、、、教授のお許しがあったとはいえ

まだまだ、、、これからどうなるかわからない未開拓の分野の

「がんに焦点を合わした医療の、国立がんセンターに、

医療と、治療と研究の夢をもって医局を飛び出すのは

よっぽど、何か実現したい夢があったのだろう。

「手遅れにならないクランケを外科に行かせたい、、。」

千葉大学の外科の医局時代に、

弟がつぶやいていたことでした。

外科の教授のお許しもあり、

弟は外科の医局を出て、

国立がんセンターに無給医ではあるが、、、

研修と研究に燃えていました。

最後には、生活が成り立たなくなる直前で

スタッフに登用されて、夢が現実となる厳しい人生登山の登山口に立てました。

同じ千葉大学の卒業生でいらっしゃり、

外科医の父も、日本に、がんセンターの構想が新聞に出るたびに

医師として、理想的な医療というか、

臨床と、研究の両輪が回る研究病院が出来る!!と

穏やかな、無口な父が、眼を輝かせていました。

市川平三郎先生が、弟を見込んでくださったことは

一期一会の、出会いが、今日の「CT検査の普及への第一歩でした。」

日本にも、検診検査の段階で病気を早期発見する夢のセンターが発足したのでした。

二重造影という、、、快挙の立体レントゲン写真で

多くのがん患者さんの生存率を伸ばしたという実績は、

「CTの分野の医療への導入開発を、弟に託してくれたそうです。」

日本にはCTは普及しておらず、

「CTを知らない医師も居ました。」

「がんセンターで、研究のためCTを撮らせてください」と各科に申し込んでも、

後回しになり、、、めんどくさいという、翌日回しになったり

診療時間が終わってからになったり、、、

コロンブスの卵を立てるまでは、不屈の粘りで

初期のデーターを作成収集の第一歩から、

今日の「人間ドッグ」の

民間までの普及の矢は放たれたようです。

戦後の、壊滅状態の日本を

世界の文化国家にしてくれた

戦争を知らない世代の

ダイナミックな夢の実現に命を懸ける

ガイヤの夜明け、、、が

医療の世界にも、、、あったのですね。

戦陣の苦労の礎の上に、国立がんセンターは

さらなる未来の医療の最先端を走って

病院も摩天楼のように築地にそびえることでしょうが、、、

当初は、小さなビルの中で、

寝ないで格闘した「団塊の世代の戦争からの復興の、追い付き追い越せ、、、」の

信じられないほどの、頑張りがあったことを、

柳田邦夫さんは単行本に残しています。

歴史は、温故知新の謙虚さで、さらなる精緻に向かっていきますが

私は、、、弟はコロンブスの卵を立てたと、、、遠くに居ても

万感の思いで。家族一同の幸せを祈っている。

医師の家族は、、、風評被害の台風の目の中で

孤独に強くなる。

孤独は、客観的な視点で、自分抜きの社会現象に興味が湧く。

未病こそ医療の上品の技であると思う。

若き女性へのピンクリボンの検診・

働き盛りの受験生をっかえたお父さん!

人間ドッグで健康を守り、日本が守られますように、、、

このころは、CTの機械そのものの不備な映像画面を

検診の目が必要とする

「医師の目が求めている精度の高い画像に改良する」という

土台の為に、

医師と東芝の技術陣が、

仕事の延長戦で廊下に寝泊まりする日々が続いたことが

がん検診研究の黎明期の単行本の読み物になって出版されて、

「がん」になったら「死ぬ」という連鎖の絶望に

世論も「早期発見」という言葉が飛び交うようになりました。

市川先生の二重造影画面は劇的ながんの発見につながりました、、、が

時代は「CTの立体の、輪切り写真」へと

「夢は限りなく実現に向かい始めました。

当時としては斬新なレントゲン写真で

胃がんなどが、

市川先生の二重造影写真で発見率が極端に伸びました。

まだ初期のうちに立体的にに映し出されていました。

そして、築地に「国立がんセンター」という

今までの医師の世界には

実現しにくかった

理想的ながんと向き合う

研究と臨床との施設が出来たのでした。

研究、、、臨床、、、機械の開発、、、インターナショナルな視点の

医師だけの病院というよりは、

あらゆるジャンルの高度なプロのスキルを持った頭脳が円卓を囲んで

不治の病に闘いを挑む時代に突入していました。

*****************************************

その頃は、兄も、「今で言うなれば『人間ドック』」を

未病とまではいかなくても、

早期発見で「治癒できるがん」があるはずだと、、、燃えていました。

 

がんセンターの「胃カメラ」を勉強しに通うようになりました。

内科医の兄は、自分の診療所を改造して、

胃カメラの改良される度に買い替えて、

道場の木刀置き場のような胃カメラ室でした。

患者さんの為にも、胃カメラ以外に

早期に胃がんや十二指腸の異常を診断できる

回転するレントゲンを設置しました。

鉛の壁を分厚く改造し、何百万もする回転レントゲンを設置し、

技師さんをお願いし、開業は採算は全く合いませんが、

内科医のポリシイというのか、、、市川先生を尊敬していました。

治るうちに早期発見して外科に紹介すれば患者さんは助かる!、、、」

頭の中は、手遅れにならない手術。

胃カメラは当時はオリンパスの製品が圧倒的に、兄の手元にありました。

初期のものは、太くて飲み込むのにキシロカインなど微妙に調整が大変なようでした。

だんだん細くなり、先が回転するようになりました。

やがて、胃カメラで見つけたがんと思えるポリープを

生研出来る機会に発展して、

兄は、採算そっちのけで、開業と研究とレジデントの生活で

胃カメラの指導医の認定を国立がんセンターの

崎田先生の担当ご指導の下に通い続けていたようでした、

コンピューターもVM21からあっという間にウィンドウ10まで

周辺機器の為にも買い替えのヴァージョンウップの時代です、

弟がヘリカルCTの立体画像に取り掛かるころ、

開業は医療機器の買い替えで

採算は合わない閉院が続き

勤務医志向の医師が目立ち始めました。

医療に贅沢な知的な満足を得られるのなら

一日にかつ丼食べれれば、贅沢はいらない、、、兄きは言った。

開業を閉院して、

千葉の巨大病院の勤務医として出発して行きました。

亀田病院の先代は

父の卒業した医科大学の知人でもありました。

世間は、、、医師はお金儲けを目的に生きているという

家族には、辛辣に言葉に出して、来ますが、、、

内情は医療以外の時間を使っているようでは

日進月歩の医学の進歩について行かれないのが

本音ではあるまいか?

勤務医の医師夫人は、自分が薬剤師の免許を持っていて

正職員で働いていても、関係なく一人である、

教授の一言で単身赴任も出張も、時間外勤務も当たり前である。

働き方改革がウンヌン、、、されても、、、

正月元旦に緊急手術はやってくる、

こうした、、、先生方はドッグを毎年体験している。

しかし、結婚しているのに、マルチの仕事を任される主婦兼薬剤師は

夜中に洗濯、早朝弁当、日曜の、主人の自宅待機で休みがない。

結局、、、人間ドッグにはよほどの気合を入れないと

後回しになってしまう。

たまたま医師の家庭の孤軍奮闘援軍なしのさなか

主人は職場の強制でドッグをこまめに受けていても

過労で入院。

踏んだり蹴ったりのハプニングも、

最小限のダメージで切り抜けられたのは

主人の毎年の検診が、食事制限や

リハビリ―に通うことが

今日の

まだまだ患者さんが来てくださり

頼ってくださる

医師として現役の

医療人生を支え続けてきた、

自分もドッグ検診で

何度か啓蒙されて

医師として働いている今日、

 

患者さんが家族のため、

愛する人のため、地域のため国のため

少しでも

「長生きしてほしいと願わない医師はいないはずです。」

喜寿を越しても、患者さんから

「先生でなくっちゃ!」と、

若き頃からの患者さんが頼ってくれている。

私の実家は、、、売られてゆき、、、

一円の相続分もありませんでした。

ヴァージョンアップの医療機械を買い続け、

パソコン端末を買い替え、、、

23人の従業員の家族の

閉院の為の、、、

退職金を支払い、

後片付けをしたら、

何も残らなかったそうです、

父が残した診療所は

、最先端に挑む息子たちによって

世間に還元されてゆきました。

日進月歩の医学会で、レベルを保つというエネルギーは

命を相手の職業だけに

学門を続ける受験生の居る家族と似ています。

先代の残したものをエネルギーとして開業を続けていても

壁に突き当たったようです。

実家だった父の診療所は、売られてゆきました。

立派に役割を果たした最先端の医師を生み出す胎盤だったのです。

胃カメラの兄の検診力、

がんセンターの弟の検診研究の人生を

遠くから、その貢献度に敬意を払っています。

二人が、多くの患者さんのため、

日本の医療をとおして、

検診研究の分野で時代を牽引できた「夢の実現」に向かって

闘いに生きれた兄弟を、遠い北海道から

エールを送り続けた、、、

自分は何もできなかった、、、

姉であり、、、

妹でした。

外科医の主人の課程を守ることに関しては

便利屋の腕は、他人に負けるとは思えない

鶏のような人生が続いている。、

鶏の目から見える

「人間ドッグの普及」までの、

一つの実話です。

日本の大切な指導者や、

政治家、

経済分野の時代を牽引する人々

世界の都市を設計して立ててゆく人など

極めて社会に与える影響も大きい。

人間ドッグを受けるという事は

日本を守ることにもなります。

家族の長、

若き母親

受験生、、、

全ての人の価値は

まず、、、健康からだと思っています。

   弟が若き父親を、母親を、早期発見で

   延命効果を果たせたとしたら、

その行動、実績、社会貢献が、、、私の実家だと思っています。

帰える所がなくても、、心は、オリオン座の正座のような家族を観ています。

寂しくなったら、、、オリオン座に兄弟が瞬いています。

 

**********************************

当時、国立がんセンターは、白い小さなビルでした。

そこに無給の研修医として、一年以上勉強に行っていました。

やがてスタッフとして、「がんと闘う医師」の仲間として、

今日の「人間ドッグ」の時代の鏑矢を放ったのでした。

CTって何ですか?、、、という時代から、

3次元の立体の人体の写真が撮れる今日、

世界の要人と言われるような、責任ある立場の方々が

明日の仕事の為に、こぞって検診を受ける時代がやってきています。

人間ドッグは、

今や「世界の要人」と言われる政治家や、

なくてはならない仕事の責任者や

時代をけん引している大人物の健康を守るためには

必須の検査機関だと思うのですよね。

私は70歳を過ぎて「必要な立場の卒業生」。

時分だけの責任を果たせばよい時代に入りましたから

人間ドッグには、、、行かなくなりました。

がんセンターの発展に人生をかけて

多くの要人の健康を守るための「検診研究センター」で

所長を務めながら、定年まで、私たち家族の、

世間の責任ある立場の人

そして、東南アジア王族の検診。

私が、

国立がんセンターで

「人間ドッグ」、、、?というのでしょうか?

「検診」を受ける窓口は「日本人」の窓口でした。

海外向けの外人専用の窓口もあって

国際的に「人間ドッグ」と言えばいいのでしょうか?

CTや、胃カメラや、大腸鏡、MRI、そして「ペットCT」の

検診の患者さんがびっしりと座っていました。

がんセンター黎明期の「がんと闘う弟たち」

人間ドッグの時代の生みの親は

コロンブスの卵のように、

どんなに時代が進んで、がんセンターの先生方が世代交代しようとも、

戦後の「団塊の世代」の弟たちの時代の先駆者は

コロンブス、、、と同様に、

永遠に、検診検査の「人間ドッグの時代を創った世代」として

心ある志の高いがんセンターの歴史として語り継がれ、

今日の「がんと同居の勤務時代」になったのは

あの、、、市川先生の二重造影、、東芝のCT,MRI...ペットCT

へリカルCT,,胃カメラ、、、、と黎明期を生きた戦後のファイターたちの

早期発見、早期治療の魂が、

基礎医学者の作り上げた治療薬や方法を

駆使できる時代を創ったと思えるのです。

出発点から50年、、、人間ドックの各地での発展を認識しながら

70歳になり、、、74歳になりました。

弟の人生がすぐ隣で感じれた人生は、、、姉としてラッキーであったと思いました。

CTの検査をさせてもらうのに、CTという機械の改良から初めて、

東芝技術の人々と、

医師が見たいと思うがんの映像が映る画面を

工夫するところから始まったのを

知っている若きがんセンターの医師が、果たして,、、今はいるだろうか?

廊下で夜明かしして、研究に研究を重ね、

家庭には帰れなかった弟を知っているのは、家族だけだろうね。

世界中を飛び回って、講演していた弟が

定年のとき、政治の与党が野党になり、民主党が政権をとって、

50年のがんの早期発見の時代にまで到達できて、

がんの基礎の研究者の薬も、デリバリーの方法も、

患者さんの延命効果に役立つ時代が来たようですね。

民主党の時代に定年をまじかに迎え、

独立法人となったとかで、、、

多くの資料が処分されてしまったことは残念であったと思いました。

人間ドッグは、世界と共存共栄してゆくためにも、

社会では時代を牽引している指導者には、国家費用で強制してでも

若き生命を守るピンクリボンの制度などあるようですよ。

3人の子供を残して死んでしまう乳がんなど、

早期発見で助けたいと思うのは、皆の心でしょうね。

私はがんセンターで「50代のころ」

マンモグラフィの検診のある「人間ドッグを受けました。」

超音波と合わせて検診しました。

腫瘤を形成しない分散型の乳がんがあると

マンモグラフィには、はっきりと映らないこともあるそうで、

がんセンターの検診検査の所長をしていた弟が説明してくれました。

人間ドッグは「がん」だけではなくて、

いろいろな病気も早期発見できると思います。

40歳代から50歳の「人生のピークの多忙な時代こそ!」

全員が受けて、健康を守り、世代交代の責任を果たし

日本の繁栄の基であるともいえる

サポーターの時代を、健康で乗り切りたいと思いました。

今日、「人間ドッグ」と「リゾートホテルが合体したような

世界の要人や、多くの社員の人生を背負った社長さんや、

世界経済の中心にいるような、VIP専用の

「人間ドッグ「と休暇と「フィットネス」などの

最高レベルの「人間ドッグ」診療があるようですね。

たまの旅行もKKRの

一泊10000円まではしない

定宿に泊まる我が家としては、

TV番組や、ネットで見て、知っているだけですが、

必要な人には、、、、必要な施設で健康管理に人生をかけているのでしょうか?

弟よ!

君の人生を遠くから見れただけでも、、、感謝してるよ。

あの時の、赤ちゃんの頭ほどあった卵巣腫瘍の切除の思いでは、、、

検診や人間ドッグに行かなかった私の命を

私に代わって守ってくれたがんセンターの検診研究所の、、、弟。、

食事中に体型が変だと言って、、、がんセンターの弟に

電話をしてくれた内科医の兄と、

手術に立ち会ってくれた外科医の夫と

手術をしてくださった「婦人科の副院長先生」

急きょベットを確保してくださった病院。

人間ドッグの門をくぐれば、、、74歳まで、

自動扉が開くように

健康が守られた、、、本当は、ドジで、めんどくさがり屋で、

医者の妻として、自覚の足りなかった私の

心からの、、、40代から50代までの、若き人々へ

人間ドッグへの「受けてよかったという体験談」を通して

ご自愛いただきたいという、、、思いをお伝えします。

 

 

 

 



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