花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

感謝したいのです。この世に楽しく、、、微笑んで生きられることに。、、、コロナよ、、、邪魔をしないで!

2020-04-16 15:08:38 | Weblog

病院勉めの家族や、

栄養士の姪っ子、

薬剤師の姪っ子、

医師の甥っ子、、、

父が医師だったせいもあり、

兄弟は2人が医師。

2人が薬剤師。

嫁さんは正看護師さん。

医療の事、黴菌の事。

保健衛生の事、

日本の、、、コロナ対策の事、、、

話し出したら、、、電話の電池が無くなります。

「医師をすること以外は、、、医者バカのお父さんだったけど、、、。」

家族は、オピニオンリーダーとして、困ったときは父の意見を聴いていた。

戦争で、、、3人の子供を亡くし、、、家を無くし、、、二分の持ち物だった病院も亡くし、、、

昭和19年戦地の野戦病院への、、、軍医の勤務で

トラックを待っていた時、、、

日本は、、、全てを失いかけていた。

唯一、、、軍医の居る隊は、、、、皆強かった。

野戦病院で、、、「助かりますか、、、?家族が居るんです、、、」

「あ~~明日には痛みも取れて、、、助かるよ、、、。」

確りと、手を握ると、、、微笑んで、、、死んでいった兵隊、、、。

運よく、日本に帰還できた父は、七カ村無医村と言う疎開地に唯一の医師として

戦後の復活の時期に、全身全霊で働いていたのを

子供たちは、、、無言の父の背中から、、、多くの教えを戴いた。

戦争で鍛えられた医師の後ろ姿は、、、

文にも歌にも詩にも、音楽にも、、、絵にも表せられないものだった。

                

原子爆弾が、、、広島に落ちた時、、、

全員は、、、一度、、、心が死んだ、

アメリカに追いつき、、、教育こそ復興の道と、、、

父は、最後力を振り絞って、

鮭が生まれ故郷の川に還るように、、、

生き残った3人の子供たちと、

           戦後、、、疎開地で誕生した新しい時代の子!

                         戦争を知らない末っ子の

                                        快男児ぶりに

                                                人生の目的を見つけてくれたのか、

教育に人生をかけて、故郷の生まれ故郷の東京に還ってくれました。

                    

中学三年生で東京入りした8歳上の兄は両国高校に進学

                              次男、私、弟と、、、

                                     最後の力を振り絞って、大学に出してくれました。

戦 後、、、父が教育こそ、、、

日本の復興だと、、、。

父の10歳以上下の叔父さんは学徒出陣から帰り早稲田大学の理工学部卒業しました。

               父が我が子と同様、、、

                       早稲田大学を卒業するまで親代わりとなりました

 

                 東京の同居者として、叔父さんが、学芸大学卒の女の先生と結婚式は我が家の2階で、挙げました。

            私は、赤い着物を着て、、、お二人にお酒を注ぐ役をさせてもらいました。

 

母の弟≪叔父さん)さんの≪6人家族も、≫我が家で同居して、

それぞれが、4人とも、結婚式は父母が発起人でした。

 

従業員の准看さんは、、、

医師会の夜間施設で、勤務の傍ら、免許を取得してもらった看護婦さんでした。

 

姪っ子は杉野ドレメ学校を卒業すると、      

              兄の友人の医師と結婚しました。

 

 

次女三女は、国立一期校の法学部卒のハンサムと結婚して、、、家を出てゆきました。

終戦の頃の医師は、戦地を経由していることが、強い人間に成れたのか?

教育だけは、、、誰も盗れない

教育だけは、、、自分の中で、、、利息が付くから、、、ゆたかな心になる。

教育だけは、、、日本の希望だ、、、

疎開先の、、、田舎で育って、、、何もわからない親戚一同を

大學や専門学校を卒業させて、、、

 

                  私が大学生の時、、、

         前日まで患者さんの、、、胃の手術をしていたのに、、、

       「麻酔から、、、クランケが覚めると、、、母屋に還るから、、、」と言い残し

 

私たちは、、、待ちきれないで、夕食を済まし、、、寝てしまった。

 

早朝、、、長男の声で、、、

            「皆起きろ!、、、」

 

父が好きだった、錦鯉の池が窓から見える居間で、、、父は、、、まだ、、、暖かだった。

医師になったばかりの内科医の兄が、、、

                  早朝、、、暗い中、、、

                            胸騒ぎがして、、、手術した患者さんの回診をしたら、、、

 

                     父が、、、すでに、倒れていたという。

 

 

心臓マッサージを続けたが、、、ダメだと思って、、、

皆を起こしたと言った。

                 、、、、、

                        父は地域にも愛された、、、

 

父の葬式は、、、患者さんが、、、焼き場まで、、、どうしても、、、行きたいと言って、

町内会が、バスを連ねて、父を見送ってくれた。、、、、、54歳だった。

 

父の残した診療所は、兄の時代で、、、、閉院した、

尖度の復興時のように、、、一族全員の為に、、、強いと思われている医師が

                     全員の生活を支えるという、、、戦後が終わりました。

 

兄は弟妹の見通しがついて、母がピアノから天国の父のもとに行ったとき

、がんセンターで研修して、胃カメラの指導医を許されて

勤務医になった事もあり

退路を断っての出直しの為なのだろう????????????か?

兄の中の男の心は、、、私には推し量ることはできなかった。

 

実家は、、、売られて、、、今は空き地になっている。

 

東京の240坪の空き地は

道路を挟んで、公園が出来ているから、、、

私に力が有ったら、、、買い戻したいと、、、夢に見ることがある。

、、、、、、、、、、、夢の、、、又夢であるが、、、、夢を見る、、、父母が居た頃を!

 

開業医には機械化が進み、胃カメラも、レントゲンも、CTも日進月歩の医学の世界は

経済界が医寮の中に大きな咳を占めるようになった。

 

経済を担当するパソコンも、、、買い替えのヴァージョンアップで

オリンパスに胃カメラだけでも、、、毎年買い替えるという、、、時代になった。

初期の出さえ,、、ぶっとい、、、ホースのようなものでさえ、、、一本150万円した胃カメラであった。

まるで,、、道場の木刀かけのように、

あらゆるパターンの胃カメラが

武士の魂のように、、、かかっていた、、、。

           兄は自分の為だけに、、、人生の時間を使おうとし始めていた。

実家は実験室となり、、、論文も、膨大な私費をかけて、、、発表していた。

医局に残らなかった、実力だけが、頼みとなった。

 

この、、、父の残した医療施設からは

多くの大学生や、医療人が育った。

従業員の最高に勤務していた時は23人の、家族ともども、、、職員旅行にと

千葉の鴨川に病院の保養施設を買っていた時もあった。

金食い虫の、、、学門を目指す開業は、、、満たされる心が無く

焦りとストレスで、、、閉院への道に進んで行った。

 

父のように、、、多くの人の家庭を支える時代の、、、開業は

成り立たなくなっていた。

発展する日本の、高度成長の社会制度のクレバスに、、、

開業の身分で、がんセンターに研修しながら、、、医師を雇って、、、論分を書き始めた兄は

社会の組織図から、、、はみ出してしまったのかもしれません。

 

弟は賢明でした。医学部を卒業すると、

外科の医局に入り、

教授の御許しを得て、

市川平三郎先生のお勧めにより、

国立がんセンターで、2年の無給時代に耐えて、スタッフとして、正職員に成っている。

スゴイネ!、、、お姉ちゃんも、、、君みたいになりたいよ~~~

女は、、、家事だなんて、、、つまらなさすぎ!!、、、

ふらりと、札幌の学会傘下のついでに、、、泊まっていってくれた、、、弟と、、、友人!

素晴らしい、、、フレッシュな、、、輝くようなオーラーを友人ともども放っていたね。

その友人が、、、早朝次男と長男をサイクリングに連れて行ってくれて、、、

幼かった次男に、、、医師の未来を発言して、、、息子は、きっと、、、その影響もあったのかもしれません。

叔父さんと、、、その後、、、大学教授になった友人が、幼い時に息子たちと、時間を共にしていてくれたという事が

母親の及ばない世界への旅に出たのかもしれません。

          東京と札幌に離れていても、、、弟は私の心の希望。。。今も、元気なだけで充分です。   

               

弟は、近代医学の黎明期に、

CTの開発を、東芝や、多くの技師さんや、ジャンルの違う機会学者の皆と

円卓を囲んで開発に協力して、、、ヘリカルCTなる、、、

スーパーな立体画像のCTに携われた事は

父の最後の踏ん張りで、疎開地から、、、

東京に還った、、、命をかけた鮭が子孫を残したのだと思った。

弟は、、、学者として、、、

日本の復興に貢献できたことは、、、天に感謝するような、、、運命を感じたものであった、

              

実家と言う、、、医学の徒を産み出した胎盤は、、、どこかに買い取られて、、、空き地になってしまっているが

医師と言う職業の家は、、、継承する者が無い。

 

医師は、、、アーティストや、芸術家に似て、、、誰も継ぐことが出来ない。

 

それだけに、、、頭脳と言う、、、大食いの怪物は、、、

世の中に、見えない医学の進歩を残して、、、あとかたなく消えてゆく。

 

実家は無くなり、、、100円の遺産も現金としては無かったが

お金には代えられない、、、

大いなる精神的な頑張る力を受け取れた。

 

だから、、、どんな医師も、、、

医療設備の不備などと言う、、、

あまりにも悲しい理由で

コロナなどに、、負けて、、、死んでほしくない。

 

ナーバスになっているのかもしれないが、、、

 

医療に従事する者の家に向かって、、、

排気を向けることだけは、、、

大きなものを、、、失いそうで、、、

歳をとった医師は、、、經驗の宝物だと思うから、、、

 

わかての医師とは又別の心で、代われないような、、、病気の、、、老人丸ごと人を診れるから、、、

婆ちゃんには、、、婆ちゃんの水道と、、下水が。体の中でね、、、つまりそうなんだよ、、、

だから、、、これは、、、ドブ掃除のお薬ですよ、、、などと

呆け始めた老婆にも、根気よく説明が出来てるそうで、

医学用語の解らない年代の人には、、、わかるように説明できる、、、優しさがあるそうでス。

お嫁さんから、、無関係な、妻の立場の私が、、、ほめられましたよ。

 

排気などで、、、菌の合併症を起こして、、、コロナなどに負けてほしくないと思うのです。

 

その結果、、、皆、、、医療人になることが

ごく自然に、、、

成るようになった、、、という結果であるが、

我が家に次男だけは、、、

45歳で結婚もしていない、、、

しごと心の拠り所だという、、、。

母親としては、、、まだ死ねない、、、、本当の幸せを知ってもらいたい。

自分の分身が未来に生きて、、、天国にあるセグメントを使って、、、電話をくれるかもしれないのだから、、、。

 

そのうちに、、、医者バカと言われないように、、、

人並みの家庭をもって、、、幸せになってくれないと、、、

後ろ髪ひかれて、、、まだまだ、、、コロナなどでは死ねない!!!

昭和50年代に、、、医者らしい医師と、政治的な手腕の医師とに大きく政治はかかわった時代が有った。

父のような、、、医者をすることだけに生きた医師は、、、過労死しても仕方がない時代のクレパスが有った。

 

時代を乗りこなす医師の皆は         

                                ゴルフに世界旅行に、、、高級車、、、

終戦からの、、、

        激しい激動の

              復興の制度の変わり目、

                        機械化の変わり目、、、

                                  父の精神は、

                                        軍人外科の野戦病院の経験のある、

                                                    大學の特徴だったイギリス医学だけが父を支えていた。

父が、、、長生きをしていたら、、、

息子が、、、

戦争を知らない、、、

戦後生まれた息子が

お父さんの自慢だった末っ子の、、、医学の進歩に貢献できた喜びを、、

何よりも、、、嬉しく、、、思ったに違いありません。

         *************************

45歳で独身ですが、、、、

     お父さんに、孫が、、、救急病院で、皆さんのお役に立っていることを知ったら。。。

        大きな目で、喜んでくれたでしょうね、、、。

 

その、、、孫ですが、、、

歳は45歳でも、、、高校生の時代と、声も、話すことも同じであるから、、、

                     母親としては「時間が人生の、、、一番の敵なのよ、、、」

                                              

                                                しょんぼりと伝えるのだが、、、、

 

 

「隣の店が、、、コロナ騒ぎで,、、店をしめちゃったんだよ!

食い物困ってるんだよ、、、

病院は、深夜業務まで、続くし、、、

カップラーメンばかりじゃ、力が出ないんだよ、、、。

救急で働いている身内の医療人に、

先日は、北海道の特別の焼きそば弁当インスタント食品を

ダンボールいっぱいと、

                               カンズメの数種類と

ハイターで漂白洗濯した

              白衣の下の綿シャツを15枚、、、

銀座カレーのレトルトと、、、これまた、、、北海道特産の焼きそば弁当のインスタンお食品。

              黒猫さんに届けていただいた。

 

ピンポンしてもらって、荷物は外に出して、事務手続きは玄関前の階段下で手続きしてもらう。

発送票のコピーだけ持って行くが、表面の伝票はポストに入れてもらう。

                         ”2~3日で届けられる。

 

とりあえず、、、空腹は満たしたが

                ボヤキは尽きない。

 

病院としては、

「これ以上注意できないよ、、、というぐらい、、、消毒も、防御策も、はたしていても

日本は、、、じわじわと、、、病院の感染者がスタッフや医師にも及んでいる。」

 

僕は思うんだよね、、、季節が暖かくなったから、、、屋外にテントを張って

コロナに感染戦しているとわかっているような症状の患者さんを

 

入り口で阻止できるように!!!

 

発熱があって、舌が味を感知できないとか、、、とか、、、の、、、

つまり、、、

発熱と嗅覚味覚障害と

倦怠感やだるさや、雑力感のある患者さんや

       救急車が運んできた患者さんが、外科や整形外科の外傷でも

骨折や外相の目立つ救急患者さんが、、、手術室に直行する前に

なんで、、、?怪我や骨折をしたのか?・?

いつもと違って、、、だるかったのではないか?

自覚はしていないが高熱で、感覚がマヒしていて,、、怪我をしたのではないか

本院に運び込む前に、コロナかどうかの判別が出来るように

庭の敷地などに、、、テント外来をできるスペースがあれば、、、

病院スタッフが、コロナの直撃弾で、無防備な白衣の時に、感染してしまうという、、

、忍者のようなコロナの戦術に、、対抗して

感染の直撃団弾を

一手上の戦略で、

感染桁繰りのようなコロナの先手を予防できないものだろうか!!!、

 

季節が暖かくなったから、、、病院の外で「テント外来」でもやれば、、、

貴重な腕を持った「感染棟のドクター」や「、ICUの特殊技術を持った数少ない看護師さん」や、

技師さんや

人工心肺を操作する、臨床工学士も、、、

あらかじめ、救急車から、

 

院内にコロナが直行してきて、骨折や、けが人のイメージが強いために

手品のように、、出血や、骨の変形に注意が行ってしまって、

不意打ちでコロナに感染してしまい、、、あえなく戦死することは無くなるのではないかな~~~~!

ピンと、、、光が見える言葉だった。

 

病院に敷地がある場合、、、

病院の外で、、、

まず、コロナかどうかを見分けられないかという

コミュニケーションを、、、「テント外来を臨時に作り、コロナに感染しているかどうか、選別するのが先決だと思う。」

宅急便が運んでいるのは、、、電話の話のきっかけだったり、、、

コミュニケーションをスマホでとれるという、、、意見の交換だった。

黒猫さんは運んでくれた、、、コロナのヒント!

運んだのは、、、焼きそばに見えるが、、、

貴重なコミュニケーションの高度な考えを運んでくれた。

早速、、、日記帳に書いて置きます、

 

発熱、、、だるさ、、、味覚障害、、、聴覚障害、、、咳、、、くしゃみの連発、、、

たとえ救急車で運ばれた救急患者さんが出血していようが、、

、骨が曲がっていようが、、

目立つのが、、、骨折や、、、盲腸炎であっても、、、

戸外での臨時設置のテント外来で、コロナと判別してから院内に運べば、、、

スタッフはそれなりの防御をするから、、、コロナ感染の直撃発砲は避けられるのではないか?

コロナ以外の外相や、精神疾患のお面をかぶってくる、、、新型コロナを見破ることが、

今までよりはスタッフは守られないだろうか????

       食べ物を送った返事は、、、以上のような、、、

仕事の話を、、、父としたいのだろう。

電話の後には、息子の話を、主人に橋渡しをすると、、、、何やらしばらく、、、話し合っていた。

我が家も、、、全力で、「意思をすること」にすべての時間と、エネルギーと、月給をかけてきましたが

月給の三分の一と確定申告の後の追加金を、、、

患者さんの持つ、、、マイナスエネルギーといえばよいのか?

病気の持つ「ブラックホール」は

「限りなく現場医療スタッフの生命を吸い込むといえばよいのか、、」

現場のスペシャリストの頭脳の中の働きは見えないわけですから、、、

税金は、医師を患者さんのマイナスエネルギーから守ることに

使っていただきたいと思うのです。

私の知っている先生だけでも,、、

40歳代で、、、過労死した先生や

49歳で、閉院した先生や、

医局の中間職で、診察、電子カルテ書き込み、整理、統計、、、医局の幹事のような仕事

外病院との連携、、、学会、、発表、、、まるで、寝ていないような仕事量をこなされていた先生も

過労で入院、

息子達が子供のころお世話になった、、、小児科の名医さんも

「大丈夫ですよ!」の一言で、、、、母親は救われていました。

みんな、、、何十年前に、、、亡くなられて、、、残念です。

 

世間は、、、病気の怖さを知らないから、、、、

 

TVなどでも、、、

セレブな医師の奥さんの華やかな装いや、、、高級車などが出てきますが

医者は、「患者さんのことしか頭にありませんので、、、実際の家庭は、、、ヨロズ雑用係です。」

今回も、自宅でマスクセットを作りながら、

用途、場所に合わせて、、、

ウイルスブロックのメッシュの布を入れたりしています、、、が、、、

病院という、、、「感染源を避けられないところに行くわけですから、、、」

 

税金は、

防御服とか、、、

サージカルマスクとか、、、

人工心肺とか、、、

隔離病棟の病床を確保するとか、、、

医療スタッフが安心して働ける環境設備に使っていただきたいですね。

医師からの税金は、、、国民の生命を守るというトータルな設備にかけてほしいと思いました。

どこの病院も、、、似たような事が起きていると思われるのですが、

私が、40歳代には足りていた病院でも

先生方が、、、CTの何列のがあると、、、診断がとり確実に断言できるのだが、、、とぼやいておりました。

病院をサポートしている銀行からの意向で、経済的な事で、設備が整わないことも、結構な未解決な悩みのようでした。

日本の社会は、マスコミがリードしてゆくようなことも多くあって、

     出来るだけ、現場の専門家の意見を放送してほしいと思いました。

 

 

阿部さんの、国民を守ろうとするマスクの配布は、、、心より、、、ありがたいのですが、、、

医療現場の医師たちの安全は、医療スタッフの安全は、、、ICUスタッフの不足は、、、

重症患者さんの隔離ベットの確保は、、、人工心肺の確保は、、、

これからは、政府は、医療界はマヒしないように国民の健康を、

スタッフもろとも守れる設備に「医師からの税金を」使っていただきたいと思います。

               医療スタッフは、、、設備不足で、、、コロナの犠牲になるようなことがあってはなりません。

               政治の介入の仕方を、、、今後見直して、

               現場を理解した、現場の意見を反映した予算をくんでほしいと思いました。

それが国民の命を守り、、、国を守ることの根幹をなすからです。

                             現場の医師の頭脳が体力任せの無理が重なっています。、、、

                                            

                                               長生きできる、、、医療環境が大切です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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