花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

決まりました!「令和」

2019-04-01 16:26:22 | Weblog
今日、11時を過ぎて

元号が決まりました。



そして、、私は、急に緊張がゆるんでしまったのか?

いつ眠ったのか?、、、

自分でもわかりません。

目が覚めたら〉午後の4時前でした。

担当されていた皆さんの緊張感は、私たち一般の主婦の

一億倍の精神の強さがあるのでしょうね、

すごいことですね、、




両陛下の、生前の御退位のエネルギーというのは

日本人であるという精神が、戦後ずーと

皇室の存在で、支えられていたことに気が付きます。

終戦を境に、日本人の

一般の庶民は

よりどころを喪わずに頑張れたのは

昭和天皇陛下の御苦労を思うとき

日本人としての誇りと守られてきた文化と、

富士山の気品と

日本女性の縁の下の力を失ってしまったら

終戦が、、、敗戦になってしまったかもしれません



原子爆弾が2個も落下された長崎と広島の歴史は

日本が十字架にかけられたイエス様のように

未来において、地球そのものが破壊されて

人類のみならず、動植物、、、森羅万象が、イオンになって

別の化学物質になって、

人類が絶滅するかもしれなかった局面を

自らの被爆によって

世界中の国が緑の地球の御加護で存続することを

祈った玉虫の厨子のような光だったかもしれません。




日本の国があるのは、太古の時代から

歴史とともにあり続けた天皇陛下の存在が

日本人という、、、形にも、文にも絵にも書けない自覚を

しっかりと、感じ続けさせてくれていることは確かです。



私の中では、



天皇陛下と、美智子妃殿下が

「象徴」という不思議な存在で示されていることが

ピンと来ないまま、

生きていると命とともに

日本人であるという自覚が出来るのは

新年や多くのイベントで

両陛下の、お姿をTVで拝見できるときです。

両陛下の過ごされた毎日は、

誰もまねができません。

人間の力を超えてスケジュールをこなされて

静かな表情で、国民を見守ってくださるお姿は

戦後のドサクサの中で、

自然災害で破壊された廃墟のような瓦礫の中で

どちらに歩けば光が見えるのか、

不安の時も、、、

小さな子供の心のように

おびえる前に

抱きしめてくれた温かな空気が有ったことを感じるのです。



日本の生い立ちから、今日も、そして未来も

見守っていてくださる皇室の存続が

この日本に生を受けてよかったと思える

自分を知っている自分に出逢えるのです。



戦後の復活の中で

その孤独は

皇太子殿下というお立場でなければ

理解できないと察せられますが、




戦争で3人の子供を外国の地で失った母は、

皇太子殿下の、侍従に付き添われて

大人の世界に居るお写真が

白黒TVで、ニュースなどで、、、ちらっと映し出されたときにも

皇太子殿下の孤独なお育ちに

万感の思いを込めて、

街にお忍びで出かけられた束の間のエピソードを話してくれながら、

「殿下が、、、深呼吸できた一瞬を、国民もどんなにうれしく思ったことか…と」


身分のあるやんごとなきお方の

人間の力を超えた試練の日々の中で

天与の光が取り巻いて、見えない天与の力で

お守りしているのは、

たしかなことですよ。」


母も不思議そうに、

孤独の中で孤高の光を放たれる不思議なオーラーを

深く、空気で感じていたようでした。



母は、明治の生まれですから、

私ごとき、普通の文化の中で育てられた精神とは違って、

丸髷や丁髷に刀文化の残る維新の嵐の後の

人災の嵐の中で、

クラシックの譜面に魅せられて

音楽大学に通った感受性の持ち主であったと

私は、母には不思議な空気を感じたものでした。


見えない物が感じられるという

一瞬にして消えてゆく音の芸術を追いかけた女性だけに

皇室の見えない光を感じられる天与の感受性がありました。


終戦に導いてくださったのは

昭和天皇陛下の玉音放送だと言っていました。


明治維新になる前に、すでに、、、

五か国との不平等条約を結んでいた日本が

アメリカや、ヨーロッパの国々との国際間のベクトルの中で

戦争という破壊と、一見ゼロ地帯に建立する戦争後の国々は

誰の責任で戦争になったのか??、、、答えがある方が不思議だと

明治生まれの、戦争の被害を充分すぎるほど受けた母は

天皇様のせいにするのは

太陽系も見えていない

サザエの貝の中のような視点だから

そんな視点で物事を考えていたら、

いつか、、、網の上で

サザエのつぼ焼きにされるよ!と。

見えないイナセントすぎる、、、いなかっぺの私に

言葉では表現できない、、、何かの空気を伝えてくれたことが有った。



地球の表面を覆う文化の程度の違う国々が

まるで、地下のマントルの移動のような天の法則で

地震や津波が起きるように、

人類に、多くの業がある限り

戦争で、

利益を得たり、

支配を得たり、

独占欲を満たされたり

浅はかな100年足らずの人生を

むさぼろうとする人類が居る限り

助け合う前に

戦争で、支配しようとする国が現れると

地球まるごと、

バランスが崩れて、戦争が起きてしまう。

狭い島国の日本の中で、

戦争を、、、誰のせいにしても、、、らちが明かないという。


文化。思想、利益経済、独占欲、支配欲、派閥から始まって

国々の、領土問題や、文化の違い、

科学の力の違いも、

湾岸戦争で、体験したと思いますが、

日本は皇室の存続が、、、守り続けてくださった

「文化」そのものが

形や理論では言い尽くせない「独自の文化」という

「日本は日本以外には無い日本」を残してきている。


見えない「気合」

「見えない静寂」

「静止であるとも動であるとも言えない」不思議な瞬間。

明るいのか?

暗いのか?

絶妙に心と一致する障子越しの

在るとも、、、無いとも、、、表現できない光の集積。

月が映し出した障子の影絵のような不思議な空間で

音叉のように天と空間を介在した心が響き合う。


歴史を伝えて、アナログな人類の

体温も、汗の匂いも、動植物との天与の住処も伝えてきている

被災を免れた街道筋。

そして、

神社が守り続けた緑地帯。

神としか表現しようのない杜の神社。

仁和寺の和尚の笑えない話で育った私たち後期高齢者。

桜の季節に新しい元号が決まり

平成時代の感謝と祈りが同時に立ち上がる

心のWINDOU8,1。

ウィンドウ10は使いこなせない。

日本の文化は、キーボードはたたかなかった。

筆で書いた文字の空間が、、、心を伝えていた。

俳句だって、和歌だって、

万葉集で初めて出会った、、、君が手を振る。



なにごとの 
おわすかは知らねども

ありがたさゆえに、

百段以上の階段も

祈りの修行で登って行ける不思議。

芭蕉は山寺でカエルを見たのではなくて

静けさに、出逢った。

自分が無になってしまって、

カエルになって、静寂を破り、

我を取り戻したのかもしれません。


日本の日本人の五感に

歴史の在り続けた島国が故に

海に囲まれた、

純粋種の守られ続けた生命の不思議は

優性遺伝の中には

外国人にはめったにない感受性が

我に気付く前に、、、世界中の秘めたる特異的な素敵なものを

受け入れて、民間交流が続いてきた。

鎖国に時代も、シーボルトが来日して

日本の文化人への合流が、

シーボルトの出逢った日本女性を、、、

アジサイの学名として残していった。


アジサイのごとく美しい,、、オタキサン、、、。

オタクサ、、、という学名を残している。

動植物だけではありませんでした。

日本の美しさは、しばしば外国人を虜にしているようですね。

日本には、、、皇室があります。

「元号」によって今日まで時代が続いてきました。

国民はいつの時代も、天皇陛下と皇后さまを

日本の、象徴と、大人たちから教わりました。

象徴という、永遠に続く光だと思っています、





天皇陛下と
天皇陛下とそっくりな面立ちの

皇太子殿下を
御産みあそばされた
美智子妃殿下は

戦争という
悪魔の通り過ぎた
荒らされた日本だったのに

決して滅びることのない文化の伝承を守られた

「日本のお母様」だと、

私も、多くの同世代の平凡な主婦仲間の皆も、、
不安と、迷いの青春時代が思い出されるのです、

戦後の復活が始まっていましたが、

夢のようなさわやかで、豊かで
洗練された青春が
日本中をフィーバーさせたのでした。

美智子様との軽井沢でのテニスコートの出会いが
当時青年だった皇太子殿下との恋に
日本中が湧きたったのでした。

皇室の恋が、青春の真ん中で
若き女性たちは、ミッチーブームに沸きたちました。

どうして良いのかわからない
混沌とした戦後の価値観の
混乱する心を
女性の愛の力こそ

次の時代にバトンを渡せる力だと、皆、気が付かされました。

世の中には二人と居ないだろう美智子様の
愛という

皇太子殿下の孤独な心の扉を開けた魔法の力が

戦後の絶望しやすい貧困の時代の青年たちを
希望という、皇室の恋の虹が
日本の空に架かったのでした。

お二人の素敵な青春が、

やがて、

国民と皇室の橋となり

国ごと復活するという希望の光が差し込んだのでした。



若い迷いの心が支えられてきました。



美智子様の過ごされた美しい愛情の日々は

美しさが、衰えることのない慈愛の光となって

お年を召された美智子様のお姿から

未来に続く光を感じます。

国民とともに、、、
お手本になって生きてくださった日々。

美智子様はもう、、、永遠にお美しい。
美しいという事は、こういう事だったのですね。

一つの時代を救ってくださった。

陛下の孤独を
国民全部に分けてもなお

孤独なお心は国民にも
どうしてさし上げることも
失礼で、
ただただ、遠くから、祈っているバカりだった

光に包まれた尽きない「愛」を
美智子様は、戦後の主婦たちにも
示してくださった希望の存在でした。



戦争のさなかに、
このような女性が育っていた日本という国は

形でも、
理論でも、
思想を振りかざした
文学でもないと思うのです。

見えない部分の
グレードの高さが

未来永劫、、、

日本の存続の光だと信じて、

私も、後期高齢者突入の老境に入ってゆきます。



元号が日本独自の文化である「万葉集」から選ばれたことも

多くの難しい古典から選ばれるよりも、

今の時代の若者にはわかりやすい古典からであったことに

美智子様の愛の光が

学者や知識人や、作家や、政治家や、
光を知らないものが居ても
永遠の大きな愛情が
照らしだした一冊だと思いました。

うりはめば、、、こどもおもほゆ

クリはめば
ましてしのばゆ、、、まなかいに

もとなかかりて やすいしなさず、、、

60年以上前に、、、教科書に出ていた句を
うる覚えで覚えているままに、
思い出すままに書いてみました。

しろがねも くがねのたまも なにせんに

まされるたから こにしかめやも、、、



少しずつ、、、思い出す子供の頃の教科書。

美智子様は皇太子殿下の孤独を

愛の力で

温かな家庭の世界を示されました。


平成の両殿下は、

国民の心に有った孤独の闇を

光で照らして明るくしてくれました。

皇室は、

神に近い次元の、

心の琴線を揺るがす高度な愛を
知らせてくれたような気がします。

被災地での床にひざをつかれた両陛下のお姿には
茶の間で、、、
涙がぽろぽろ、、、こぼれていました。

天災の悲しみを、御背中で止めてくださっているような

天の心無い災害の悲しみを

御背中に、背負ってくださったような気がしました。

そのお姿は、、
あまりにも神々しくて、

孫の時代の次の時代ぐらいには
理解できる日が来るかもしれない

私の願いが、未来に運ばれた

感謝が表現できる日が
次の時代に引き継がれてゆくのかもしれません。

今日は、自分の為に、
自分に向かって、

キーボードのロボットが
好きなことを書きましたが、

緊張した一日でした。

明日になれば、疲れが取れて

まともな文に

推敲して書き直すことが、できるかもしれません。
とりあえず、感じたことをメモとして
後悔していないブログという

知らない人の球に立ち寄ってくれる

婆ちゃんの日記として「書きました。











美智子様をお手本にして、

生きた時代の私たち昭和10~20年時代の主婦にとって


4月1日1時37分、、、眠れない夜

2019-04-01 01:35:30 | Weblog
今日の11時ごろ

平成の次にバトンタッチされる新元号が

菅義偉官房長官から発表される。

平成という時代の元号が、

自然災害の多い時代であったことが

記憶に残る。

それだけに、日本の国に住む人々には

復興することを願っている。

アジアの国々とも、永久の平和を誓いたい。

あれこれ、、、考えながら、、、眠れない夜を過ごしています。