写真 ベラ・チャフラフスカ
フランス救国の少女ジャンヌ・ダルクは、あまりにも人間離れした活躍を味方からも妬まれ、陰口のために国王からの信頼を失いました。彼女がイギリス軍の捕虜になった際には、身代金で買い戻すことができたのにもかかわらず、国王はジャンヌを見捨てています。
教会も、宗教裁判で彼女を魔女と断定し、さらに牢の中ではレイプを繰り返されていました。
最終的には、「男装した」というだけの理由で、ジャンヌは生きたまま火あぶりの刑に処されました(通常は、処刑後に遺体を火あぶりにする)。
後に、この裁判はやり直され、彼女の名誉は回復されました。現在、ジャンヌはカソリック公認の聖人に叙せられています。
JFKが尊敬した日本の政治家として有名な、米沢藩主の上杉鷹山は、わずか17歳で藩主となり、破綻した藩財政を立て直しました。大飢饉の際にも、米沢藩ではひとりの餓死者も出ませんでした。
こうした奇跡的な政治手腕にもかかわらず、反対派の家老たちから退陣を迫られるなど、妨害が絶えませんでした。
『ロビンソン・クルーソー』でしられる作家デフォーは、政治的なパンフレットを出して投獄されたことがあります。
リンカーンは、メキシコとの戦争に反対して人気を失い、一度政界を去っています。
『天皇機関説』を唱えた美濃部達吉は、その著書を禁書とされ、貴族院の議席も逐われています。
「憲政の神様」尾崎行雄も、演説が不敬罪に当たるとして起訴されたことがあります。
田中正造は、足尾鉱毒事件について何度も政府に質問しましたが、政府も政党も無視し続けました。
現在でも、足尾銅山周辺は汚染されたままです。
マハトマ・ガンジーは、「やり方が手ぬるすぎる」として、独立運動の同志からも批判されていました。
資本家とつながりがあるとして、共産主義者からも攻撃されました。
独立後も、政教分離を訴えたため、狂信的なヒンドゥー教徒によって暗殺されています。
ガンジーの弟子で、インドの初代首相ネルーは、独立運動のために9回も投獄されています。
チャーチルは、所属する保守党の主流派がナチス・ドイツと妥協していることに反対し、長く平議員に据え置かれていました。
鉄の女サッチャーは、改革を断行したために多くの批判を受け、選挙で大敗したこともありました。しかし、辞任半年後のアンケートでは、イギリス史上最高の首相に選ばれています。
ジャネット・ランキンは、アメリカ議会でただ1人、日本への宣戦布告に反対したため、議席を失っています。
彭徳壊は、「大躍進」を批判したためにソ連のスパイだという濡れ衣を着せられ、拷問の末に死亡しています。
中国は「大躍進」を継続し、2年間で2000万人以上の餓死者を出しました。
JFKは、人種差別に反対だったため、南部では不人気でした。
彼が暗殺されたニュースが報じられたとき、南部の人々は立ち上がって拍手したといいます。
モハメッド・アリは、徴兵を拒否したため、3年半に渡って、王座ばかりかプロのライセンスまで剥奪されています。
チェコの劇作家ハベルは、事実を言い過ぎるために、当局から何度も逮捕され、強制労働の刑を受けていました。全作品が禁書となり、獄中では読み書きが禁じられました。それでも彼は、恩赦の請願を拒否しぬいたのです。
民主化の後、ハベルは大頭領に選ばれています。
長距離走の帝王エミール・ザトペックは、チェコの民主派による「2000語宣言」に署名しましたが、民主派失脚と同時にスポーツ界を追放され、炭坑で働いていました。
ベラ・チャフラフスカも「2000語宣言」撤回を拒否したために、コーチの職を奪われました。巻き添えを恐れた友人たちも、彼女から離れていったといいます。
再びの民主化の後には、大統領顧問として祖国の復興に挺身しましたが、息子の過失をきっかけに、バッシングの的になりました。どこの国にも、低俗なマスコミはあるものです。
全てを捨てて大衆に尽くしながら、その大衆からバッシングされたショックは大きく、ベラは精神に異常をきたしました。
彼女は、今も病院で暮らしています。いや、彼女だけが正常で、本当に異常なのは、世の中のほうなのかもしれません。
ゴルバチョフは、自らに与えられた無制限の権力が失われることも覚悟の上で、ペレストロイカを断行しました。しかし、既得権に守られていた層からの反発は激しく、何度も命をねらわれています。
アフリカの太陽ネルソン・マンデラは、アパルトヘイトに反対したため、実に10000日(27年半)に渡って投獄されていました。
砕石の重労働を強制され、家畜用の餌を与えられ、真冬にも寝具は毛布2枚のみ。独房では読み書きも禁止され、1時間が1年にも感じられたといいます。
妻も繰り返し逮捕され、職場を逐われました。長男は不審死を遂げています。
しかし、それでもマンデラは闘い抜き、アパルトヘイトを撤廃したのです。
世の中は嫉妬や利害関係がドロドロと絡み合っているものなので、理想がスンナリ受け入れられることは、むしろ少ないでしょう。あなたも、今、そんな現実に直面しているかもしれません。
しかしそれこそ、あなたが正しいという証なのです。敵がいないとしたら、あなたはまだまだ本物ではないのです。
嘲笑う者には、嘲笑わせておけばいいのです。そうした輩の名が、歴史に残るでしょうか? そんなつまらない輩に媚びるほど、愚かなことはありません。
理想を諦め、現状に流されることを「大人になる」と誤解している人が、世の中には驚くほど大勢います。それは、賢明でも何でもありません。ただ、自分の人生をドブに捨てているだけです。
そんな連中を基準にして、どうするんですか?
あなたは、あなたの人生を輝かせればいいのです。
フランス救国の少女ジャンヌ・ダルクは、あまりにも人間離れした活躍を味方からも妬まれ、陰口のために国王からの信頼を失いました。彼女がイギリス軍の捕虜になった際には、身代金で買い戻すことができたのにもかかわらず、国王はジャンヌを見捨てています。
教会も、宗教裁判で彼女を魔女と断定し、さらに牢の中ではレイプを繰り返されていました。
最終的には、「男装した」というだけの理由で、ジャンヌは生きたまま火あぶりの刑に処されました(通常は、処刑後に遺体を火あぶりにする)。
後に、この裁判はやり直され、彼女の名誉は回復されました。現在、ジャンヌはカソリック公認の聖人に叙せられています。
JFKが尊敬した日本の政治家として有名な、米沢藩主の上杉鷹山は、わずか17歳で藩主となり、破綻した藩財政を立て直しました。大飢饉の際にも、米沢藩ではひとりの餓死者も出ませんでした。
こうした奇跡的な政治手腕にもかかわらず、反対派の家老たちから退陣を迫られるなど、妨害が絶えませんでした。
『ロビンソン・クルーソー』でしられる作家デフォーは、政治的なパンフレットを出して投獄されたことがあります。
リンカーンは、メキシコとの戦争に反対して人気を失い、一度政界を去っています。
『天皇機関説』を唱えた美濃部達吉は、その著書を禁書とされ、貴族院の議席も逐われています。
「憲政の神様」尾崎行雄も、演説が不敬罪に当たるとして起訴されたことがあります。
田中正造は、足尾鉱毒事件について何度も政府に質問しましたが、政府も政党も無視し続けました。
現在でも、足尾銅山周辺は汚染されたままです。
マハトマ・ガンジーは、「やり方が手ぬるすぎる」として、独立運動の同志からも批判されていました。
資本家とつながりがあるとして、共産主義者からも攻撃されました。
独立後も、政教分離を訴えたため、狂信的なヒンドゥー教徒によって暗殺されています。
ガンジーの弟子で、インドの初代首相ネルーは、独立運動のために9回も投獄されています。
チャーチルは、所属する保守党の主流派がナチス・ドイツと妥協していることに反対し、長く平議員に据え置かれていました。
鉄の女サッチャーは、改革を断行したために多くの批判を受け、選挙で大敗したこともありました。しかし、辞任半年後のアンケートでは、イギリス史上最高の首相に選ばれています。
ジャネット・ランキンは、アメリカ議会でただ1人、日本への宣戦布告に反対したため、議席を失っています。
彭徳壊は、「大躍進」を批判したためにソ連のスパイだという濡れ衣を着せられ、拷問の末に死亡しています。
中国は「大躍進」を継続し、2年間で2000万人以上の餓死者を出しました。
JFKは、人種差別に反対だったため、南部では不人気でした。
彼が暗殺されたニュースが報じられたとき、南部の人々は立ち上がって拍手したといいます。
モハメッド・アリは、徴兵を拒否したため、3年半に渡って、王座ばかりかプロのライセンスまで剥奪されています。
チェコの劇作家ハベルは、事実を言い過ぎるために、当局から何度も逮捕され、強制労働の刑を受けていました。全作品が禁書となり、獄中では読み書きが禁じられました。それでも彼は、恩赦の請願を拒否しぬいたのです。
民主化の後、ハベルは大頭領に選ばれています。
長距離走の帝王エミール・ザトペックは、チェコの民主派による「2000語宣言」に署名しましたが、民主派失脚と同時にスポーツ界を追放され、炭坑で働いていました。
ベラ・チャフラフスカも「2000語宣言」撤回を拒否したために、コーチの職を奪われました。巻き添えを恐れた友人たちも、彼女から離れていったといいます。
再びの民主化の後には、大統領顧問として祖国の復興に挺身しましたが、息子の過失をきっかけに、バッシングの的になりました。どこの国にも、低俗なマスコミはあるものです。
全てを捨てて大衆に尽くしながら、その大衆からバッシングされたショックは大きく、ベラは精神に異常をきたしました。
彼女は、今も病院で暮らしています。いや、彼女だけが正常で、本当に異常なのは、世の中のほうなのかもしれません。
ゴルバチョフは、自らに与えられた無制限の権力が失われることも覚悟の上で、ペレストロイカを断行しました。しかし、既得権に守られていた層からの反発は激しく、何度も命をねらわれています。
アフリカの太陽ネルソン・マンデラは、アパルトヘイトに反対したため、実に10000日(27年半)に渡って投獄されていました。
砕石の重労働を強制され、家畜用の餌を与えられ、真冬にも寝具は毛布2枚のみ。独房では読み書きも禁止され、1時間が1年にも感じられたといいます。
妻も繰り返し逮捕され、職場を逐われました。長男は不審死を遂げています。
しかし、それでもマンデラは闘い抜き、アパルトヘイトを撤廃したのです。
世の中は嫉妬や利害関係がドロドロと絡み合っているものなので、理想がスンナリ受け入れられることは、むしろ少ないでしょう。あなたも、今、そんな現実に直面しているかもしれません。
しかしそれこそ、あなたが正しいという証なのです。敵がいないとしたら、あなたはまだまだ本物ではないのです。
嘲笑う者には、嘲笑わせておけばいいのです。そうした輩の名が、歴史に残るでしょうか? そんなつまらない輩に媚びるほど、愚かなことはありません。
理想を諦め、現状に流されることを「大人になる」と誤解している人が、世の中には驚くほど大勢います。それは、賢明でも何でもありません。ただ、自分の人生をドブに捨てているだけです。
そんな連中を基準にして、どうするんですか?
あなたは、あなたの人生を輝かせればいいのです。