英語を読む練習で心がけていること

2010年11月15日 17時11分26秒 | 自分の意見の陳述
最近の私の練習で心掛けていることは、声の大きさというか強さです。
どのくらいかといえば、私の部屋は二階にあるわけですが、窓を閉めていても下にもし人がいれば声が聞こえていて何だろうとおもわれるかもしれないと気をもむくらいです。実際にはそこに人はいないわけです。一階で通りに面していたら確実に外に聞こえそうです。その声の強さは自然にそうなったのです。実際のしゃべりではそれとは違います。NCCj で欧州発の報道をするときに眼鏡をかけた男の人が出ますが、その…さんという感じみたいです。

蚊が鳴くような声、小さな声では、何かが鍛えられない。何か大事なものが落ちていると思われます。ある程度の声の強さでしゃべるから初めてわかるものというものがあります。たとえば、間の取り方です。私の理屈による理論だと、たとえば、前置詞を伴う句の場合には、前置詞の前で間をとればいいということになります。それは間違っていないのであり、そのことが役立つ場合はありますが、ある程度のつよい声で英語をしゃべると、その理論は変容していかざるを得ません。どのように変容するか? 「とまるまるとこで、とめたらいいんだ。好きなようにやったらいいんだ」と変化します。よくnative speaker が1つのセンテンスを終えたあと、次の文章の頭のbecause まで言い切って、間をとるのは、たとえばそういうことでしょう。理屈はbecause の前で間をとるのだと言ってもおかしくはないわけです、そのほうが一般的と思われます。

要するに体で体得できるものがある。それと言葉の運用では無意識に言葉を繰り出してゆく何かが必要なわけです。そうした能力は、蚊が鳴くようなしゃべりからは身に付かないと私は思います。

もし喫茶店で座って、英語をしゃべれば、周りに迷惑をかけないような、ぶつぶつとは言いますが、しゃべりもできるのですが。

本当に自分の中の能力を鍛えようとするときは、かなりの力を込めてしゃべれと、私は言いたい。
コメント
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