同時通訳夏季集中講座の受講生のイメージ

2010年06月16日 11時54分59秒 | 自分の意見の陳述
どのくらいの英語能力があればご案内の講座が楽しく受講できるか考えてみたいと思います。
英検で言えば準1級を合格しているかまたはその合格を目指しているくらいの人。TOEICでいえば750以上くらいのスコアの人。700でも可能と思います。

講座では実演もあるでしょう。そこでうまくやれる、やれたは問題ではありません。その過程で、方法論における何か、something、をつかんでほしいのです。

講師の井上美則(ヨシノリ)(男性)は豊かな経験をお持ちの国際会議通訳者です。セミナー終了後の懇親会も企画しています。

同時通訳ー英語は英語で考えろー

2010年06月16日 11時18分34秒 | 自分の意見の陳述
よく、英語で話すとき、英語は英語で考えろ、日本語の発想法をいれるな等々言われます。これは間違いではないでしょうが、ここには落とし穴があります。

英語は英語で考えろというのは、英語は英語という言語の文法体系を持っていますから、英語で話す時には英語の文法に沿わなければいけないという当たり前のことを言っているの過ぎないと、わたしは思います。

同時通訳の修行を積んできましてわかることは、日本語も英語も共に向上させなければいい会議通訳者にはなれないということです。そして両方の言語間で瞬時にキャッチボールができる頭を鍛えることが重要と思います。ここで言いたいことは、日本人として生まれて生きていく限り、英語がうまくなりたいからと言って、日本語がどうなってもいいという考えカに立ってはいけないということです。外人崩れのような国籍不明のわけのわからない日本人になってはいけないのです。しっかりとした日本語がしゃべれかつ世界に通じる英語が話せる日本人でなければいけない、と思います。日本人が日本語による思考を捨てていきていくことは出来ません。そこで、その日本語に着目すると、漢字、中国語がたくさんあります。漢字とは概念を表すものです。ひらがなには概念ない。漢字で鍛えられた私たち日本人にとってそれに等価の英語に至るみちは難しくありません。つまり概念を表す漢字に相応する英語はまず基本的に存在する。その間を自由に行き来する能力が大事なのです。漢字を組合わせて新たな概念が出来たときその概念を英語でどう表すかも漢字そのものが教えてくれます。漢字と漢字の組み合わせの関係がカギとなるでしょう。我々にとって英語能力の向上とはどのような概念でも英語で表現できる能力の獲得とも言えます。英語表現とは、それら名詞、名詞句、名詞節を適当に文章中に並べることだとも言えます。

つまり、日本語、とくに漢字能力の向上とともに、それを等価の英語に変換できる能力が重要なのです。

そんな事などを、同時通訳夏季集中セミナーで勉強してほしいと思っています。

同時通訳夏季集中講座に関連して

2010年06月16日 10時32分03秒 | 自分の意見の陳述
5月26日の投稿記事で標記の案内をいたしております。詳しくはhttp://fais-japan.org をご覧ください。

ここで、同時通訳の訓練が、もし普段同時通訳の仕事をしていなくても他の英語能力向上にどのように寄与するかを説明します。

同時通訳は一つの技術であり、英語に関する一般能力があっても、一定の理解と訓練を経なければ難しい分野だと思います。またチームワークも必要です。で、一般にはこの分野で仕事をする人は多くないのですが、私はその他の方ににもここでの勉強法は経験されたら有益だと思います。

①学習の仕方が、受け身の姿勢から、攻めの姿勢に変わる。

普通一般に英語を学ぶと言ったとき、英語を読んで聞いて日本語に変換するケースが多いのです。しかし、同時通訳では日本語を英語に、英語を日本語に変換します。両言語に対する意識、が必要です。つまり、日本語だって、商品価値のある言葉であらねばなりません。それは発声法も含めてです。この中で、日本語から英語に変換する過程が、攻めの姿勢に変わると言いたいのです。

(その具体的意味あい)
日本語を英語に変換すると言っても、学校のテストで満点を取ろうといういうな英語の発想とは違います。要するに、話者の言わんとする意味内容を伝えるのが目的です。よって、言葉を個々に訳していくのではない。むしろ飛ばすこともある。短く言って伝わるならそのほうがより優れた会議通訳者の仕事となる。話す中身の約三分の一を伝えば意味は伝わると言われています。話者がしゃべったことを丁寧に訳したらそれがわかりやすい会議通訳になっているとは必ずしも言えないのです。要するに聞いている人にとってわかりやすいアウトプットは何かです。こういうことを考えるようになると、日ごろから、日本語についても観察力、分析力が高まります。その結果、たとえば下手な日本語の話者の日本語は通訳者が勝手に直していかねばなりません。下手につきあうことはできないのです。それくらい日本語というものに神経がとぎすまされてゆきます。

要するに、日本語を等価の英語に変換する過程(学校のテストでいい点数をとるというような目的ではなく)、それがきわめて有益であると言えます。

(続く)