もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

ロシアの暗殺劇に思う

2020年08月27日 | ロシア

 治療のためにドイツに移送されたロシアのアレクセイ・ナワリヌイ氏から神経系成分が検出されたことをメルケル首相が公表した。

 ナワリヌイ氏は、ロシア汚職蔓延やプーチン大統領の政策批判などから反体制活動家の中心的存在であったが、トムスク空港で飲んだお茶が原因とされる中毒症状で倒れたとされている。収容先の病院は毒物中毒の可能性を否定していたが、家族の要求でドイツに移送されていたものである。神経毒による暗殺(未遂)はソ連・ロシアのお家芸とされ、過去の例では1974年に反体制作家ソルジェニツィン氏を神経毒針(トウゴマから抽出されたリシン)で襲撃(暗殺未遂)、1978年にブルガリアから亡命してソ連圏の言論弾圧などを批判した作家ゲオルギー・マルコフ氏がロンドンでリシンを仕込んだ傘で刺され死亡、2004年にチェチェン紛争でのロシア軍の残虐行為を批判した記者のポリトコフスカヤ氏が機内で出された紅茶で意識不明の重体(後回復)となったが2006年に自宅アパートのエレベーター内で射殺、2006年にロシアの元スパイのアレクサンドル・リトビネンコ氏が亡命先のロンドンのホテルで飲んだ緑茶に混入されていた猛毒の放射性物質(ポロニウム210)で死亡。2018年にイギリスのスパイとして13年の禁固刑を宣告されたがスパイ交換でイギリスに亡命したロシア軍情報機関のスクリパリ大佐と娘ユリア氏が意識不明で発見(後回復)された事件でも旧ソ連で開発された神経剤(ノビチョク)が使用された。これらの実行にソ連・ロシア政府は一切関係ないと否定しているが、使用された毒物がソ連時代に開発されたものであることから、ソ連(ロシア)の中枢が指示したことは確実視されている。1922年にレーニンが反革命分子・反動分子・反体制派の摘発・抹殺を目的として創設したGPU(国家政治保安部)~1954年からソ連崩壊まで存在したKGB(ソ連国家保安委員会)は、CIA(アメリカの中央情報局)・モサド(イスラエル諜報機関)とともに世界屈指の諜報機関と云われてきたが、荒っぽいことでも有名で多くの暗殺を実行したとされている。プーチン大統領もKGB出身であることから政敵や反体制分子を暗殺という手段で排除することにためらいを見せることもないように思う。日本でも政敵を葬るための暗殺は、大化の改新~明治維新~終戦と多発しているが、戦後に起きた思想犯的暗殺は、1960(昭和35)年に社会党委員長であった浅沼稲次郎氏が立会演説会で右翼少年に刺殺された事件、2002(平成14)年に民主党衆議院議員石井紘基氏を行動右翼団体員が刺殺(主因は金銭トラブル?)、2007(平成19)年に選挙運動中の長崎市長伊藤一長氏が山口組系暴力団員に射殺された事件の3件であるように思う。

 敵対勢力のリーダーを暗殺という手段で排除するのは、競争相手を手っ取り早く排除できるとともに恐怖感を与えることで敵対意志が結集することを防ぐために有効であることから、洋の東西を問わず繰り返されている。敵対勢力を粛清・失脚という表現で抹殺できる中国や北朝鮮、暗殺を躊躇しないロシアや途上国に比べて、日本の政治家は安閑としていられる。粛清や暗殺は指導者が敵対勢力の力やリーダーのカリスマ性に危機感を持つことによって引き起こされることを考えれば、お花見の顛末追及が最大の政治活動である日本の野党指導者は極めて安泰に政治活動ができるし、相手が脅威を感じるほどのカリスマ性もない。逆に、政敵として光り輝けば身に危険が及ぶことを知っているために、敢て国政の根幹にかかわる問題には異を唱えずに、重箱の隅をつつく程度が自分の政治信条と仮装しているのかも知れない(笑)。


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