ゴルバチョフ氏の告別式の模様が報じられた。
告別式はロシア大統領府儀典局が執行して儀仗隊が派遣されるなど国葬に殉じた形で行われたが、ゴルバチョフ氏を「ソ連邦解体の戦犯」と批判し続けたプーチン大統領は参列しなかったと報じられている。
ゴルバチョフ氏の事績を振り返ると、氏は社会主義的改革でソ連邦は維持できるとの判断からグラスノスチ(解放)、ペレストロイカ(再構築)を推進したが、結果的には自身が望まぬ形でのソ連邦解体に至ったとされている。このことによって、戦後40年以上続いていた米ソ冷戦は終結し、ソ連邦を構成していた地域は相次いで主権を回復し、氏はノーベル平和賞を授与された。
氏の功績は、西側諸国からは高く評価されているものの、ロシア国内では、共産党指導の下に保たれていた一応の安定と秩序を破壊し、イデオロギーによる階層分断を招き、貧富拡大によって弱者が切り捨てられた、などの評価の方が高いとされている。
かって、中曽根康弘氏は「政治家は歴史の場で被告とされる覚悟を持つべき」を政治信条とされていたが、政治家・政治的所産については短時日・単眼的な視点から評価されるべきでないことを示しているように思っている。
ゴルバチョフ氏以外にも、金大中氏は太陽政策によって北朝鮮を国際的対話の場に呼び戻したとしてノーベル平和賞を授与されているが、現在では氏の太陽政策は北朝鮮に核兵器開発の技術・資源・時間を与えたに過ぎない愚策であるとの評価が定着している。
沖縄の無血返還を実現した佐藤栄作氏も平和賞を受賞されているが、野党の反対を緩和するために繰り返した「非核3原則」は、今や核武装について政治家が口にすることさえ許されない・国会でも論議し得ない「非核5原則」にまで肥大化し、国防の最大ネックと化している。
安倍晋三氏の国葬に関する反対理由のうち「法律に無い」が喧しいが、世界の殆どの国で国葬は法律に依らず不文律で行われているのは、タイムリー若しくは現在進行形に政治家や故人を評価することは不可能であることを物語っているように思える。第一、政治家の多方面に及ぶ活動を定量的に測ることは政治的・思想的に無色の知識人と雖も不可能で、さらに我々レベルでも発言のツールを持つ現在では例え法律に規定されたとしても「全国民挙っての国葬」などは考えられない。
戦後に民間人として唯一国葬を賜った吉田茂氏に対しても、サンフランシスコ平和条約で単独講和に踏み切ったことについて社会主義的傾向を持つ人は未だに全面講和であるべきであったと主張している。
「国葬法令」の整備を説く方に伺いたい。「貴方の考える国葬の基準は?」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます