もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

「安倍さん」でいいのか?

2020年02月17日 | 与党

 つけっ放なしのテレビから流れる「安倍さん」に違和感を感じた。

 番組はニュースバラエティーで、MCの宮根誠司氏が政府の対応についてコメントするものであったが、宮根氏は「安倍さん」を連発していた。そういえば関口宏氏も同様である。何時の頃からか、TVは自国の総理を「さん付け」で呼ぶようになり、我々視聴者もさして違和感を感じなくなってしまったのだろうか。好悪は別にして1国の指導者に対して「○○さん」は無いのではないだろうかと思って調べてみた。デジタル大辞泉の解説には【「さん」は「様」から転化したもので、人を表す語や人名・役職名・団体名などに付いて尊敬の意を表す。また、動物名などに付けて親愛の意を表すこともある。「お嬢さん」「田中さん」「部長さん」「お猿さん」』となっているが、自分では「さん」は尊称ではなく同僚間や社会的地位が判らない人との人間関係を和らげるために使用するもので、社会的地位がはっきりしている人には「役職」を、無位無官ではあるが人格者(又は人格者らしい人)に対しては「先生」と尊称するのが普通で、そこから「先生と 呼ばれるほどの 馬鹿で無し」の川柳も諧謔味を持つと思っている。時代劇では征夷大将軍を、庶民は「公方様」幕臣は「上様」と表現しているように「様」は依然として尊称であるが、現在使用されている「さん」は既に尊称ではなく呼び捨てにするのははばかれるための便利ツールでしかないように思える。メディアでは、従来呼び捨てであった犯罪者に対しても容疑者・被告・受刑者と語尾に付けて報道しているが、総理を「さん」と表現するのも軌を一にしたものかも知れない。尊称が混乱している例は他にもあって、ローマ教皇が来日した際には「ローマ・カトリック教会教皇のフランシスコが・・・」なる報道もあった。教皇の言葉を何処に付けようとも尊敬表現とする感覚であろうが、尊称とするならば「ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇」とすべきであり、前述の表現が許されるならば「日本国総理の安倍が・・・」なる中韓式表現も尊敬表現となる。

 宮根氏、関口氏にすれば「政治を卑近なものに」「親しみを込めて」という思惑を持っているのかも知れないが、言葉を操ってメディアに糊口を求め、公共の電波を世過ぎの手段にするからには、正しく(古来からの日本感覚による)尊称を使用して欲しいものである。甚だしい例では、皇族に対しても「美智子さん」「雅子さん」と呼ぶ例もあるのは、尊称の崩壊以上のものを感じる。特権階級の観念が比較的薄いとされるアメリカにおいても、大統領記者会見の最後には代表記者が「Thank you sir Mr. President(有難うございます大統領閣下)」と締めくくるのが慣例とされているそうである。ネットに氾濫する呼び捨て表現は論外としても、「安倍さん」が「礼を重んじる国」を崩壊させる蟻の一穴になりかねないと懸念するところである。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿