もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

高齢者の分別

2019年04月08日 | 社会・政治問題

 自分と同世代と思われる高齢者の無分別行動が相次いでいる。

 名古屋市の地下鉄で、ドアの閉鎖を妨害して発車を遅らせる動画が放映された。妨害は、閉まりかけたドアの間に手を差し入れるもので駅員の制止にも拘らず複数回(7回?)にわたって繰り返されたとされている。目撃者によると酒に酔っている様子はなかったとされているが、一体何の思惑でやったのだろうか。現在、電脳空間には若者の不適切な動画が満ち溢れており社会的に顰蹙を買っているが、迷惑行為・反社会行為は年寄りにも波及しているようである。動画を見た限りでは、自分よりは遥かにましな服装で現役時代には相応の地位にあったのかと推測されるほどであるのに。また、日本ブランドとして保護すべき和牛の受精卵と精液を6百数十万円で中国に売った牧場主は70歳であり、職業を考えれば自分の行為が及ぼす影響は十分に理解していたであろうことを思えば、出来心・金欲しさでは済まされない出来事もあった。その他にも、ゴミ屋敷、私道の閉鎖、騒音トラブル、等々高齢者の無分別な行為の報道は日常茶飯事の状態である。分別という言葉の意味を調べたら『世事に関して、常識的な慎重な考慮・判断をすること、またその能力』と書かれていた。自分を顧みても、高齢者たる者は、自己の来し方に確固たる若しくはそこはかとない自尊心を持っており、そこから導き出された(体得した)尺度を以て、世過ぎしているものと思う。その尺度が独善で時代遅れであった時に、世間との軋轢を生むのではないだろうか。自分たちが青年であった頃も、独善的で時代遅れの頑固爺がいっぱいいた。というより、ほぼ全ての高齢者がそうであったように感じられるが、腹中で「クソ爺」と罵って辛抱しなければならなかったのは、クソ爺の言うことが「モットモ」で「分別ある」正論であったからである。しかしながら、昨今報じられる高齢者の迷惑行為には分別のかけらも見当たらないもので、ネット上には“老害”という言葉さえ飛び交っている。ゆとり世代の言動をあげつらう前に、分別を持つ老人であらねばならないと思う昨今である。

 とはいうものの、何とかして「分別さだからぬ我意」を押し通そうとする、自分がいることも確かである。
 ここは、河島英五氏の「時代おくれ(作詞:阿久悠)」をバイブルとして、社会の片隅でひっそりと暮らすべきか?
 【時代おくれ】抜粋
   目立たぬように はしやがぬように
   似合わぬことは 無理をせず

   ねたまぬように あせらぬように
   飾った世界に 流されず

   時代おくれの男になりたい




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