もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

森雅子法相・振袖火事・性善説

2020年03月15日 | 与党

 森雅子法相の検察官逃亡発言が炎上している。

 発言に至る経緯や背景はさておき、下敷きとなったのは東日本大震災時に福島地検が逮捕・勾留中の容疑者計33人を処分保留で釈放したことである。検察関係者は「震災の影響で、容疑者の身柄の安全確保や被害者からの聴取など捜査の遂行が困難になったため」と説明しているが、福島県警は「裏付け捜査や護送のための警察官は配置し、留置場の食事の確保もできていたので釈放の理由を警察の事情とするのは論外だ」と反論し、当時の法務大臣江田五月氏も後に「不適切であった」と陳謝していることから福島地検の態勢や人員が十分でなかったことは考えられる。また、釈放決定が民主党政権の意志によるものか否かは不明であるが、震災の半年前に起きた「尖閣水域で巡視船に体当たりした中国人船長を政治的判断で釈放」したことと同根ではないかとも噂されている。地検は処分保留で釈放した者は軽微な事件の容疑者としていたが、実際には強制わいせつ容疑者や覚醒剤取締法違反容疑の暴力団組員も含まれており、さらには処分保留者の一部が再犯を起こした事例もあったことから釈放の是非が問われるものであった。災害に伴う囚人の釈放で思い出されるのが、振袖火事と呼ばれる明暦の大火での「切り放ち」である。火勢の迫った小伝馬町の牢屋奉行である石出帯刀吉深は、焼死しそうな罪人たちを哀れみ、大火から逃げおおせたら必ず戻ってくるように申し伝えたうえで、罪人たちの「切り放ち」を独断で実行した。罪人たちは涙を流して吉深に感謝し、結果的には約束通り全員が戻ってきた。吉深は「罪人たちは大変に義理深い者たちであり、死罪も含めた罪一等を減ずるように」と老中へ進言・幕府も減刑し、緊急時の「切り放ち」が江戸幕府施政下で制度化されるきっかけにもなった。自説の繰り返しになるが、この「切り放し」に現在の司法・行政が「諸人の性すべて善」とする性善説で法律を操る原点(盲点)があるように思える。明暦の「切り放し」では、死刑囚までも「牢屋奉行の温情」に感泣して牢屋奉行が処罰されることを危惧して「走れメロス」的に出頭したが、保釈犯が逃亡を図ったり児相が帰宅させた児童が虐待死させられることが相次ぐ昨今の風潮と民心では「明暦の切り放し」は成立・再現し得ないだろうと思えば、福島地検の対応は疑問符が付けられて当然であろう。

 森法相は、東京高検検事長の定年延長に関する検察庁法と国家公務員法の法解釈変更を巡って立ち往生しているが、検察官逃亡発言でさらに追い詰められる格好となった。しかしながら、大震災では身を挺して奮闘した多くの人々の陰に、岩手県選出でありながら震災後半年近く沖縄で生活した小沢一郎氏のような人物もいたことを思えば、森法相の「検察官逃亡」発言にも一片の真実が隠されているのかも知れない。指導的立場にあるか否かを問わず、「瓜田に沓を納れず。李下に冠を正さず」は肝に銘ずべき格言・箴言であるように思える。


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