自分は「なにじん」なのだろうかと考えるが良く分からない。
人類学的にホモサピエンス種・モンゴロイド属であるのは確かであろうが、日本人と呼ばれる特有のDNAを持っているわけでもなく、単に日本国籍という資格を政府から与えられ庇護されている「日本国民」に過ぎないのだろう。
中学校社会科のレベルで止まっている自分の知識では、国家とは「領土を持ち」「住民がいて」「統治機構(政府)を持っている」ことであり、それぞれは不可分の関係にあると思っている。さらに、それらに優先順位を付ければ、第1位は「領土」であり、第2位は「住民」で「住民が選ぶ政府」は最後に位置付けられるのではとも思っている。
ウクライナ事変を観ても、根本はロシアの領土欲から発したもので、ロシアとしてはウクライナを領土とさえしてしまえば、住民は選別や植民が可能で、統治機構(政府)は自国制度を当て嵌めることで意のままに解決できると考えているのは明らかである。中国の香港政策も同様で、さらには香港の成功を台湾にも及ぼそうとしている。
日本のこれまでを考えると、日本国経営や住民の権利保護には「領土」が不可欠であるという認識が薄く、ましてや他国が列島の領有を目論むことなど未来永劫起きないと信じ、そのことが、「必要最小限の自衛力」という世界的に奇形な概念を産み出すとともに、「国のために戦う10%の青壮年」というG20内で最低の意思を育てたように思える。
現在でも、領土保全を一義・優先する思想を異端視・排斥し、国民の権利・安寧こそが重要と説く政党があるが、領土を失えばそれらは一夜に霧散霧消してしまう幻であることを黙しているだけであると思っている。
大阪ナオミ氏は日本人と呼ばれるが、日本国政府の庇護は一切及んでいないだろうことから云えば、日本人と呼べても日本国民と呼ぶのは失礼であるように思える。
広義のユダヤ人は3000年間領土を持たなないままに世界各国で生存し続けたが、ユダヤ教と独自の民族精神を維持し続けた。
ジプシーと呼ばれる人々は、10世紀に突如現れて欧州を中心に各地を放浪した(している)が、独自の文化を保ち続けた。
「領土」ということに左程意味を持たないこれらの生き方・歴史を眺めると、「領土」は生存のために不可欠では無いと云えるかもしれないが、自分のような凡人には「日本領土内に住む日本国民」という生き方しかできないように思える。
私の考える国家は、領土、国民、政府が一体となったもので、優先順位はありません。
国に住んでいるのは国民で、住民ではありません。政府は、領土と国民を守ると同時に、国民の安寧のための政(まつりごと)をする組織です。
日本の左翼学者は政府を国民に対立する権力組織とみて、常に批判攻撃しますが、日本に特有の考えに過ぎません。
自由な日本ですから、それで良い気もしますが、なんとなく残念な今回のご意見です。
コメントと御指摘を有難うございます。
自分が国家の要件の一つを「国民」ではなく「住民」としたことと領土を第一としたことにについて、補足させてください。
「国民」とは国家に帰属するからそう呼ばれるだけで、国家が無ければ単なる住民というしかありません。
例えば、パレスチナ問題では、PLOという擬似政府があり、PLOによる統治を希望する住民もいましたが、世界は彼等が領土を持たないという一点でパレスチナ国家を認めませんでした。近世以前の国家の創設を考えれば、力を持ったものが一定の支配地(領土)を得て、域内の住民を従わせるという構造でしたので順序は曖昧ですが、領土がなによりも重要な位置を占めることに変わりはないと考えています。
外国籍の人間でも、その土地に長く暮らしていれば住民と呼びますが、国民ではありません。
貴方のご意見では、外国人も日本に住んでいれば、国の三要素とし要件を満たしていることとなりますが、果たしてそれで良いのでしょうか。
一般論でなく、具体論として考えた場合、反日教育を受け日本を敵視し、騒動を起こす敵対国の人間を、住民という括りの中で是認するのでしょうか。
他国の話も大事ですが、今日の情勢下ではまず日本を第一として考えるのが、妥当である気が致します。
日本には現在、国土があり、国民がいて、政府があるのですから、思考をここから始めるべきで、国のない民族の話を重要視しますと、土台から崩れてしまいます。
しかし貴方が、土台から崩して日本を考えようとされているのなら、それは思想の自由ですから、私が意見を述べる必要はなさそうですね。
「領土保全を一義・優先する思想を異端視・排斥し、国民の権利・安寧こそが重要と説く政党があるが、」
このご意見を読みますと、貴方の考えられていることが反日野党勢力への批判であることも伺えます。
大きな体系の中でのご意見のようなので、一部を捉えた私の意見は、貴方には不都合と思えるのかも知れませんね。
余計なコメントを入れましたこと、ご容赦ください。
この度は未熟な表現であったと反省しております。
行き過ぎた反日の振り子を正そうとする貴兄と交歓できたことを感謝いたします。