中国のコロナ事情がメディアを賑わしている。
中国では、ゼロコロナ反対デモに「共産党・習近平退陣」のプラカードやシュプレヒコールが目立ち始めた結果、政府は已む無くゼロコロナ政策の緩和(撤廃)に踏み切った。
これで大手を振って外出・旅行・観光・ビジネス行動が解禁され、街はさぞや多くの人出で賑わっているかと云えば、現地から伝えられる限りの情報ではそうでもないようで、義務付けられていたPCR検査場は閑古鳥が鳴く半面、発熱外来には数倍の患者?が押し寄せ、救急車の出動も数倍に跳ね上がったようである。
信頼のおけない公式発表でも北京の罹患者は1万人に迫る勢いとされているので、東京を含む大都会の実情に近い様相ではなかろうかと推測している。更に悪意を以って勘繰れば、公徳心と民度に難ある国民性を加味すれば、日ならずして世界一の栄冠を手にすることも夢ではないと思える。
中国のゼロコロナ緩和にあっては、「白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき」が思い出される
600石の家禄から身を起こして大名・老中に上り詰めた田沼意次は、伝統的な経費削減などの緊縮政策を維持する傍らで、米作以外の殖産振興・経済改革によって一時的には幕府の金蔵を増やし世情も好況であったものの、通商・経済政策の多くが許認可利権を伴うものであったために、賄賂が横行して失脚の憂き目にあった。
田沼に代わって老中となった白河藩主松平定信は、奢侈の禁止を柱とする緊縮政策を以って腐敗政治打破を目指す寛政の改革を推進したが、幕閣・民衆の支持を得られずに僅か6ヶ月で頓挫してしまった。
1ヶ月後の中国国民の慨嘆を想像するに、行動緩和によってコロナは猖獗、医療体制も逼迫して救急車はもとより入院加療も順番待ちという状態に陥って、「もとの赤い(共産党)ゼロコロナ恋しき」となるのではなかろうかと思っている。
近年、「お上のすること」には、「反対することが国民の義務と捉える正義漢」が、「政府発表の陰には真実が隠されているというQアノン」が、SNS社会を中心に広がっているように思える。
昭和40年代までは横文字看板が蝟集する横須賀のドブ板通りは、半分お上である上級司令部から立入り制限区域とされていたが、「制限の裏には、味わせてはならない何かがあるのだろう」と考える自分がいた。所謂「Qアノン」の小型版であったと思うが、結果としては米兵と喧嘩になって運良く米軍SPに救われた思い出だけに終わってしまった。
愚にもつかない小型Qアノンの顛末を添えて、終演。
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