もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

自衛隊の災害派遣につて

2020年08月31日 | 自衛隊

 本日は、個人的な述懐を兼ねての海上自衛隊の即応態勢の紹介である。

 日本航空123便(B747)墜落事故が起きた1985(昭和60)年8月12日、自分は墜落地点とは直接関係しない陸上司令部に勤務していた。我々が事故を知ったのは「日航機の消息不明」というNHKのニュース速報であった。おそらく桧町(東京都)の海上幕僚監部や、横須賀市の自衛艦隊司令部等では空自のサイト情報によって消息を絶った場所が群馬県の上空であることを知っていたものの、自分の所属していた司令部は緊急出動の対象外として情報配布の対象から除かれていたものであろうと思っている。しかしながら、ニュース速報を見た時から司令部は航空救難・緊急出動に向けて一斉に動き出した。海上自衛隊では、自衛艦の定係港や艦隊集結地ごとに応急出動艦を、航空基地に於いては応急出動機をそれぞれ指定して、速やかに出動できる態勢を執っている。日航機消息不明の速報は19時前であったと記憶しているが、司令部では情報収集に当たる一方で、応急出動艦・応急出動機に出動待機を下令、また、遭難機が大型機であることから、修理中を除く全艦艇・航空機にも出動準備を加速するよう命じた。隊員は既に上陸・外出した状態、加えて夏季休暇期間中であったが、航空機は10分程度で、艦艇も40分程度で待機完成と報告されたように記憶している。ここで、出動を命じられた部隊の対応を紹介すると、応急出動機は当直のクルーと基地要員で飛ばすことができるため比較的短時間で準備を整えることができるが、艦艇は任務遂行のためには主要幹部と1/2以上の乗員・できれば2/3以上の乗員が必要であるために乗員の呼集に時間が必要となり、機関の準備にも相当の時間が必要となる。出動部隊以外も、物資の緊急補給・輸送・出港支援等の業務が要求されるので、艦艇1隻を緊急出港させるためには、全部隊が即応することになる。20時過ぎには墜落の場所が概ね特定されたこともあって部隊に対する待機の指示は解除され、部隊と隊員は通常勤務態勢に戻ったが、隷下部隊の即応度を測る機会ともなったことを記憶している。

 お気づきの方も多いと思うが、この出動準備は上級司令部からの命令や首長からの災害派遣要請に基づくものでは無く、部隊独自の判断で最悪の事態に対する準備を行ったことである。阪神淡路大震災では、自衛隊への災害派遣要請が兵庫県知事の思想的な理由から発災後4時間を要したことを思い出す人も多いと思うが、自衛隊出動の遅速が問われる最大のネックは、文官である命令者や要請者の逡巡であるように思う。部隊指揮官は、拙速も可・初動全力の原則から直ちに要求されるかも知れない最大の準備を行うが、根回し・熟慮・前例に縛られた文官の決断・Goサインが遅いようにも感じられる。一方で、阪神淡路大震災の教訓から災害派遣要請の手続きが緩和されたこともあって、首長等は要請しやすくなった半面、派遣部隊を都合のいい無料の労働力として瓦礫の撤去まで従事させる自治体もあるとされていることは憂うべきことである。自衛隊は社民党の提唱する国土建設隊ではなく、銃を取ることが本分であり、災害派遣は緊急な民生支援に限ることを知って欲しいと願うところである。


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