福島原発事故メディア・ウォッチ

福島原発事故のメディアによる報道を検証します。

毎日新聞が武装させた原発文化大革命の紅衛兵「ゆうだい君」:原発推進の反撃攻勢がはじまった!

2011-06-08 23:39:12 | 新聞
日々の福島原発の状況はまったく改善していない。メルトダウンした核燃料の処理の見通しもたたず、放射線放出(台風シーズンもすぐそこ!)の防止策もなく、そのうえたまりにたまった汚染水をまた海に流そうとしている。どれ一つをとっても、こんなときでなければ、その一つ一つが世界中の新聞の第一面をかざるほどの深刻さだ。ところが、今、推進派は停止中の原発再稼働に動き出した。夏の電力需要のピーク前に、必要な需要をまかなうため・・・というのは、表向きのいいわけで、本当は、原発がこれだけ止まっていても、夏を乗り切ることができた、という実績ができるのが、ほんとうにしんそこ困るからだ。原発の必要性を実地の経験が否定してしまうことになるから。

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そんな時、原子炉爆発の悪夢と放射線被ばくの不安、そして東電・政府・マスコミの隠ぺいと虚偽への怒りから人々を引き離して、再び「原発と共に生きる」決意を新たにさせるにはどうしたらいいか。

まずはじめに、人々に怒り、批判する権利も資格もないことを認識させよう。原発を必要としたのは、その利権に群がった電力会社・政治家・御用学者・マスコミではなく、補助金の禁断の蜜の味をしめた地元ボスですらなく、電気を必要とし、電気に依存し、電気を享受して浪費したお前たちだ。放射線で将来がん死することになっても自業自得。今までさんざん何のためらいもなく過ごしてきた快適で豊かな生活のツケを払うだけだ・・・こうして電気で生きることの深い業(ごう)を認識させ、その罪悪感を糧にして、自分から、おわびをしながら不当な現実を受け入れさせる。名付けて「一億総ざんげ」ストラテジー。罪を認め、ざんげして自分から恐るべき現実を受け入れるのだから、これが強制されたものだという本当の姿が隠される。

エゴイストで欲にかられた大人に鋭い批判を向けるのは、世の中の汚れを知らない純真な子どもたちだ。子どもの目を借りれば、大人たちの醜悪な姿が白日のもとにさらけ出される。そして、特に思春期からの子ども大人、あるいは大人的子どもは、しばしば非常にラディカルで、妥協も疲れも知らない。だから、武器を持たされた「子ども兵士」たちはぞっとするような残虐行為をやってのける。ふだんは大人たちの言うなりだった紅衛兵の少年少女は、大人たちの隠された「文化的退廃」を嗅ぎ出し、告発し、糾弾するという最高に盛り上がる「革命的」使命を与えられた。わが毎日新聞もこうした子ども利用戦術では引けを取らない。もともとこの新聞は大衆をしかるのが好きだし、点数を稼げる場面では、自虐的に罪悪感に浸って「良心的な」大人を演じるのもまんざらではない。純真な子どもの目にも耐えられるような紙面づくり、なんて悪くないでしょう?

そこで、ゆうだい君に、ことばの武器を与えて、原発推進の突撃隊の少年兵士にした。ゆうだい君は大人たちの「一般的責任」を問う。私も、あなたも、彼も、ジョン・レノンも、みんないっしょに東電と同じように責任がある。電気のある快適な暮らしを求めたことで、この世界で幸せであることで・・・。東電・政府・原発推進村の利権メンバー当事者の免責と同時に、これは、放射線被ばくという「しあわせのしわよせ」を一般的に甘受させるという心理的効果をねらえる。

さらに、ゆうだい君の手紙に対する反応がゆうだい君の「一億総ざんげ」路線を強化してくれる。たとえば、

『ここまで東電(とうでん)を追(お)いつめるのは少(すこ)しおかしいと思(おも)います。そもそも、地球温(ちきゅうおん)だん化(か)が進(すす)んでいるというのに、まったく努力(どりょく)をしない人々(ひとびと)がおかしいと思(おも)います。心(こころ)がなくて人(ひと)の気持(きも)ちを考(かんが)えられないのが今(いま)の人間(にんげん)だと思(おも)います。』

ゆうだい君に負けずに、原発推進教育で習った地球温暖化をきちんと持ち出すところはなかなか。座布団一枚あげてくれ。しかし、たとえ原発に反対でも、毎日小学生新聞を読むようなよい子は、罪悪感と無縁であってはいけません。

『原発(げんぱつ)については、私(わたし)は反原発派(はんげんぱつは)です。確(たし)かに電気(でんき)はあってほしいけれど、放射能(ほうしゃのう)という目(め)に見(み)えないきけんをおかしてまでする必要(ひつよう)はないと思(おも)います。 でも、そこまで電力会社(でんりょくがいしゃ)をおいつめてきたのは私(わたし)たち国民(こくみん)です。子(こ)どもだからなんて関係(かんけい)なく、国民全員(こくみんぜんいん)です。』

そして、もしも原発に反対で、原発依存という現状を変えたいなら、単に反対するだけではだめで、対案を出さなくてはならない。それができないばかは黙っていろ。

『原発(げんぱつ)で働(はたら)いている方々(かたがた)に、なぜ世(よ)の中(なか)は批判(ひはん)ばかりして、協力(きょうりょく)しようという気持(きも)ちを持(も)てないのだろう。・・・「反対(はんたい)する場合(ばあい)は、理由(りゆう)と今後(こんご)どうすればいいかを述(の)べる」。今(いま)はそれに行動(こうどう)をプラスして、日本全体(にっぽんぜんたい)が団結(だんけつ)し、意見(いけん)を出(だ)し合(あ)うべきだと思(おも)います。』

『「原発(げんぱつ)はやめるべきだ」という意見(いけん)は、原発(げんぱつ)をひていしているだけで、これからどうやって電気(でんき)をつくるのかなど、もし原発(げんぱつ)をすべて止(と)めたときの具体的(ぐたいてき)な方法(ほうほう)などがありません。私(わたし)は、それがなっとくいかないのです。』

原発の電気という現状に依存していることが、東電や政府やマスコミのごまかしに抗議し、原発に反対する資格を奪う。「反対のための反対」「対案のない反対」も同様だ。よい子たちが主張するこれらのポイントは、権威と金で世の中のシステムを握っている連中にとってはきわめて都合がいい。生きている限りだれでも現体制には依存している。そして、現体制を変える「対案」を作り出し、実行してゆくことなど、「権威と金」方面のかた以外には、だれにもできないことなのだ。住民運動などに対抗して、しばしば行政・役所側が持ち出すこの論理は、金も文化的な特権ももたない者は、言われるままに生き、そして言われるままに死ぬ以外に何もできないという結論を導き出す。 

毎小を読んでそれに投稿しようというようなよい子の意見は、もともと大人たちから刷り込まれたものだ。そこで、もともと子どもに刷り込んだ見解を今度は大人が、彼らにふさわしい狡知や攻撃性で味付けして提出しても、子どもを隠れみのにすることで、こわもてのオヤジ臭を消し、理解あるやさしい森のオオカミになることができる。

『今(いま)は、自分(じぶん)に都合(つごう)のいい考(かんが)え方(かた)をする人(ひと)があまりにも多(おお)すぎます。東電(とうでん)だけの責任(せきにん)ではなく、そこまでして電気(でんき)を作(つく)りだすことを望(のぞ)んだ、国民全体(こくみんぜんたい)の責任(せきにん)なのです。・・・我慢(がまん)はせずに不平(ふへい)を言(い)う。その気持(きも)ちを変(か)えることが大切(たいせつ)です。・・・次(つぎ)の世代(せだい)には、心(こころ)の豊(ゆた)かな社会(しゃかい)を築(きず)いてほしいのです。』70歳代(さいだい) N・Aさん
『私(わたし)は「原発(げんぱつ)は必要(ひつよう)である」と思(おも)っています。原発(げんはつ)に頼(たよ)らなければ生活(せいかつ)ができないという現実(げんじつ)が目(め)の前(まえ)にあるからです。一(いっ)か所(しょ)の原発(げんぱつ)が止(と)まってしまっただけで始(はじ)まった節電(せつでん)の嵐(あらし)は、今後収(こんごおさ)まる気配(けはい)もなく、これから来(く)る暑(あつ)い夏場(なつば)への懸念(けねん)も高(たか)まるばかり。さらにほかの原発(げんぱつ)も止(と)まったら……と思(おも)うと、ちょっと恐(おそ)ろしいくらい。「原発(げんぱつ)を止(と)めろ」と言(い)っている人間(にんげん)は、電気(でんき)を使(つか)う資格(しかく)がありません。』I・Sさん 大学(だいがく)4年(ねん)

大人たちの中にはもちろん毎日新聞記者も含まれる。一連の「ゆうだい君」物を仕掛けた記者は小丸朋恵(敬称略)という。小丸はゆうだい君をつかって、いったい何を狙っていたのだろう。まず、小丸は4月上旬に送られたゆうだい君の手紙を、1か月半ほど使わずに温めていた。タイミングを計っていたのだろう。4月上旬では運命の「レベル7」の日とそれに続いて毎日新聞が脱原発の社説をのせたころだ。とうてい、「一億総ざんげ」の余地はない。毛沢東風に少年少女を駆使するすべを心得ている小丸は、主席のこんな言葉も勉強していたのだろう:『敵進我退(敵が進めば退き)、 敵駐我撹(敵が止まれば撹乱し)、敵疲我打(敵が疲れれば攻め)、敵退我追(敵が退けば追撃する)』。5月末になって、原発事故がもたらした恐怖と怒りがマンネリ化して敵が立ち止ったと見るや、「ゆうだい君」で撹乱し、攻めに転ずる。

小丸は6月になってから、毎日小学生新聞に表向き「節電」をテーマにした記事を書くが、そこで、教科書通り、資源小国日本、化石燃料による地球温暖化の危機、二酸化炭素を出さない原発のメリットを説き、そしてこう言う。

『北陸電力(ほくりくでんりょく)は、5月(がつ)7日(なのか)に点検(てんけん)のため運転停止(うんてんていし)した敦賀原発(つるがげんぱつ)2号機(ごうき)を再開(さいかい)しなければ、さらに電力(でんりょく)が不足(ふそく)します。』
(注:これだけのパラグラフに間違い二つ。1)敦賀原発は日本原子力発電の原発。2)「点検(てんけん)のため運転停止(うんてんていし)」という表現は定期点検を連想させるが、これは嘘。2号機が停止した理由は放射能漏れ。大人の毎日新聞では許されないような(意図的な)いい加減さ。子どもを利用しようとするものが、いかに子どもを尊重していないかよくわからせてくれる。)

『東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)で東北電力(とうほくでんりょく)や東京電力(とうきょうでんりょく)の発電量(はつでんりょう)が減(へ)ったため、中部電力(ちゅうぶでんりょく)(が他の電力会社とともに:注)・・・送電(そうでん)して応援(おうえん)してきました。・・・浜岡原子力発電所(はまおかげんしりょくはつでんしょ)を止(と)めた中電(ちゅうでん)は余裕(よゆう)がなくなり、5月(がつ)にこの応援(おうえん)を打(う)ち切(き)り、・・・』

要するに、節電しても止まっている原発のせいで、電力不足が深刻化するので、再稼働させなければならない、というメッセージを(いい加減な事実とともに)子どもたちに伝えているのだ。敵疲我打、敵が疲れれば攻める、これは、7日に海江田経産相が再稼働に向けて地元訪問を開始するという、原発推進攻勢の先駆けをなしている。

最後に、大人の都合をよくわからせてくれる記事をもう一つ『ショートメール:葛藤の正体 /静岡』というどうも大新聞らしからぬトーンの見出しで、心の内を語るのは毎日の記者・平林由梨(やっぱり敬称略)である。平林はゆうだい君の手紙がたいそう気になるらしい。

『原発に生活を支えられ、「わたしが原発を造った」、この事実から目をそらすことを、男子は「無責任」とつづった。取材のなかで感じる葛藤(かっとう)の正体を言い当てられた気がした。』

というわけで、平林もゆうだい君の言葉で深く罪悪感を感じる感受性をお持ちだ。これは、毎日新聞記者としておそらく大変重要なことなのだろう。こういう感受性あるいは感受性のシミュレーションは、今後、彼女がどさ周りの地方記者から本社勤務となるときに立派にお役にたつことの証明、毎日新聞のカルチャーをしっかり身に着けていることのあかしなのだ。『男子の問いかけを受け、私の立ち位置はますますあいまいなまま、揺れている。』そうそう、そういう率直さが女性らしい繊細さを際立させる、とオヤジ記者やオバサン論説委員が評価してくれる・・・かな?

『原発の「容認」か「廃止」か--。一人でも多くの声を伝えながら、考え続けていきたい。』

毎日新聞には、原発推進と反原発それぞれの記者が共存・競合している。平林は御前崎から新鮮な磯の香りをふんだんにただよわせた魚心を、その両者に送っている。チャンスを下さったら、どちらのお役にも立てます、わたし、と。

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ゆうだい君の手紙は以下のところ、
http://mainichi.jp/life/edu/maishou/news/20110518kei00s00s011000c.html
http://mainichi.jp/life/edu/maishou/news/20110518kei00s00s013000c.html

それへの返信は以下のところにある。
http://mainichi.jp/life/edu/maishou/news/20110530kei00s00s002000c.html
http://mainichi.jp/life/edu/maishou/archive/news/2011/05/20110530kei00s00s017000c.html
http://mainichi.jp/life/edu/maishou/news/20110531kei00s00s007000c.html
http://mainichi.jp/life/edu/maishou/news/20110531kei00s00s005000c.html
http://mainichi.jp/life/edu/maishou/news/20110601kei00s00s015000c.html
http://mainichi.jp/life/edu/maishou/news/20110601kei00s00s015000c.html

よい子(こ)リンク:
毎日小学生新聞(架空)特集:『子(こ)どもの見(み)た原発震災(げんぱつしんさい)の1年(ねん)』



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