福島原発事故メディア・ウォッチ

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長谷川健一さんの「写真展 飯舘村PartⅡ」と映画「飯舘村 私の記録」をみんなで見に行こう!

2015-03-15 19:14:07 | ミュージック&シネマ
「この人たちとともに生き、ともに死にたいと思った」、震災と原発事故の後、「日本人」になることを選んだドナルド・キーンさんは、その時の心境をこの高見順の言葉を引用して伝えている。高見は、空襲を逃れて避難する群衆を見てそう思ったのだが、キーンさんのほうは、震災と原発事故の後の私たちニッポン人のけなげな姿にうたれたのだという。飯舘村の酪農家、長谷川健一さんの写真と映画を見て、私も同じことを思った。だが、私が「ともに生き、ともに死にたい」と思うのは、彼がニッポン人だからではない。彼が、家族・友人・隣人たちとともに、やはりニッポン人である村長や官僚や東電と戦っているからである。
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長谷川さんの「写真展 飯舘村PartⅡ」と映画「飯舘村 私の記録」の無料上映は、今も続いている。(会場はこちら)。会場では写真や映画に対応する彼の本、「酪農家・長谷川健一が語る までいな村、飯舘」も販売している。

 写真や映像で、印象に残ったところを列挙してみよう・・・・大きな穴を掘って、真っ白な牛乳を延々と流し捨てつづける長谷川さん。酪農をやめることになった仲間と別れの会をもったが、その写真では、お料理やお酒を前にして、全員ががっくりとうつむいている。長男さんが後を継ぐことになったので、子牛のために「育成舎」を前の年に作ったばかり、それは「家族全員で一から立てた」とナレーションが入っていた。屠畜に出す牛たちがトラックの前で前足をつっぱったり、膝を突いたりして必死に抵抗する、酪農仲間の牛たちを撮影に行った長谷川さんだが、「自分の牛は撮れなかった」という字が画面に出た。飯舘村に放射線測定に来た今中先生がみんなに挨拶している写真、近くにはモニタリングポストがあるが、「モニタリングポストの地面は今中先生の足元とまるで違う。除染して、きれいな土を入れ替えてある」という意味の解説。

環境省の役人が来た説明会で、菅野村長が挨拶している写真、「菅野村長はいつも国や県と並んで座っています。3.11以後、村長は常に「あちら側」にいて村民の立場を代弁しません」。映画では、長谷川さんが2011年8月15日に菅野村長の家に「直談判」に行った時の様子がかなり長く映し出されている。村長は長谷川さんにとって「盟友」だったそうだ(長谷川さんは、96年の村長初当選以来4選まで出納係をやっていた)。ここで、長谷川さんは、村が指揮して少なくとも子どもを非難させるべきだという主張をしていた。村長は、「いろんな人がいる」とか、「自己責任」とか、「リスクコミュニケーション」とか言ってはぐらかしていた。「帰るか、避難かどっちかしかないというわけではなくて、その中間で各自の判断」というようなことを言った時、長谷川さんは「そんな玉虫色の・・・」と言いかけると、村長は「玉虫色だのなんだのって…」と引き取って気分を害したようだった。

長谷川さんの本には、「県民健康調査問診票」に対する彼の回答が写真でのっている。



長谷川さんは怒り、抗議し、抵抗している。その反対側には、村長のように、住民を後回しにして、原発利権やふるさとや経済や権力や国家の安泰をはかろうとしている奴らがいる。長谷川さんは、そういう奴らの強権やごまかしと闘う。酪農を奪われた長谷川さんにとって、「カメラをもってどこにでも行く」抵抗と抗議が、いまや人生をかけた仕事となったのだ。牛を飼うことに人生をかけたように。

私は、駅で群衆を見ても、高見順やキーンさんのように、簡単には「この人たちとともに生き、ともに死にたい」と思うわけにはいかない。長谷川さんの写真・映画と同じころ、「九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響」という本も買った。関東大震災のとき1923年の9月の路上で行われた虐殺に多面的に、様々な証言を通して見直した必読書だ。私は、駅の群衆の中に、こんな暴力を、こんな虐殺を繰り返しかねない人々が何人もいる気がする。震災の時に、事故の時に、戦争の時に棍棒を振りまわして「自警団」を組織する人々がいる気がする。上の本の中に引用されていた折口信夫はこの日の体験以来、ニッポン人の「穏やかな美しい顔を見ても、背後にどんな恐ろしいことがかくれているか想像せざるを得ない」という趣旨の歌を詠んだ。私もまったく同じ気持ちで毎日群衆の中を泳いでいる。私は、「この人たち」ニッポン人に殺されるか、殺されないために殺すことを強いられるかもしれない。

 「ともに生き、ともに死ぬ」べきひとまとまりの日本人が存在すると思うのは幻想にすぎない。ニッポン人は、分裂し、分断されている。他人の犠牲を何と思わず、当然のこととして他人を利用・消費しようとする一群の人々がいる。そういう奴らが保持する権力にすり寄る人々がいる。あざむかれる人々がいる。あざむかれながらあざむき、あざむかれない人を圧迫する人々がいる。みんな仲良しで思いやりのある善良なニッポン人の集団が、社会を満たし、少なくともあなたの自由や尊厳や生存を脅かすことはない、という信頼感は、高度成長からバブルに至る「平和ボケ」の産物に過ぎない。戦わなければ、抵抗しなければ、そして場合によっては逃げなければあなたは確実にやられる。それが福一の原子炉の爆発が私たちに突きつけたことだ。

私が「ともに生き、ともに死にたいと思う」人々は、限られている。その人々が群衆の中のどこにいるか、どのくらいいるのか私にはわからない。しかし、そういう人々が必ず存在し、存在しながら息をひそめていることを私は知っている。長谷川さんの写真や映画はこういう私の確信を支えてくれる。

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