福島原発事故メディア・ウォッチ

福島原発事故のメディアによる報道を検証します。

毎日小学生新聞(架空)特集:『子(こ)どもの見(み)た原発震災(げんぱつしんさい)の1年(ねん)』

2012-03-23 11:18:03 | 新聞
地震(じしん)と津波(つなみ)、そして原発事故(げんぱつじこ)のあの日(ひ)から早(はや)くも一年(いちねん)がたちました。この一年(いちねん)、子(こ)どもたちも、大人(おとな)と同(おな)じように震災(しんさい)のくるしい現実(げんじつ)を生(い)きてきました。毎小(まいしょう)では、『子(こ)どもの目(め)で見(み)た原発震災(げんぱつしんさい)の一年(ねん)』と題(だい)して、子(こ)どもたちからの率直(そっちょく)な意見(いけん)を募集(ぼしゅう)しました。以下(いか)、いくつかご紹介(しょうかい)します。
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どこまで行(い)っても明日(あす)がある
枝野 大飛 (えだの・たいひ)、11才

突然(とつぜん)ですが、ぼくのおとうさんは、ちょっと政治(せいじ)のほうで働(はたら)いています。みなさんは政治家(せいじか)というと特別(とくべつ)な人(ひと)かと思(おも)うかもしれませんが、ぼくのおとうさんは、小(ちい)さかったぼくを抱(だ)いているところを見(み)た人(ひと)が「政治家(せいじか)の子(こ)どもの抱(だ)きかたではない。政治姿勢(せいじしせい)をすべて実感(じっかん)させる抱(だ)きかただ」と感動(かんどう)したというくらいやさしい父(ちち)です。原発(げんぱつ)の事故(じこ)のせいで、父(ちち)はいそがしいです。再稼働(さいかどう)には慎重(しんちょう)と言(い)わなくてはならない時(とき)も、再稼働(さいかどう)はぜひとも必要(ひつよう)と言(い)わなくてはならない時(とき)もあります。でもぼくはそんな父(ちち)を尊敬(そんけい)しています。原発(げんぱつ)の事故(じこ)は大変(たいへん)だけれども、みんなが力(ちから)をあわせて知恵(ちえ)を出(だ)しあえばきっとうまくゆくでしょう。ぼくたちが大人(おとな)になるころには、ぜったいに事故(じこ)を起(お)こさない原発(げんぱつ)を造(つく)ることもできるようになっているのではないでしょうか。いま、目(め)のまえにあることだけにとらわれて、未来(みらい)が見(み)えなくなってしまうのはいけないことです。ぼくは事情(じじょう)があって、いまシンガポールにいますが、ここで一生懸命(いっしょうけんめい)勉強(べんきょう)して、将来(しょうらい)は、international(いんたあなしょなる)なシーンで活躍(かつやく)できる人材(じんざい)になりたいと思(おも)います。ちょっとbilingual的(ばいりんぐわるてき)なぼくには毎小(まいしょう)が漢字(かんじ)に仮名(かな)をふってくれるのはとてもうれしいです。ぼくの好(す)きな格言(かくげん)は「虎穴(こけつ)にいらずに虎児(こじ)を得(え)る」と「濡(ぬ)れ手(て)に泡(ばぶる)」です。どちらも、おとうさんが教(おし)えてくれました。尊敬(そんけい)する人(ひと)は、おとうさんのほかは、ドン・ガバチョ大統領(だいとうりょう)です。


人(ひと)を信(しん)じられないことは悲(かな)しい
寺谷会 行菜 (じごくえ・ゆきな)、10才

わたしは震災(しんさい)のがれきを全国(ぜんこく)のみんなで処理(しょり)しようという考(かんが)えに賛成(さんせい)です。でも東北(とうほく)のがれきには放射能(ほうしゃのう)があるから、自分(じぶん)の家(いえ)の近(ちか)くで燃(も)やすのは困(こま)るという人(ひと)たちがたくさんいます。政府(せいふ)や自治体(じちたい)の人(ひと)たちが、ちゃんと放射能(ほうしゃのう)を測(はか)り安全(あんぜん)だと確認(かくにん)しているのに、それが信(しん)じられない人(ひと)たちです。わたしはこういう人(ひと)を信(しん)じられない人(ひと)はとても悲(かな)しいと思(おも)います。自分(じぶん)の子(こ)どもが放射能(ほうしゃのう)をあびるのがいやだという人(ひと)たちは、それなら、大切(たいせつ)な家族(かぞく)を失(うしな)ったりしてこの一年(ねん)の間(あいだ)とてもつらく悲(かな)しい思(おも)いをした被災地(ひさいち)の子(こ)どもたちが焼却炉(しょうきゃくろ)から出(で)る放射能(ほうしゃのう)をあびてもかまわないのですか。福島(ふくしま)の子(こ)どもが放射能(ほうしゃのう)でがんにならなくてはいけないのなら、全国(ぜんこく)の子(こ)どもたちが、みんながんにならなくてはいけないと、わたしは思(おも)います。絆(きずな)が大切(たいせつ)とかいいながら、大人(おとな)はうそつきで自分(じぶん)のことしか考(かんが)えていないとわたしは思(おも)います。いぜん、放射能(ほうしゃのう)をもった牛(うし)を処分(しょぶん)することを、かわいそうだという人(ひと)がたくさんいました。そういうあなたは牛肉(ぎゅうにく)を食(た)べないのですか。肉(にく)を食べるから牛(うし)を殺(ころ)すのは何(なん)でもない人(ひと)が、急に牛(うし)がかわいそうになるのはおかしいと思(おも)います。


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[記者の屁]:問題は原発ではない!
毎日新聞ケイマン支局 水心 哉 (すいしん・はじめ)

 毎日小学生新聞の原発災害一年特集を興味深く読んだ。脱原発の潮流と、電力不足がもたらす経済停滞への危機感に硬直した大人たちの感性を、子どもたちのけがれのない純粋なまなざしが射すくめるのを、読者も私と同様に感じられたことだろう。子どもたちは、何よりも未来への信頼を捨ててはいない。暗い話題が多い震災後の現実の中で、とかく退嬰(たいえい)的な現実逃避に陥りがちな大人たちに向かって、子どもたちは明るい未来を切り開く決意を述べる。原発事故を克服するのもこうした新世代の勃興する生命の躍動だ。エネルギー消費の開放が、精神の開放につながることを生命力あふれる子どもたちは本能的に知っている。また、高エネルギー消費を地球的に普遍化させることが第三世界の悲惨な現実を改善し、南北格差を解消する方策であることも。目の前に突き付けられた『事故』のイメージに取りつかれて、未来にわたる『安全な原子力』という人類的なオプションをあわてて放棄してはいけない。福島の原発は、千年に一度の地震には耐えたが、残念ながら津波には屈した。しかし、時代は変わっていく。事故の教訓を生かして今こそより確実で高効率の原子力技術開発に乗り出すべき好機だ。技術の発展に限界はない、子どもたちが無限の可能性をもっているように。
 子どもたちの視線はまた、反原発派の精神基盤にも容赦のない批判を浴びせる。香山リカ氏は、反原発が『持たざる者』のひきこもり的現実逃避と一体になっていることをつとに鋭く指摘しているが、『持たざる者』の反乱が社会を変えることが決してないことは、遠くスパルタカスの故事を振り返るまでもない。人類の社会の変化は、常に理性的な指導者層の思慮と財力に満ちた決断から由来する。『持たざる者』のルサンチマンを、愚昧な大衆の社会意識の目覚めなどと称揚する軽率がもたらす悲劇は、ジャコバンやボリシェビキから、近くは紅衛兵に至るまで、枚挙にいとまがない。むしろ解放された原子の無尽蔵のエネルギーによって『持たざる者』たちを『持てる者』と同列に引き上げることこそ、真に進歩主義的・民主主義的なプロメテウスの人類救済ではないか。

 今の日本の危機の源泉は、したがって原発事故ではない。国家と人類の未来への信頼を喪失した魂のメルトダウンは事故自体よりも恐ろしい。原発事故は、現在の日本に蔓延する心の闇を暴いたに過ぎない。

 子どもたちは、自分たちの可能性の未来に明るい信頼を置くゆえに、同時にまた根底的に倫理的でもある。子どもたちは現実の利益やわずかながん死増加の可能性に右往左往する大人たちのぶざまな動揺と偽善に染まることがない。福島における将来の疫学調査が、福島の子どもたちだけができる人類への貢献であることに疑いはないが、その福島の子どもたちと同様に、自分たちもがんになることを辞さないと、何の衒いもなく自然に言い切る子どもたちに、危機にある我が国の将来をけん引するにふさわしい勇気と活力を見出すのは、私だけではないだろう。

*よい子(こ)はこちらも読(よん)んでいます。
ゆうだい君への手紙(てがみ): よいこのみなさんもぜひ読(よ)んでください。
毎日新聞が武装させた原発文化大革命の紅衛兵「ゆうだい君」:原発推進の反撃攻勢がはじまった!


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