福島原発事故メディア・ウォッチ

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九電やらせメール事件:第三者調査やらせ委員会の仕込み不足

2011-10-18 23:50:18 | 新聞
九電やらせメール事件は、九電幹部の居直りと、それを受けた第三者調査委員会・郷原委員長の恫喝めいた暴露が引き続いている。大方の論調は、九電幹部の盗っ人猛々しい図々しさと非合理にあきれかえり、枝野経産相のように九電の反応は『理解不能』などと言う一方で、郷原信郎委員長に対しては、汚職事件の時に検察への支持が集まるように、なんだか正義の味方・ウルトラセブンのような注目が集まっている。しかし、わたしにはこの検事上がりの企業のご意見番弁護士のパフォーマンスがどうもくさい・・・

九電メール事件をざっと振り返っておこう。6月下旬、玄海原発再稼働に関する「説明会」で九電による一連のやらせ工作が明らかになった。世論の批判にさらされた九電が第三者による調査委員会を作ったのが7月26日。その委員長が問題の郷原氏。この委員会が『知事の発言がやらせメールの発端となったと認定する中間報告書をまとめ』読売)たのが、9月8日、さらに、9月30日の最終報告では、『一連のやらせについて、佐賀県の関与を認定した上で、「九電と古川康知事の不透明な関係が背景にある」と指摘』読売)した。

これに対して、九電は、10月7日『佐賀県の古川康知事の九電幹部に対する発言が、やらせメールの発端ではないとする最終調査報告書を経済産業省に提出』読売)することを決めた。

その九電のしらを切った大ボケの居直り報告書は、14日に経産省に出されると、枝野経産相からのきついおしかり。『「どういう神経でなさっているのか理解できない。・・・」と述べ、報告書の再検討を求めることもあり得るとの考えを示した』。(読売

わたしが、なんだか落語に出てくる因業オヤジのようで、とても楽しかった発言は、大臣のこのお怒りを受けた九電会長のふてくされ。『九電の松尾新吾会長は15日未明、読売新聞の取材に「役所の指導で仕事をしている。監督官庁だから、基本的にはそういうことでしょう」と述べ、経産省から指示があれば、報告書を修正して再提出する考えを示した』読売。未明の取材で寝込みを襲われて不機嫌だったのかもしれません)。

さて、郷原氏も、自分の顔をつぶすようなこんな勝手なことをされるのもひどく業腹だから、17日には佐賀県議会に乗り込んで、元検事様のお仕事をなめるなよという調子で、恫喝的暴露で対抗した。『「九州電力が(佐賀県の古川康)知事のシナリオに乗る形で、再稼働の要請という精いっぱいの努力をした」と指摘。「やらせ」は知事と九電が連携した結果』という主張を繰り返し、あまつさえ、『「古川知事は、自らの辞任は避けられないと話していた」』という楽屋話を暴露(朝日『取材に応じた古川知事は「辞めますとは明言していない」と趣旨を否定』)。

暴力装置を背景にした権力をふるって、いくらでも被疑者をいたぶりあくまで有罪をかちとるべく邁進した検事上がりの郷原氏は、こんどもスッポンのしつこさで九電と古川知事に食いついて、「お奉行様、恐れ入りました」と相手がお白州で土下座平伏するまで、あらゆる手段を尽くすつもりか。

こんな郷原氏とそれに対する『理解不能』(枝野経産省)な九電の居直りを見て、たとえば、郷原氏とトークショーをした八木啓代氏は、やらせなどが全国の電力会社や経産省でも次々に明らかになってきたことを指摘し、『九電社長や県知事が辞任に追い込まれたら・・・壮大なドミノ倒しに波及する可能性が』あり、それは『停止中の原発の再稼動の決定に大きな影響を及ぼ』し、『現在も稼働中の原発も・・・どのような経過で原発導入の決定がなされたのかということが明らかになることで、その運転継続の是非の議論になっていく』。だから九電は何が何でも開き直らざるをえず、そして、そこに追い込んだ郷原氏の追及は『日本全体の原子力政策に突きつけられた刃となる』と指摘する。

なるほど、もっともな指摘でやらせや仕込みによる世論工作・合意ねつ造の過程が明らかになり、その事例が積み重なることは、原発というものがのっけから嘘とごまかし抜きでは動きえなかったという基本的な重大事実を明らかにするだろう。大変重要な論点だ。

だが、しかし、わたしがこの郷原元検事の追及と九電の居直りとの絡みから感じたことはちょっと違うのです。わたしはこの絡みの中に、むしろ利権内部の権力闘争のようなものを感じる。決定的なことは、郷原氏が原発の廃止を求めていないという点だ。居直りの方はというと・・・

【九電の居直りは原発闇市状況の到来を告げるか?】
九電のジジイ幹部たちが、「コンプライアンス」なんて英語は知りません、という調子で、もはやなりふり構わず旧来の利権保守に走り、原発推進の政治権力とすら対立してしまう構図は、『理解不能』なんて笑いとばしてすむような問題でない気がする。滑稽を通り越して不気味ですらある。彼らはもはや正当性を装って「まともに」原発で稼ごうとはしていない。原発の正当性を立て直そうとはしていない。それが自分たちを追い落とすことになるのを知っているからだ。彼らは、落ち目になった旧態依然の原発利権構造から、火事場泥棒的に最後のおいしいところをあさりはじめるだろう。ことは九電だけに限らない。そしてこういう連中が、たとえば廃炉などという先のないオペレーションを誠実にやるだろうか。思いっきり手を抜いて利ざやを稼ごうとするのではないか。稼働を終わらせることになった原発が出現したとして、それが最終の停止までの運転期間にまともな保守点検を受けるだろうか。どうせあとX年で終わり、今ここで金を使ってもしょうがない・・・。こうした「原子力、居直っちゃえば、なんでもあり」という経済スローガンは、たとえば汚染食品の加工や混合希薄化といった商売にも「社会的正当化」を与えかねない。御用学者や原発マフィア官僚が、汚染や除染やリスクに関してあれこれの数値を操作する時の「良心の呵責」を取り払う。反原発言論弾圧、それも暴力的なやつだって起こりかねない。カレン・シルクウッドのように、独立系ジャーナリストが不審な交通事故死、なんてことも起こりうる。東電のトイレで死体が発見されても、司法解剖もされず死因=「心不全」で片づけられる。何せ、なんでもありなんだから。

追いつめられた原発マフィア利権保持者は、こんなふうにありとあらゆるところで死に物狂いの居直りを重ねるだろう。それに対して警察はじめ官公庁は何もしないだろう。居直り集団の中に、天下りがいっぱいいて、自分たちもいずれはそこにお世話になるから。マスコミも沈黙するだろう。お世話になっている点では、ジャーナリストも官僚も同じだし、もし本当に沈黙を破るなら、こんどは自分がやられる側になってしまうから・・・。

【郷原信郎氏は正義の味方のウルトラセブンではない】
もちろん、反原発のドンキホーテでもない。八木氏とのトークショーで郷原氏は自分が、原発と地域社会との共生に関する著書もある『思いっきり原発寄りの人間』と繰り返す。もちろんそのとおり。だから九電もやらせ事件を検証するそれ自体がやらせである第三者委員会を彼に任せたのだ。ところが仕込みが足りなくて、郷原氏は思い通りの言説をはいてくれない。郷原氏は九電の因業ジジイたちが嫌いだ。こいつらのせいで、原発と無知な大衆との「共生」関係にぼろが出て、せっかくの原発利権が身もふたもなくつぶれてしまいかねない。だから、こういう『全く旧態依然とした旧来の福島原発事故以前のような考え方で、原発再稼働を進めていこうとしている』岩上安見氏との対談)ボケじいさんたちにはとっととご退場願って、原発利権を合理的に救い出さなくてはならない。盗賊資本主義的な利権あさりではなく、コンプライアンスを重視したエリート管理下のクリーンでクリアな利権分配。住民合意のねつ造だって、やらせなんて露骨でダサい方法はやめにして、もっとやさしく親密に住民の心を管理誘導し、あるいは公安検事時代に過激派を転向させたように『理論対理論で』勝負して説き伏せるなり、いくらでも方法はある。こういう良識派原子力マフィアにとって、ここで九電を絞めつけて、ガリガリ亡者たちを排除したという実績をつけておくことは今後の、合理的・理性的な原発再稼働・推進に大いに役立つ。『九州電力の社員みんながおかしいわけではないと、郷原弁護士は強調。むしろ、社員は能力の高い人が多い。しかし一部に特殊な考え方の人たちがいる』とトークショーでもいっていたそうだ。つまり原発自体が悪いわけではない。それを『福島以前の』手法で押し付け、推し進める旧態依然の経営陣が悪いだけだ。

では、お友達の古川知事はどうなのか。郷原・古川の二人は、若かりし頃から検事と出向国家官僚として『親交があった』癒着の仲。郷原氏はだから、やらせ委員会のやらせ委員長にふさわしく、仕事をはじめる前にエリートの利権仲間にしっかりと声をかけている。7月26日夜、委員長を引き受ける前日、郷原氏は

『知事と福岡市のホテルで面会。翌27日に第三者委の委員長への就任を控えていたため、個人的な立場と断った上で、「やらせメールなどが知事からの働きかけがあって行われたということに発展しかねない。早い段階で辞意表明も考えられるのではないか」と提案した。』読売

としっかり裏工作をしている。郷原氏にしてみれば、ここで九電ぼけ老人たちとはきっぱり縁を切って、おれと一緒にやろうよ、と『昔から付き合いのある』いなか権力者に中央の正統権力への復帰を促す。辞任して、九電幹部たちをバッサリ切る。自分はみそぎ選挙で復活する(県議会の7割を占める原発大推進の自民党の支持があるから再選はほぼ確実)。そうやった方が、玄海再稼働へも結局は近道ではないか…。

ところが、愚かなるかな、康知事、やはり現状の地位が惜しいか、オヤジが世話になった九電への義理が重いか、このありがたい提案と戦略を正しく評価できない。それどころか、九電側の郷原外しにのっかって、自分の地位の保全も図っている・・・。もうこうなっては仕方がない、友よ、わが友情のむちを受けよ、とばかりに『知事との非公式の会談内容も明らかにし』、また、報告書にいれる内容をこっそり事前に知事に伝え、『知事は「そういう発言内容が表に出たら、・・・もう辞任は避けられませんね」と答えたという』日経)八百長工作のエピソードまでリークする(調査委員会の責任者が調査の内容を、調査対象となっている権力者に事前報告する、というのはどうみても八百長=やらせ。九電の代わりに、郷原氏がシナリオを描いただけなのに、この点を指摘したマスコミは皆無)。

とはいえ、これから危機のニッポンで持ちつ持たれつ、いっしょに大いに権力を振るおうというお友達のことだもの、古川知事に対する暖かいフォローも忘れない。『知事がこの問題で直ちに辞任する必要は全くない。知事が辞任するかどうかより、これからどうするかがはるかに重要だ』朝日)。

では、二人は『これからどうする』のか。そのヒントを郷原氏は岩上安身氏によるインタビューで示唆している。

『原発の問題というのは、本当に民間企業ベースであらゆることをやっていけるのかと。むしろ国の関与をもっと強めた方がいいんじゃないかということも考えられるんじゃないかと思ってるとこですね』


なるほど、原発の国家管理、国営原発。これなら原爆製造への転用などもすぐできるし、古川君やボクのようなエリートが、個人の金の問題ではなく、天下国家の繁栄のために十分に働く余地があるというものだ・・・。

最後に、わたしはこのゴーハラ氏という人がいやらしくて嫌いだ。どこが?こんなところだ。

八木氏のトークショーでかつて公安検事のころ、過激派を『弾圧』し彼らのために『転向』を促していたこの男は、しょっ引いた過激派と理論で勝負するのだが、その前ふりに、自分が鉱山で働いていたことを話して聞かせたそうだ。鉱山勤務だって?それは、この男が東大理学部を出た後、1年半だけ三井鉱山に努めたことへの言及だ。しかし、東大出のエリートテクノクラートがたとえ現場にいたとしても、それは鉱夫の仕事とはにてもにつかないだろう。鉱夫とのかかわりがあるとすれば、彼らを自由に動かしたくらいのことだろう。しかし、この男はこのエピソードを、過激派を軟化させる導入に使い、そうすると相手も打ち解けてくるのだそうだ。くだらない(実際そんなプロレタリア・コンプレックスに凝り固まった「過激派」のお兄さんお姉さんも存在していたかもしれないところが、もっとくだらない)。この男は、自分が身にまとっている権力(暴力)の権威と、それを尊大にへりくだって見せることが生み出すさらに大きな効果とを、捕縛者と獲物との関係を通して熟知しており、しかもその権力関係における力学を、自分の意図や善意や人格や教養や話術や、その他もろもろのエリート的属性と混同している。トークショーではこの男を囲んで、時に(爆笑)なども巻き起こるすてきな時間が過ごされたようだが、わたしはどんなに退屈でも、どんなに金が余っていても、こんなトークショーには絶対に行かない。


付録:

九州電力社長様に捧げて、一首。

『居直るとわが名はすでにたちにけりゼニがすべてと人の問うまで』

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