福島原発事故メディア・ウォッチ

福島原発事故のメディアによる報道を検証します。

毎日新聞の反原発大転換:本当にあなたを信じていいの?それとも「あなたの過去など知りたくないの」

2011-04-17 16:11:14 | 新聞
過去記事「毎日新聞の毎日変わる変身術」で毎日新聞のおかしな動きについて書いた。4月12日を境にして、動きが激しく何かが変わった。ファッションショーのキャトウォークのどん詰まりで、華麗にターン。そしてこっちを向いて大見得を切った。ヨッ!新聞屋!と声がかかる。運命の「レベル7」の日、4月12日「記者の目」、社説では、15日16日だ。

毎日新聞は、原発に反対です。毎日新聞は原発に依存しない「もうひとつの日本」は可能だと主張します。以下、これらの記事から引用です。

『原発なき社会の希望と停滞を引き受けて生きるしかないのだ。
地震国日本が原発と共存するのは無理がある。

地震国日本は原発と共存できるのか・・・原発政策の大転換を図るしかない。
大災害を転機に、長期的な視点で原発からの脱却を進めたい。

あの大災害は自然が私たちの暮らし方の根本に反省を迫っているのであり、ひいては私たちの文明のあり方にも再考を求めている
エネルギー制約を逆手にとって、日本を低エネルギー社会の先進国に転換していく覇気をふるい起こすべきであろう。
浪費を避け、資源の再生につとめ、リサイクルを促進する。
小型水力発電などでエネルギーの地産地消を可能な限り進めたい。
低エネルギーでも福利の低下しない日本モデルを構築する
再生可能エネルギーの促進や低エネルギー社会の実現がひとつの鍵となる
地震国日本に適した電源と、それに基づく暮らし方を、今こそ探っていく時だ。』


社説でこんな主張を展開する毎日新聞は、原発推進からきっぱりと縁を切り、私たちの暮らし方、果ては「文明のあり方の再考」までを含む困難な変革の第一歩を踏み出したのだろうか。それが本物だとすれば、こんなに心強いことはない。そうだとすれば、予想される原子力利権の必死の反撃と圧力に対抗して「原発脱却」の論陣を揺らぐことなく維持してくれるよう、期待せざるをえない。とくに、12日の「記者の目」で、大メディアの記者としては初めてはっきりと反原発を主張した論説委員・野沢和弘氏には、今後も「社内世論」をきちんとリードして、脱原発社会への具体的ロードマップの考察と提案に、社をあげて、毎日新聞社の社運をかけて取り組んでもらいたいと思うのだ。

しかし、…しかし、毎日新聞の本気を疑わせ、彼らに対するの希望に水をさす薄暗い連想が浮かぶ。
なにしろ、原発事故以後1ヶ月の間、事故の重大性をしきりと矮小化しようとし、放射線被爆などについて怪しげな言説を展開し、国民の軽率な行動を叱ったり、諸外国の反応に文句をつけてきた過去がある。毎日新聞はどう見ても、原発事故を直視し、東電や政府諸機関、そして政権担当者たちとの対立も辞さず、フツーの人々のための報道に努めたとは言いがたい。それに、反原発大転換を主張する記事のかなにも、なんだか気になる点が散見する。

『フランス哲学の内田樹さんは「原発供養」が必要だという。「ほんとうに人間が最大限の緊張をもって取り組まなければならないリスクの高い仕事に際しては『超越的なものに向かって祈る』という営みが必須なのである」と。』

およそ哲学とは何の関係もないクダを巻く内田氏のだぼらに付き合っているほど、日々この原発危機に直面している私たちは暇ではない。大事なことは、やたらセーシンの話が好きなこの思想山師がどこでも「原発反対」「原発廃棄」と言っていないことである。たぶんそんな考えはもってはない(そしてその真の姿が見えないようにしている)。こういう怪しげな言説マシーンをその知的なファッション性に目がくらんで、「お友達」とみなしてしまうところなどに、毎日さんのしょうこりもない「ええかっこしい」的な性格と、これまでの記事に見られたのと同じ民衆蔑視とが再発している。だから、別の記事では、10年もしたら「それでも(やっぱり)日本人は原発を選んだ」なんて本を書きそうな東大教授を、原発社会体制に対してまっさきに誠実な反省をしたインテリ様のように取り上げてしまう。

毎日新聞の危うさ、華々しい「脱原発」宣言のあやしい裏面を感じさせてしまうことはまだある。

(原発の)『増設は政治的に不可能になったと思われる。それどころか、既存の原発も・・・、地元が再稼働に同意するかどうか予断を許さない。原発の今後は非常に危うい。』

毎日新聞の脱原発は、こうした政治的現実の読みから出発している(注)。だから、もし、原発利権勢力が地元の反対を圧殺し、政治権力に原発増設を約束どおり推進させらたら、毎日新聞はどうするのだろう。それでもなお「文明のあり方の再考」を続け、もうひとつの日本を目指すのだろうか。

『最終的には国民の判断ではあるが、原子力による電源に頼らなくても、豊かに暮らすための知恵を絞りたい。』

「国民の判断」が原発推進ならしかたない、やっぱり日本人は原発を選んだのだ、と言って終わるのだろうか。こういう言いかには、毎日新聞の逃げを感じる。日本だけでなく、世界の原発利権が、「国民の判断」を左右すべく今後、金に糸目はつけない大キャンペーンを仕掛けてくるだろう。毎日新聞にはそれに本気で戦う気概・やる気があるのだろうか。「国民の判断」にかける気があるのだろうか。「国民の判断」を信用しているだろうか。毎日新聞の大転換が単なる見せかけに終わらないことを、原発事故対策の成功と同様、祈りたい。


注:
元朝日新聞記者・岩垂 弘氏は、政府のエネルギー政策転換表明があるまで、メディアが事故対策のみにかまけていて原発可否の議論を展開していないのを批判している(ここ)。毎日新聞の大転換は、事故対策からエネルギー政策に踏み込ん最初の態度表明だが、もちろん、政府の政策転換の後になって行われた。

参考:
“God’s away on business”(神様は商用で留守)と歌うTom Waitsは、「どうしても信じられないもの」として以下のものをあげる。『超越的なものに向かって祈る』内田樹氏はこれらすべてにあてはまる。
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どうしても信じられないものがいくつかある
めそめそ泣く女、
神かけて間違いありません、と誓う商人、
勘定は後でね、と言う泥棒、
気を使ってくれる弁護士、
眠っている蛇、
お祈りをする酔っぱらい

There are few things I never could believe
A woman when she weeps
A merchant when he swears
A thief who says he'll pay
A lawer who cares
A snake when he is sleeping
A drunkard when he prays


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