野球の試合を見ていて、「無意味だなあ。」と感じる事が在る。投手が2球続けてストライクを取り「ノー・ボール、2ストライク」のカウントにした後、必ずと言って良い程、捕手は次の球として“明らかなボール”を投手に投げさせる事だ。特にジャイアンツの捕手は、其の傾向が強い。此れが、自分には理解出来ない。
「ノー・ボール、2ストライク」となった時点で、打席の打者は心理的に追い込まれる。心理的有利さで言えば「投手:8、打者:2」位の感じだろう。然し、“明らかなボール”が投じられて「1ボール、2ストライク」になった時点で「投手:7、打者:3」、其の次に又ボールで「2ボール、2ストライク」となったら、「投手:5、打者:5」では無く、「投手:3、打者:7」位に、打者が“心理的に”有利となる気がする。
「『ノー・ボール、2ストライク』の次の球は、“明らかなボール”を投じさせるという傾向が、ジャイアンツの捕手に特に強い。」と書いたが、此れには理由が在る。V9時代のジャイアンツでは、「ノー・ボール、2ストライク」から打たれた場合、罰金が取られるという制度が在ったからだ。「投手が有利なカウントから打たれるとは何事だ!」という事から、次の球は“明らかなボール”を投げさせる様になったとか。
「2球続けてストライクが取れた。でも、3球続けてストライク、其れもを打者を抑え込むコースに投げるのは難しいだろう。」という確率論(?)から、1球外す様になったという話を聞いた事も在ったが、此方によると「打者の目線を、外に動かす。」、「頭にアウト・コース、ストレートの意識付けをさせる。」、「ストレートの軌道を見せる。」という理由が在るとか。そういう理由なら、1球外すのも理解は出来無くも無い。
唯、「ノー・ボール、2ストライクになったので、次は“明らかなボール”を投げさせれば良い。」といった、漠然とした外し方をしているケースが多い様に感じる。塁に走者を出していないケースも然る事乍ら、走者が居るケースで“明らかなボール”を投げさせると、結果的にボールを続けて四球を出したり、ヒットを打たれる事が多い様に感じる。
投手の調子がまあまあ良い時ならば未だしも、良く無い状態の時は“明らかなボール”を放らせると、大概四球やヒットに繋がってしまう。今日の「ゴールデンイーグルスvs.ジャイアンツ」戦、3回裏にゴールデンイーグルスが1点を返し、「1対2」となっての2死満塁。ジャイアンツの先発・杉内俊哉投手は、打席の中川大志選手を「ノー・ボール、2ストライク」に追い込んだ後、次に投じたのは“明らかなボール”だった。立ち上がりが良く無い杉内投手だけに、「ストライクを放れとは言わないが、あんな“明らかなボール”を放ると、結果的に四球やヒットを打たれる可能性が高くなる。」と危惧したら、案の定「3ボール、2ストライク」とカウントを悪くした挙句、2点タイムリーを浴びて逆転されてしまった。
「『ノー・ボール、2ストライク』の次は、必ずストライクを投げろ。」と言っているのでは無い。時には“明らかなボール”を放るのも、在りだとは思っている。理解出来ないのは、漠然と“明らかなボール”を放る事。心理的に投手有利な状況を作り乍ら、自ら放棄するのは愚の骨頂で、要は「決まり事だから、1球外す。」というのでは無く、TPOに応じて「1球外すか、外さないか。」を決めて欲しいのだ。無意味に1球外す事が少しでも減れば、其れは試合時間の短縮にも繋がるだろうし。