ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「傷魂 ー忘れられない従軍の体験ー」

2021年06月06日 | 時事ネタ関連

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日本軍隊教育には、こうした何の役にも立たないむだな、形式的な教育訓練がずいぶんたくさんあった。朝夕点呼で、「軍人は礼儀を正しくすべし。」と毎日繰り返していても、それはただ形式的なお念仏のようなものであった。軍隊では上官に対する礼儀が一方的に強要されても、上官が下級者に対してはずいぶんと無礼の仕打ちを平気でしたものであった。

「軍人は信義を重んずべし。」という軍隊では、官品の盗み合いが員数つける称し公然と行われ、品物を盗まれた者は「取られる奴が間抜けなのだ。」として、上官から一喝のもとにビンタ喰うしまつであった。清潔、整頓モットーとする軍隊では、戦前どこの家庭にも見られなかった南京虫がいっぱいいた。ことあるごとに、適材適所を強調する反面、一方ではよい年配の通信技師教授らが応召されて馬糞掃除などに酷使され、他方では小学中途退学の読み書きも満足にできない前科と、いれずみを誇るやくざ上がりを、単にそれが星二つ古兵であるというだけで、本部付として事務を執らせるという愚劣敢えてしたりした。あの長い軍人勅諭一言一句の誤りもなく丸暗記でき、戦陣訓で言えるようになっても、兵隊たちは実際において、その内容と正反対のことを平気でやってのけた。あたかも暗唱実践とが別個であるかのように―。
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1908年に東京浅草で生まれ、京都帝国大学法学部を卒業後、太平洋戦争で応召され、南方の激戦地で九死に一生を得宮沢縱一氏。戦後音楽評論家として活躍し、2000年に91歳で亡くなった人物だが、そんな彼が敗戦の翌年、即ち1946年に、自身の従軍生活に付いて記した本「傷魂」を上梓した。今回読んだ「傷魂 ‐忘れられない従軍の体験‐」は昨年、復刻版として上梓された物で在る。

戦中、国民が行っていた“竹槍訓練”等、日本の軍部が行っていた事には形式的な意味合いしか無かったり、意味が全く無かったりする物が少なく無い。「傷魂 ‐忘れられない従軍の体験‐」の中でも幾つかそんな物が紹介されているが、中隊本部から司令部への転属となった著者が、其の報告を部隊本部にする“だけ”に、危険地帯を数kmも歩いて向かい、『良し、確り遣れ。』の言葉を受けただけで、再び戻る。」という出来事なんぞも、「実に馬鹿げた、形式的なだけの決まり。」としか思えない。

又、戦陣訓の「生きて虜囚の辱を受けずという教えを叩き込んだり、乗員の命を守るという観点が抜け落ちている戦闘機を作ったり、延いては特攻”を編成したりと、人命軽んじていた日本軍。戦地で日本兵に対して散蒔かれた米軍による“投降勧告”の中には、「捕虜の日本兵達が楽しそうに食事したり、将棋をしたりしている其の生活面を、スナップした写真を刷り込んだ物。」も在ったそうだが、驚くのは「写真の捕虜達の目の部分には、必ず黒い目隠しがされていた。」という事。「仮令“敵”で在っても、個人が特定される様な事をしてはいけない。」という米軍の思い遣りが在ったという事。人命やプライヴァシーに対する配慮等、米軍と日本軍との間に、余りの差を感じてしまう。

戦後、傷兵として帰国した宮澤氏が、熱海の国立病院に入院していた際、1人の老婆から“南方の戦地での食糧事情”に付いて質問されたと言う。其の老婆の長男も南方に出征したっきり、未だに帰っていないそうで、「南方の戦地では、伝えられている様な“食料地獄”が本当に在ったのか?ああした種々の食糧難の話は駆け引きの無い所、事実なのかどうかを教えて欲しい。」という質問。宮澤氏及び室の戦友は、余りにも過酷な食糧事情に付いて説明したそうだ。

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老婆は私たちのこうした回答が非常に満足だったらしく、実は私もそうした話がみんな本当の話だと信じていたが、先日近所の寄り合いの席で近くに住む中年男から、ああした話はだいたいが嘘でたらめで、兵隊たちが自分たちの苦労を誇張して話すためにデッチ上げられた作り話にすぎないと聞かされたので、ついそれが気になって今のような失礼な質問をしたのですと、質問した動機を説明してくれました。しかしそれを聞いた時、まったくのところ、私たちは唖然としてしまいました。実際、何と言ってよいか分からない実に妙な気持ちになってしまいました。

日本の人たちの中には、特に空襲一つ受けない熱海のような極楽境に住んでいて、赤紙脅威圏外にあった中年の人たちの中には、未だにこのような認識不足もはなはだしい人がいるのかと、口惜しいような、情けないような、嘆かわしいような複雑異様な気に打たれました。

軍隊生活をしたことのない人には、軍隊がいかに封建的野蛮的であるかを話しても、とうていそのままには信じられないように、激戦地の話も、実際野戦で苦しまぬ者にはまったく想像つきかねるようなことがたくさんにあるのです。ちょうど空襲を体験しない人には空襲の真の恐ろしさが分からないように。‐

しかしそれだからと言って、自分のいい加減な考えで勝手に色々と決めてしまわれては、死んだ兵隊たちがあまりにもかわいそうです。

赤紙一枚で駆り出され、生き地獄の戦地に連れていかれ、さんざん苦闘したあげく、傷ついたり、栄養失調マラリヤ赤痢破傷風などのために動けなくなり、置き去りにされて野たれ死にしていった数多の兵隊たちに、いったい何の罪があるのでしょう。
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極右的な言動をする人の中には、「日本軍の兵士達は、1人たりとも残虐な行為をした者はない!」といった主張をする者が少なからず居る。こういう人達は概して、「自身が所属する組織は、全てに関して清廉で正しい!!」という主張をする。「自身が所属する組織を少しでも否定される事は、自身の存在意義を全面否定される事と一緒。」とでも思っている様だが、笑止千万と言わざるをない。

過去に何度も書いたけれど、戦争とは「敵兵を1人でも多く殺す事が高く評価され、平和の“常識”が当て嵌められない、“極めて異常な状況”。」なのだ。だから、日本軍に限らず、他の兵隊でも、大なり小なり“残虐な行為”はしていたと思うし、実際問題、そういう証言をする元兵士達は、国内外で大勢居た。数多の元兵士達の証言が存在するというのに、戦地に赴いてもいない人間、中には戦争を全く経験していない人達が、何の根拠も無しに「日本軍の兵士達は、1人たりとも残虐な行為をした者は居ない!」的な事を主張する愚かさ。

朝日新聞の慰安婦報道問題」は猛批判されて当然だが、だからと言って「日本軍及び日本兵に対する不都合な事柄は、一切存在する訳が無い。」とするのは、余りにも常軌を逸している。「何事も『良い面も在れば、悪い面も在る。』のが普通で、そういった事柄を全て理解した上で、どう考えるか?」というのが大事。

「色々不平&不満は在るけれども、日本が好き。」というのが自分の考え。「仮令自身が所属している組織に不都合な事柄で在っても、其れ等をきちんと認める。」という“当たり前の事”が出来る人が、少しでも多くなって欲しい。


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