“最初から最後迄通して初めて見た学園ドラマ”は、1974年に放送された「われら青春!」【OP】だ。中村雅俊氏が主役の教師・沖田俊役を演じたのだが、其れ以前に「太陽にほえろ!」【動画】でTV初出演はしていたものの、彼にとって「われら青春!」が本格デビュー作と言って良い。此の番組を見て薄ぼんやりとでは在るが、「教師になりたいな。」と初めて思ったっけ。
「われら青春!」は、夏目漱石氏の小説「坊つちやん」の世界を思い起こさせる作品。「若くて無鉄砲な教師・坊っちゃんは、中村雅俊氏が演じた沖田俊。」、「陰湿な性格の教頭・赤シャツは、穂積隆信氏が演じた教頭・江川俊介。」、「赤シャツに胡麻摺り許りしている腰巾着の野だいこは、柳生博氏が演じた塚本信二。」という感じだった。そして「坊っちゃんの憧れの人・マドンナは、島田陽子さんが演じた女性教師・杉田陽子。」だ。
其の島田陽子さんが25日、大腸癌にて69歳で亡くなられた。近年は闘病生活を送られていたと言うが、全然知らなかったので、本当に驚いた。
島田陽子さんの事を初めて知ったのは、「われら青春!」よりも3年前の事。特撮TVドラマ「仮面ライダー」【動画】の初期の頃(1話、2話、4話~25話、34話)、野原ひろみ役で出演していたのだ。でも、其の時は“出演している女性の内の1人”という感じで、そう印象には残らなかった。
でも、「われら青春!」での島田さんの事は、強烈に覚えている。“清楚”という言葉がピタリ当て嵌まる見た目だが、時には強気な姿勢を見せる役所。子供心に「奇麗な人だなあ。」と思った物。
【「われら青春!」に出演時の島田陽子さん】
中村雅俊氏演じる沖田俊と島田陽子さん演じる杉田陽子は、軈て互いに恋心を抱く様になるのだが、其処に到る迄には何度も対立が。抑、杉田陽子が赴任して来た際、沖田俊と口論になるのだが、すっと首が長い彼女に対し、彼が名付けた綽名が在り、最後迄此の綽名で呼ばれていた。其の綽名は「丹頂鶴」で、自分は初めて丹頂鶴という存在を知ったのだ。
「われら青春!」で、“清純派女優”として一躍有名になった島田さん。1980年にはアメリカのTVドラマ「将軍 SHOGUN」【動画】でヒロイン・戸田まり子役を演じ、“アカデミー賞の前哨戦”で在るゴールデングローブ賞の主演女優賞に選ばれた事で“国際女優”と呼ばれる様に。
だが、1988年に内田裕也氏との不倫交際が発覚して以降、彼女の人生は暗転する。度重なる金銭トラブルの結果、刑事告訴された事も在ったし、ヘア・ヌード写真集を出したり、AVに出演したりと、“国際派女優”は“御騒がせ女優”と呼ばれる様になった。「われら青春!」に出演していた際の清楚さが印象的だっただけに、私生活の余りの乱れ方は、とても残念だった。
「われら青春!」に出演していた方々を確認すると、穂積隆信氏や草薙幸二郎氏、菅井きんさん、名古屋章氏、森川正太(沖正夫)氏、佐山俊二氏、塩沢ときさん、下川辰平氏、田崎潤氏、山田康雄氏[ナレーション]、そして今年4月に亡くなられた柳生博氏と、鬼籍に入られた方も少なく無い。今回、島田陽子さんが加われた訳だが、69歳というのは若過ぎる。合掌。