ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

仕事

2010年07月26日 | 其の他
幼少時から趣味でしていた事柄を、自身の生業とした知人が居る。「好きな分野の仕事に就く事自体難しく、仮に好きな分野の業界に入れても、自身が望まない配属先になる事は珍しく無い。」のが一般的で、斯く言う自分も好きな分野の仕事に就けなかった一人だ。だから以前、その知人と飲んだ際に「趣味を仕事に出来て羨ましいよ。」と言った事が在るのだが、その時の彼の言葉が印象的だった。

『趣味と実益を兼ねる。』という点では、確かに俺なんかは恵まれているのかもしれないね。でも、好きでもない事柄を生業にしている場合、嫌な事が在ると『所詮、好きな事をしている訳では無く、単に金稼ぎでしている事だから』と、自分自身の中に“精神的な逃げ道”を作る事が出来るけど、俺の場合は『趣味を生業にしている。』という自覚が在るので、その精神的な逃げ道が作れない辛さも在る。辛さを愚痴った所で、他者から『好きな事をして飯を食っている癖に贅沢な事言うなよ。』って思われちゃうのは理解しているし。

それ彼の生き方にはは羨ましさしか感じていなかったのだが、この時から「趣味を生業にするのも、辛い面が結構在るのかも。」と思う様に。

道尾秀介氏の初エッセー集「プロムナード」。その冒頭に「はじめに ~僕が信じていること~」というのが在り、「世間の評価は別として、僕は自分の斯く小説が大好きです。語弊を恐れずに書くと、誰の小説よりも好きなのです。」と彼は記している。人によっては「何と自己愛が強い人なんだ。」と思うかもしれないけれど、「『物書き』で在る事の喜び、そして自分の作品への深い愛情を其処迄素直に披瀝るって良いなあ。」と自分は感じた。

そして第1章には「他人のお金で遊び暮らす」というタイトルのエッセーが在り、其処で道尾氏は「小説が書くのが好きで、作家になってからもやっぱり好きで、いまだにショーマンシップなど皆無のまま、ただただ自分が読みたいものばかりを自給自足のように書いている。これはいわば他人のお金で遊ばせてもらっているようなもので、いつか本がぜんぜん売れなくなり、食うや食わずの生活に陥ったとしても、このスタイルだけは変えたくない。」と記している。この強い思いには、彼が10代後半から20代前半に掛けて全国各地をバイクで旅していた際、出逢った或る人物の存在が大きく影響しているそうだ。

彼が沼津に行った時の事。高速道路を走行中に、いきなりバイクが減速し始め、やがてエンジンが完全に止まってしまった。暫くエンジンを触ってみたが全く動かず、仕方が無いのでJAFを呼ぶ事に。しかし当時のJAFは対象がバイクの場合、近くのインターチェンジ迄バイクを運んでくれるだけで、修理は請け負わないシステムだったとか。動かなバイクと共に寂しくインターチェンジに置き去りにされた道尾氏は、近くの電話ボックスに入ってタウンページでバイク屋を捜し、「あ」行の一番上に載っていた店に電話した所、直ぐに来て貰える事になったと。

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トラックに乗ってやってきたのは20代後半と思われる、上背があってハンサムで、何か喋ったあとに必ず素敵な照れ笑いをする人だった。その人は200キロ以上もある僕のバイクを、まるでローラースルーGOGOのように軽々と扱い、地面を蹴って勢いをつけると、ものすごく細いスロープを駆けのぼって瞬く間に荷台へ積んでしまった。

暖房の効いた助手席に乗せてもらい、店へと向かっているあいだ、当時そろそろ将来のことを考えはじめていた僕は「バイク屋って楽しいですか?」と訊いてみた。その人は当たり前のようにこう答えた。楽しいよ。他人のお金で遊ばせてもらってるようなものだもん。。給料易いけどね、とその人はつづけた。「でも俺、ずっとバイク屋やってくよ。金がなくても、毎日遊んで暮らしていけるなんて最高でしょ?」。

暗くなっていく窓の外を眺めながら、このとき僕は2つのことを心に決めた。1つは、いつか自分も絶対に他人のお金で遊ばせてもらえるようになること。もう1つは、何事も難しく考えないこと。

上背もルックスもかなわないし、あんなに魅力的な照れ笑いもできないけれど、あれから十何年経って、生活スタイルだけはどうにか真似できたように思える。

あの人、いまでもバイク屋さんをやっているだろうか。
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「楽しいだけの仕事」なんて、恐らくは世の中に存在しないだろう。多かれ少なかれ、、その多くが辛い事ばかりというのが現実か。考え方一つで、その辛さも減じる事が出来るのだろうけれど、自分の様な凡人には、「考え方を少し変える」事自体がなかなか難しい。

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2 コメント

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Unknown (iorin)
2010-07-26 20:33:36
自分も社会に出て、理想と現実のギャップにがっかりですわ。

 でも上司に月1・2回ほどスナックを奢ってもらってます。「他人の金ほど楽しいものはない」
 まあ我々の稼いだ金でもありますけど・・・
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>iorin様 (giants-55)
2010-07-27 00:08:38
書き込み有難う御座いました。

「教科書に載っていない事が現実社会には在った。それを教えなかった学校教育が悪い!」と逆恨みし、脅迫行為を行ったトホホな東大生が逮捕されたというニュースが以前在りましたね。「理想と現実のギャップ」は世の中に腐る程在り、それを「如何に自身の中で納得させ乍ら生きて行くか。」というのが一般的な訳ですが、「自身の能力を高めて行く事で、妥協点を高めて行く。」というのが所謂“出来る人”なのでしょうね。自分の様な凡人には、とても出来ない事ですが。
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