ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

腑に落ちない判決

2012年03月23日 | 時事ネタ関連

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「死亡轢き逃げ 『撥ね認識無い。』無罪 糖尿血糖意識障害」(3月22日付け東京新聞【朝刊】)

 

横浜市で2009年、自転車の高校生を車で撥ねて逃げたとして、道交法違反(轢き逃げ)の罪に問われた同市内の男性被告(46歳)の判決が21日、横浜地裁で在った。久我泰博裁判長「糖尿病による低血糖症で、意識障害に陥っていた。」と故意責任能力を認めず、無罪(求刑懲役年)を言い渡した。

 

男性は車の運転中に低血糖症で意識障害となり、公判では、「事故に気付かず走り去った事が、轢き逃げに当たるか。」が争点になった。事故自体の責任は問われておらず、事故後に救護をしなかった責任だけが争われたケースは異例公判では、検察側が裁判所に紹介した鑑定医が事故当時の被告の状態を「糖尿病に起因する無自覚低血糖症により、著しい意識障害に陥っていた疑いが在る。」とした。久我裁判長は此の鑑定を採用し、弁護側の主張通り「人を撥ねた認識は無く、(轢き逃げの)故意は認められない。」と判断した。

 

検察側は「事故前後、赤信号で停車する等正常に運転出来ており、人を撥ねた認識は在った。」と主張したが、久我裁判長は「朦朧とした状態で、事故の報告や救護に思いが到らず、行動を制御する能力を欠いていた疑いが残る。」と退けた。

 

判決によると、被告は2009年9月1日夜、車で帰宅中、横浜市中区で、路上駐車の車を避けた際、反対から来た自転車の高校3年生の男子生徒=当時(17歳)=を撥ねた。高校生は20後に死亡した。

 

男性は自動車運転過失傷害容疑でも逮捕されたが「事故の記憶が無い。」と一貫して容疑を否認し、嫌疑不十分不起訴となった。

 

横浜地検の堀嗣亜貴(ほり つぐあき)次席検事は「判決内容を精査し、上級庁とも協議の上、適切に対応したい。」とコメントした。

 

閉廷後、生徒の父親は「残念で悔しい。此れでは息子が浮かばれない。検察は控訴して欲しい。」と話した。

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亡くなった男子生徒の父親が「此れでは息子が浮かばれない。」と話されたそうだが、もし自分が彼の立場だったら全く同じ思いになるだろう。今回の判決、個人的には腑に落ちないから。

 

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無自覚低血糖症:血糖値を下げるホルモンインスリン」の分泌が足りず、注射で補う等して治療する「1型糖尿病」患者が、薬の副作用で血糖値が下がり過ぎて、動悸や震え等の自覚症状も無い行き成り意識障害に陥る症状。2008年の厚生労働省の調査では、インスリン治療の糖尿病患者は約19万人。予防には舐めたり、ジュースを飲んだりして、適度に糖分を補給するしかない。

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公判で明らかになった事だが、今回の被告は過去にも運転中に意識障害になった経験が在ったにも拘らず主治医に低血糖症が在る事を伝えず、免許更新時にも症状を申告していなかったのだとか。(無自覚性の低血糖症は2002年の道交法改正で、癲癇と同様、運転免許の試験や更新の際に、医師の診断書や本人の申告内容から、発行や更新の可否を判断する様に定められている。)「(低血糖症という事で)運転を止められるのが怖かった。」というのが理由。「運転免許書が無ければ、働ける場所が極めて制限されてしまう。」という現実は在ると思うし、故に彼が事実を明らかに出来なかった理由は判らないでも無い。

 

だがしかし、過去にも運転中に意識障害に陥った経験が在る事を考えると、引き続き運転をし続けるというのは非常に危険。「薬の副作用で血糖値が下がり過ぎ~」というのは気の毒と思うけれど、百歩譲って運転をし続けるにしても、「糖分補給を厳格に行う。」というのは必須だろう。今回の件、被告が本当に「人を撥ねた認識」が無かったとしても、其れは其れで「無自覚低血糖症の者が運転をする場合、必須の自己管理が出来ていなかった。」という観点から、自分は「問題在り。」と思うのだが。

 

今回の判決が妥当となってしまうと、轢き殺された人間は正に「殺され損」で、遺族も嘸や無念な事だろう。酌量減軽」は必要な概念と思っているが、今回の場合は果たして相応しいのか?

 

飽く迄も「今回の件は無関係」という前提で書くが、例えば「Aという人間は、どうしてもBという人間を殺したいと思っている。でも、自らが手を下せば、罪に問われてしまう。其処でBとは全く面識が無く、無自覚低血糖症を罹患しているCという人間を捜し出し、金銭を払ってBの殺害を命じ、Cは命令に応じて、車でBを撥ね殺した。逮捕されたCは『人を撥ねた認識が全く無かった。』と主張し続け、結果として無罪となる。」なんてケースが将来、絶対に起こり得ないとは言えない気がする。*1

 

*1 誤解しないで欲しいのは、自分は無自覚低血糖症の人々を差別したい訳では無いという事。きちんと自己管理出来れば、車の運転だって全く構わないとも思っている。病の有無に拘らず、世の中には良い人間も居れば、悪い人間も居る訳で、悪い人間が悪い人間と組み、悪事を働く事自体を自分は嫌うだけの事。


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