1992年8月16日の甲子園、彼は敵チームから5打席連続敬遠を食らう。この試合では一度もバットを振る事無く、結果を残せなかった彼。しかし5打席連続敬遠という事実が、清原和博選手以来の”怪物”誕生を痛感させた。
1992年11月21日に行われたドラフト会議、最も注目が集まった選手は彼だった。ジャイアンツ、タイガース、ドラゴンズ、そしてホークスと4つのチームが彼を1位指名し、運命の籤引きが行われる事に。掛布雅之選手に憧れていた事も在り、彼の希望チームはタイガースだった。4チームの代表者が籤を引き、一斉に籤を開く。親指を立て、満面の笑顔で指名権獲得をアピールしたのは、13年ぶりにジャイアンツの監督に復帰したばかりのミスター。ジャイアンツ・ファンの自分も、その姿を見て同時に「良し!」と大声で叫び、ガッツ・ポーズをしたものだった。ジャイアンツは当初、伊藤智仁投手を指名する予定だったが、ミスターが終始熱望していた事も在り、彼の指名に転じたと言われている。そして彼は18歳でジャイアンツに入団する事に。
ジャイアンツの先輩・王貞治選手が打ち立てた「年間ホームラン数55本」の日本記録。「この記録に並び、そしてそれを上回る選手になって欲しい。」というチーム関係者の思いから、彼に与えられた背番号は「55」。「ジャイアンツの、否、日本チームの4番を務める選手に成長させる。」べく、ミスターは3年がかりで彼を鍛え上げる構想を打ち出す。所謂「4番への千日構想」だ。
開幕は二軍スタートだった彼。一軍に上がったのはこの年の5月1日、本拠地・東京ドームで行われたスワローズ戦だった。7番レフトでスタメンを飾った彼は、2打席目に先発の西村龍次投手から二塁打を放ち、これがプロ入り初安打&初打点となる。そして翌日には、高津臣吾投手からライト・スタンドに初ホームランを打ち込む。プロ1年目は57試合に出場して打率2割2分3厘、11本塁打の結果を残すも、新人王はジャイアンツが当初指名を予定していた伊藤投手が獲得する事に。
翌年の1994年のオールスターゲームでは、セ・リーグ史上最年少での4番を務め、又、20本塁打を放つ等ジャイアンツの日本一達成に大きく寄与。そして1995年8月24日の対ベイスターズ戦では、レギュラー・シーズンで初の4番を務める。怪物が超怪物へと変貌して行った時代。
しかし「俺が、俺が!」といった灰汁の強さが無かった事も在ってか、凄い成績を残しながらもチームでは落合博満選手や清原和博選手の陰に隠れた、次男坊的なイメージが常に在った様に思う。そんな彼が2002年のシーズン・オフ、FA権を行使してのメジャー行きを決断。移籍先はニューヨーク・ヤンキースだった。ミスターの後に就任した原辰徳監督率いるジャイアンツがこの年の日本一を勝ち取り、「これからジャイアンツの栄光の時代がやって来る!」と信じていた自分にとっては、最も好きな選手の移籍が堪らなく哀しかった。しかし彼の決断を支持し、応援したいという気持が在ったのは、偏に彼の人間性を愛していたから。
そしてメジャーでの5年目のシーズンを迎えた今季、彼は一つの節目を迎えた。5月7日(日本時間)、彼こと松井秀喜選手は日米通算2千本安打を達成をしたのだ。対シアトル・マリナーズ戦、6回裏に彼が放った打球はレフトへのフライ。しかし太陽光が目に入ったレフトは、この打球を捕球出来なかった。この時点で公式記録員はこれを失策と判定したのだが、7回表になって二塁打と訂正し、松井選手の二千本安打達成と相成った。豪快なホームランでの達成を期待していたが、「失策が一転して安打となり、この事で大記録の達成。」というのも控え目な松井選手らしい気もしている。
日米通算2千本安打達成、本当におめでとう!!
ヤンキー・スタジアムに物見遊山・・・では無く、松井選手に名球会入会の証で在る名球会ブレザーを手渡すべく同スタジアムを訪れた我等がカネやん。そのカネやんからブレザーを羽織らされ、輝く笑顔を見せていた松井選手の姿に感動。そして「未練がましい。」と言われようが、「何時の日か又ジャイアンツに戻って来て欲しい。選手として叶わなければ、監督としてでも是非!」という思いを更に強くした。
1992年11月21日に行われたドラフト会議、最も注目が集まった選手は彼だった。ジャイアンツ、タイガース、ドラゴンズ、そしてホークスと4つのチームが彼を1位指名し、運命の籤引きが行われる事に。掛布雅之選手に憧れていた事も在り、彼の希望チームはタイガースだった。4チームの代表者が籤を引き、一斉に籤を開く。親指を立て、満面の笑顔で指名権獲得をアピールしたのは、13年ぶりにジャイアンツの監督に復帰したばかりのミスター。ジャイアンツ・ファンの自分も、その姿を見て同時に「良し!」と大声で叫び、ガッツ・ポーズをしたものだった。ジャイアンツは当初、伊藤智仁投手を指名する予定だったが、ミスターが終始熱望していた事も在り、彼の指名に転じたと言われている。そして彼は18歳でジャイアンツに入団する事に。
ジャイアンツの先輩・王貞治選手が打ち立てた「年間ホームラン数55本」の日本記録。「この記録に並び、そしてそれを上回る選手になって欲しい。」というチーム関係者の思いから、彼に与えられた背番号は「55」。「ジャイアンツの、否、日本チームの4番を務める選手に成長させる。」べく、ミスターは3年がかりで彼を鍛え上げる構想を打ち出す。所謂「4番への千日構想」だ。
開幕は二軍スタートだった彼。一軍に上がったのはこの年の5月1日、本拠地・東京ドームで行われたスワローズ戦だった。7番レフトでスタメンを飾った彼は、2打席目に先発の西村龍次投手から二塁打を放ち、これがプロ入り初安打&初打点となる。そして翌日には、高津臣吾投手からライト・スタンドに初ホームランを打ち込む。プロ1年目は57試合に出場して打率2割2分3厘、11本塁打の結果を残すも、新人王はジャイアンツが当初指名を予定していた伊藤投手が獲得する事に。
翌年の1994年のオールスターゲームでは、セ・リーグ史上最年少での4番を務め、又、20本塁打を放つ等ジャイアンツの日本一達成に大きく寄与。そして1995年8月24日の対ベイスターズ戦では、レギュラー・シーズンで初の4番を務める。怪物が超怪物へと変貌して行った時代。
しかし「俺が、俺が!」といった灰汁の強さが無かった事も在ってか、凄い成績を残しながらもチームでは落合博満選手や清原和博選手の陰に隠れた、次男坊的なイメージが常に在った様に思う。そんな彼が2002年のシーズン・オフ、FA権を行使してのメジャー行きを決断。移籍先はニューヨーク・ヤンキースだった。ミスターの後に就任した原辰徳監督率いるジャイアンツがこの年の日本一を勝ち取り、「これからジャイアンツの栄光の時代がやって来る!」と信じていた自分にとっては、最も好きな選手の移籍が堪らなく哀しかった。しかし彼の決断を支持し、応援したいという気持が在ったのは、偏に彼の人間性を愛していたから。
そしてメジャーでの5年目のシーズンを迎えた今季、彼は一つの節目を迎えた。5月7日(日本時間)、彼こと松井秀喜選手は日米通算2千本安打を達成をしたのだ。対シアトル・マリナーズ戦、6回裏に彼が放った打球はレフトへのフライ。しかし太陽光が目に入ったレフトは、この打球を捕球出来なかった。この時点で公式記録員はこれを失策と判定したのだが、7回表になって二塁打と訂正し、松井選手の二千本安打達成と相成った。豪快なホームランでの達成を期待していたが、「失策が一転して安打となり、この事で大記録の達成。」というのも控え目な松井選手らしい気もしている。
日米通算2千本安打達成、本当におめでとう!!
ヤンキー・スタジアムに物見遊山・・・では無く、松井選手に名球会入会の証で在る名球会ブレザーを手渡すべく同スタジアムを訪れた我等がカネやん。そのカネやんからブレザーを羽織らされ、輝く笑顔を見せていた松井選手の姿に感動。そして「未練がましい。」と言われようが、「何時の日か又ジャイアンツに戻って来て欲しい。選手として叶わなければ、監督としてでも是非!」という思いを更に強くした。
通過点に過ぎないでしょう。
イチローのほうが先かもしれませんが、日米通算3000本安打を是非達成してもらいたいです。
理由は勿論、
サンデーモーニングでハリーのコメントを是非聞きたいからです・・・。
>我らがカネやん
やっぱり行ってましたねー。
もしこの試合で出なかったら、
達成するまで滞在するつもりだったのでしょうか?
とかを希望しますねw
熱狂的なプロ野球ファンではない私ですが
松井選手は好きな選手なんです
たまにBS放送で大リーグ中継を観ていますが
松井選手が活躍するとやっぱり嬉しいです!
すごいなぁ、ホント。
日本に戻ってきてジャイアンツの監督になってくれると良いですね^^。
(でも強いて言えば虎ファンな私^^;)
P.S
わがハムの田中幸雄の2000本も達成の暁には祝ってやってくださいませ。
古くは王貞治選手が荒川博打撃コーチと出会った事でホームラン・バッターとしての才能を開花させ、世界脳ホームラン王に迄上り詰めた様に、今の松井秀喜選手が在るのもミスターとの出会いが大きかったと思います。これは偶然では無く、野球の神様が熟慮した末の必然ではなかったかと思ったりします。ミスターの言動から感じるのは、「本当に松井選手の事が可愛くて仕方ないんだろうなあ。」という事。「週刊ポスト」での恒例の対談(カネやん、王さん&ミスター)に、御元気になられたミスターが復帰された上、其処に松井選手を加えての祝・2千本安打の企画を密かに期待している自分です。
田中幸雄選手の事、当然忘れていませんよ。実は数日前、ハムぞー所長様のブログに田中選手の2千本安打に付いて書き込みさせて貰いました。良い悪いは別にして、一つのチームで選手生命を終える事が稀有になった今、更に一つのチームで2千本安打を達成というのは非常に稀有と言えるでしょうね。黙々と練習をこなして、地道に数字を積み上げて行くタイプ(と自分は思っているのですが。)のコユキ選手が、ファイターズ一筋の野球人生の中で大記録達成が間近というのはとても嬉しいし、若手&中堅選手達にとってとても良い見本になっていると思います。
ただ(現時点では一応)スワローズファンの身としては、常に彼に痛い目に遭わされていた様な気がします…。特に若松監督時代は…。どうも自分は性格がヒン曲がっているので、やられた悔しさが先に立ちますね…。
山口百恵さんの曲ではないですが、古田監督がチームを立て直し、野村監督時代の黄金期を復活させたら、松井選手に散々打たれた事も“笑い話に時が変え”て、
「松井は偉大だ(った)よなぁ~!!」
と、正式に言えるかも知れません。
追記
マニアックブログの方へ書き込んでいただきましたが、確かに水木一郎兄貴の歌はみんな何気無く知っているんですよね。極端な話、美空ひばりさんの歌並みに…。
巨人、今年は昨年の交流戦以降の様な事は無いのでは…? 小笠原・谷両選手の活躍、尾花・伊原両コーチの指導の元、このまま突っ走るのでは…? タイガースにここ数年の勢いが無いだけに、余計そんな気がします。
追記
20年前、スワローズは巨人だけでなく虎・竜・鯉にもカモにされてましたよ…。そして横浜大洋ホエールズと傷を舐め合ってました…。
スワローズ浮上の鍵は、やはり尾花コーチを返していただく事でしょう…って、無理か…_| ̄|〇