懐メロが大好きなので、昨夜、BS日テレで放送された番組「そのとき、歌は流れた ~時代を彩った昭和名曲」を見た。調べてみると、初回放送は「2023年8月27日」という事なので、昨年の物を再放送した形。番組内では「1971年と1980年に流行った歌が歌われた。」のだが、其の内容は次の通り。
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[1971年のヒット曲]
① 「空に太陽がある限り」【動画】
② 「花嫁」【動画】
③ 「また逢う日まで」【動画】
④ 「別れの朝」【動画】
[1980年のヒット曲]
⑤ 「恋人よ」【動画】
⑥ 「人生の空から」【動画】
⑦ 「異邦人」【動画】
⑧ 「道化師のソネット」【動画】
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懐メロ好きを公言してい乍ら、「別れの朝」は全く知らなかった。恥ずかしい限りだが、残り7曲は全て知っており、「空に太陽がある限り」と「また逢う日まで」、そして「人生の空から」は、過去にカラオケで何度歌った事か。
何度も書いた事だが、「昔のヒット曲は、其の歌を耳にしたり、歌ったりすると、当時の自分の思い出がパッと浮かぶ。」のだ。「ヒット曲と当時の自分の思い出が、密接にリンクしていた。」訳だが、個人的に言えば「そういう歌は昭和迄。」という感じがする。「今、どういう歌がヒットしているのか。」というのを全く判らなくなって久しい。
「空に太陽がある限り」や「花嫁」、「また逢う日まで」を耳にしたり、歌ったりして、パッと浮かぶ当時の自分の思い出の1つに「ボウリング」が在る。当時は“未曽有のボウリング・ブーム”で、自分も親に連れられた、ボウリング場に行った記憶が在る。ボウリングの試合を放送する番組が数多く在り、中山律子さん【動画】や須田開代子さん、並木恵美子さん等の女子プロ・ボウラーが、アイドル的な扱いでメディアに取り上げられていたっけ。(父方には“起業家”が何人か居て、本業以外にボウリング場を経営している者も。当時、中山律子さん等、スター選手が其のボウリング場で良く試合していて、放送する番組内では(本業の企業名が冠された)ボウリング場名が連呼されていたのが懐かしい。)
又、「恋人よ」や「人生の空から」、「異邦人」、そして「道化師のソネット」が流行った1980年は、“竹の子族”【動画】が時代を賑わわせていた。「竹の子族出身の沖田浩之氏がTVドラマ『3年B組金八先生 第2シリーズ』【動画】に生徒役で出演し、一躍人気者になったっけ。」という思い出が、此れ等の歌で甦る。「当時、奇抜なファッションにて原宿で踊り捲っていた竹の子族の面々も、44年経った今では“アラ還”なんだな。」と思うと、隔世の感が在る。
以前にも書いたが、「流行っていた当時は子供だったので、歌詞の意味も判らずに良く歌っていた歌。」というのが結構在る。1978年にヒットした「時には娼婦のように」【動画】なんぞは、流石に“意味深な歌詞”を理解出来る年頃だったが、「1973年にヒットした『狙いうち』【動画】は、『滅茶苦茶高飛車な女性を描いた歌詞だったんだ。』と長じてから判った。」し、「矢張り1973年にヒットした『他人の関係』【動画】は、『不倫を歌った歌だったんだ。』と知ったのは、可成り後の事。」だった。
で、今回の番組で初めて気付かされたのは、「『花嫁』は、駆け落ちをテーマにした歌だった。」という事実。其の曲調も在り、“長閑な風景”を勝手に思い浮かべ続けて来たが、今回、改めて歌詞を読むと、確かに駆け落ちをテーマにした歌だ。
番組に出演していた田中あいみさんは、「抑、“駆け落ち”という言葉自体を知らなかった。」との事で、意味を知って「今の時代、全てを擲ってのそういう行為って、一寸考えられないですね。」と語っていたが、「そうだろうなあ。」という思いも。