ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

“豊臣財宝”、遂に発見か!?

2017年04月01日 | 其の他

3月31日付けの「鹿児島目報」(夕刊)に、興味がそそられる大ニュースが載っていた。鹿児島県屋久島町に在る黒味岳の山中から、豊臣秀吉が隠したとされる、所謂“豊臣財宝”ではないかと思われる物が見付かったと言うのだ。

 

「豊臣秀吉が亡くなる直前の慶長3年、自分が亡くなった後の豊臣家案じた秀吉が、側近に命じて秘密裡大判金塊或る場所に埋めさせた。其の額は、現在の貨幣価値にして約200兆。」という“豊臣財宝伝説は以前から知られていたが、其の“或る場所”は、「兵庫県多田銀山ではないか?」と言われていた。

 

然し、鹿児島県の「与田家」では、「黒味岳に“豊臣財宝”が眠っている。」という言い伝えが、昔から在ったそうだ。今回、“豊臣財宝”と思われる物を黒味岳山中から見付けた与田荘氏(73歳)は、父・瀬賀氏から其の言い伝えを聞いていた。瀬賀氏自身も財宝捜しに人生を賭けていたが、12年前、見付け出す事無く鬼籍に入り、父の遺志を継いだ荘氏が、“親子53年に亘る夢”を実現させた訳だ。

 

大阪夏の陣で、共に亡くなったとされている豊臣秀頼真田信繁(幸村)。然し、「2人は亡くなっておらず、薩摩落ち延びた。」という噂は、昔から在った。京童部の間で歌われた「花の様なる秀頼様を、鬼の様なる真田が連れて、退きも退いたよ“加護島”へ♪」は、広く知られている。

 

「秀頼と信繁の落ち延び先が薩摩なのは、秀吉が其処莫大な財宝を隠したからではないか?『黒味岳に“豊臣財宝”が眠っている。』という言い伝えが代々伝えられて来た事からも、“豊臣財宝”は間違い無く、黒味岳に隠されている。」と、荘氏は確信していたと言う。

 

黒味岳の山中から発見されたのは、天正長大判と思われる物3枚と金塊1本。此れだけで、約7千万円の価値が在るそうだ。現在、本物かどうかの鑑定中。

 

日本の場合、隠された財宝が見付かったケースは、全て偶然によって。」という話を聞いた事が在る。「工事の、土を掘り返していたら、偶然見付かった。」等で、「隠された財宝を捜していて見付けた。」というのは、今回が初めてという事になろう。今回の発見物が本物と鑑定され、そして更なる財宝が山中から見付け出される事を期待したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・と書いて来たが、今日は4月1日。嘘を吐いて良い「エープリル・フール・デイで在る。記事内の表記は「鹿児島“日”報」では無く、鹿児島“目”報で在り、又、「与田荘(よだ そう)」及び「与田瀬賀(よだ せが)」という名前を逆から読むと、嘘だよ及びガセだよとなる。


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