昨日、サンマリンスタジアム宮崎を長嶋茂雄氏が訪問した。長嶋氏が脳梗塞で倒れてから初のジャイアンツのキャンプ地訪問で、これは3年ぶりの事だとか。「長嶋氏を”客寄せパンダ”として引っ張り出すのは、もう好い加減に止めて欲しい。」という気持ちは在るものの、あの笑顔を目にするとホッとするのも事実。発する言葉は未だ未だたどたどしかったものの、元気な姿が見られたのは嬉しかった。
同日、サンマリンスタジアム宮崎を訪れた”有名人”がもう一人。東国原英夫・宮崎県知事が、長嶋氏を表敬訪問したのだ。問題山積という事も在ってか、この所硬い表情が目立った彼も、長嶋氏の前では久し振りに良い笑顔を見せていた様に思う。
そんな東国原知事が、来月9日の深夜1時(10日の午前1時と書いた方が正確か?)からニッポン放送で放送される「オールナイトニッポン」のパーソナリティーを務める事になった。番組タイトルは「~日本をどげんかせんといかん!~東国原英夫のオールナイトニッポン」で、「タレント時代の度重なる不祥事によって人生のどん底を味わい、其処から這い上がった東国原知事の不屈のチャレンジ精神が、今の日本の閉塞感を打破する大きなヒントになるのではないか?」という同局スタッフの熱い申し入れに対し、「2時間たっぷり全国へ向けて、フリー・トーク出来る機会は在り難い。」と東国原知事が快諾したという。
彼が同番組に登板するのは17年ぶりとか。勿論当時は「そのまんま東」という芸名で、師匠で在るビートたけし氏のピンチ・ヒッターとしてだったのだが、以前の記事でも触れた様に、当時の「ビートたけしのオールナイトニッポン」(こちらに全放送リストが載っている。)を自分は毎週夢中になって聞いていた。学生の身だったので深夜帯は取り敢えず勉強らしき事はしていたのだが、木曜の深夜1時(正確には金曜の午前1時)前になると気も漫ろ。午前1時の時報が鳴り、ビートたけし氏(”殿”)と高田文夫氏の一寸した遣り取りの後に「ビートたけしのオールナイトニッポン!」のコールがされ、「ビター・スゥイート・サンバ」が流れ出してからの2時間、そう谷山浩子さん担当の二部(OPにも使われていた「てんぷら☆さんらいず」という彼女の曲が、何気に好きだった。)が始まる迄はあっと言う間に過ぎて行った。殿&高田氏の繰り出す軽妙洒脱なトークに大爆笑している内に、ふと気付けば番組エンディングを迎えているという感じだったのだ。
「村田英雄大先生のデカ頭コーナー」や「ポール牧師匠コーナー」、「ガッツ石松コーナー」、「若人あきらコーナー」、「ビートきよしコーナー」(「オーレのネタをさー、勉強しろ~。メモれ~、コピれ~、テプれ~、ビデれ~。」というきよし師匠のフレーズが懐かしい。)等々、余りにも馬鹿馬鹿しいネタに対して矢継ぎ早に突っ込みを入れる殿&高田氏。「思わず笑ってしまう芸人の芸名」という事で「中田ガッタン・ゴットン」等が紹介されたが、一番強烈だったのは”トロンボーン漫談”(これが恐ろしくつまらなかった。)をしていた「ホラッチョ宮崎」だったっけ。
それ程有名では無かった時代の鶴ちゃん(あの頃は妙に芸術家風を吹かしていなくて、芸自体も面白かったのに。)や邦ちゃんが飛び入りで参加したり、そのまんま東氏(大森うたえもん氏と「ツーツーレロレロ」なる御笑いコンビを組んでいた。)を始めとした「たけし軍団」が毎週スタジオの脇に詰めていたりと、活気に溢れた面白いラジオ番組だった。
芸人を引退し、政治の世界に生きる道を選んだ東国原知事だけに、9日の放送は真面目なトークが基本線になるのだろうが、あの頃の楽しさを知り尽くしている自分としては、殿やたけし軍団の乱入を心の何処かで期待していたりする。
同日、サンマリンスタジアム宮崎を訪れた”有名人”がもう一人。東国原英夫・宮崎県知事が、長嶋氏を表敬訪問したのだ。問題山積という事も在ってか、この所硬い表情が目立った彼も、長嶋氏の前では久し振りに良い笑顔を見せていた様に思う。
そんな東国原知事が、来月9日の深夜1時(10日の午前1時と書いた方が正確か?)からニッポン放送で放送される「オールナイトニッポン」のパーソナリティーを務める事になった。番組タイトルは「~日本をどげんかせんといかん!~東国原英夫のオールナイトニッポン」で、「タレント時代の度重なる不祥事によって人生のどん底を味わい、其処から這い上がった東国原知事の不屈のチャレンジ精神が、今の日本の閉塞感を打破する大きなヒントになるのではないか?」という同局スタッフの熱い申し入れに対し、「2時間たっぷり全国へ向けて、フリー・トーク出来る機会は在り難い。」と東国原知事が快諾したという。
彼が同番組に登板するのは17年ぶりとか。勿論当時は「そのまんま東」という芸名で、師匠で在るビートたけし氏のピンチ・ヒッターとしてだったのだが、以前の記事でも触れた様に、当時の「ビートたけしのオールナイトニッポン」(こちらに全放送リストが載っている。)を自分は毎週夢中になって聞いていた。学生の身だったので深夜帯は取り敢えず勉強らしき事はしていたのだが、木曜の深夜1時(正確には金曜の午前1時)前になると気も漫ろ。午前1時の時報が鳴り、ビートたけし氏(”殿”)と高田文夫氏の一寸した遣り取りの後に「ビートたけしのオールナイトニッポン!」のコールがされ、「ビター・スゥイート・サンバ」が流れ出してからの2時間、そう谷山浩子さん担当の二部(OPにも使われていた「てんぷら☆さんらいず」という彼女の曲が、何気に好きだった。)が始まる迄はあっと言う間に過ぎて行った。殿&高田氏の繰り出す軽妙洒脱なトークに大爆笑している内に、ふと気付けば番組エンディングを迎えているという感じだったのだ。
「村田英雄大先生のデカ頭コーナー」や「ポール牧師匠コーナー」、「ガッツ石松コーナー」、「若人あきらコーナー」、「ビートきよしコーナー」(「オーレのネタをさー、勉強しろ~。メモれ~、コピれ~、テプれ~、ビデれ~。」というきよし師匠のフレーズが懐かしい。)等々、余りにも馬鹿馬鹿しいネタに対して矢継ぎ早に突っ込みを入れる殿&高田氏。「思わず笑ってしまう芸人の芸名」という事で「中田ガッタン・ゴットン」等が紹介されたが、一番強烈だったのは”トロンボーン漫談”(これが恐ろしくつまらなかった。)をしていた「ホラッチョ宮崎」だったっけ。
それ程有名では無かった時代の鶴ちゃん(あの頃は妙に芸術家風を吹かしていなくて、芸自体も面白かったのに。)や邦ちゃんが飛び入りで参加したり、そのまんま東氏(大森うたえもん氏と「ツーツーレロレロ」なる御笑いコンビを組んでいた。)を始めとした「たけし軍団」が毎週スタジオの脇に詰めていたりと、活気に溢れた面白いラジオ番組だった。
芸人を引退し、政治の世界に生きる道を選んだ東国原知事だけに、9日の放送は真面目なトークが基本線になるのだろうが、あの頃の楽しさを知り尽くしている自分としては、殿やたけし軍団の乱入を心の何処かで期待していたりする。
ところで、長島監督ですが、テレビでお見かけして元気そうで何よりでしたね。昨日、デイサービスに来ているおばあちゃんをお風呂に入れていたところ、「夕べはね寝てないんだよ。」とのこと。「へぇ。どうして寝てないの?」「長島さんがね、心配で。長島さんのこと考えたら眠れなくなっちゃったの・・・。」ちょっと認知症のあるおばあちゃんでしたので、おそらく長島さんが体調を壊されたときにタイムスリップされていたのかも知れませんが、「長島監督、好きなの?」と聞くと、「そりゃもう、大好きよ。あたしゃー、あの人のおうちにも行った事あるよ。」と笑顔。小さい子供からおばあちゃんたちにまで人気がある長島監督なんだなーと、ちょっとほのぼのしてしまいました。
以前紹介させて貰いました「Gファイル 長嶋茂雄と黒衣の参謀」(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/86915a54bdd75d4ceac1f29ffa0280ed)内には、長嶋氏の”陰の部分”とも言える事柄が記されていました。人間ですから”陽の部分”だけでは無いでしょうし、嫌な面も少なからずは在ると思うんです。でも、そういう面も含めて、「長嶋茂雄」という人物は多くの人にインパクトを与えてくれる存在なのでしょうね。特に長嶋氏と共に育って来た人達にとっては、そのインパクトは相当なものだと思います。
カメラが廻っている時に見せる、底抜けに明るい笑顔。そして試合を見詰めている時に見せる、非常にシビアな表情。そのメリハリが自分は好きです。
個人的には小笠原選手や原監督等よりも、ミスターの横にベッタリと張り付いていた”3千本安打のおっちゃん”ばかりに目が行きました(笑)。
たしか(向井万起夫+大泉晃)÷2みたいな風貌だったような。
2枚集合写真を撮ってるのですが、どちらもポーズが同じ。
リアクションが薄いのが難点なようです
>宮崎
そういえば「ハリー」来てましたね。
紫のシャツが印象的・・・
まずKellogのCMに出てたのは覚えている。
オマケのプラモデルカーにカラーを塗って走らせるのです。(giants-55さんは覚えてますか?)
ある年のシーズン中、長嶋さんは怪我をしていたのか、一塁か三塁のコーチをやっていたのを覚えています。
しかし74年には開幕からレギュラーで出て、初戦のヤクルト戦でHRを放ったのは印象的。私がプロ野球中継を食い入るように見始めたのがこの頃。でもその年のシーズン終了後に引退してしまった。(引退セレモニーはテレビで見ましたよ!)
それから長嶋さんと王さんの書いた野球の解説書を小学生時代に読んでました。
それで野球がうまくなったわけではないがw。
ラジオ番組から数多の名パーソナリティーが排出されて来ました。「オールナイトニッポン」に限って言っても、こちら(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E4%B8%80%E8%A6%A7)に紹介されている様に多士済々の顔触れ。ラジオ文化の一角を担った、エポック・メーキングな番組と言えるでしょう。
唯、自分に関して言えば、「オールナイトニッポン」で実際に聞き続けていたパーソナリティーって本当に一握りなんです。ビートたけし氏の場合は恐らく、全放送の9割以上を聴いたというディープなファンでしたが、タモリ氏や笑福亭鶴光氏、明石家さんま氏の放送耳にしたのは皆無に等しい状態。他に聞いていたのは歌が好きだった関係から中島みゆきさんとアルフィー、後は勢いが在った頃のとんねるず位。伊集院光氏に関しては「面白い。」という話は聞いていたものの全く聴く機会が無く、今になって「伊集院光 日曜日の秘密基地(TBS)」という番組で彼の話術を堪能しています。
昔は馬鹿でかいカセットデッキのつまみを廻して、ラジオ番組を自宅で聴いていたものですが、最近は専ら移動中の車内の中でという感じです。FM放送から流れて来る音楽には、心身共にリフレッシュさせられますね。
たけしさんのオールナイトは僕も聴いてましたから。
浅草の芸人さんじゃないかな。
よくネタにされてましたよ。
今は“遣っ付け仕事”みたいな感じが目立ち、凄く残念では在りますが、全盛期のビートたけし氏の“速射砲”の如き喋りは大好きでした。彼の当時、彼の「オールナイトニッポン」を、若い世代は殆どが聞いていたと言って良いでしょうね。
ホラッチョ宮崎氏は、「トロンボーン漫談」なる物をしている浅草のピン芸人という事でした。芸云々では無く、単に「面白い芸名」という事で取り上げられていましたね。