一昨日、第三次小泉内閣の少子化・男女共同参画担当相に抜擢された猪口邦子氏だが、認証式に臨んだ際の衣装には度肝を抜かれた。てっきり、”政子ちゃん”があの世から降臨して来たのかと・・・。
冗談はさておき、今回の閣僚の顔触れを見廻した際に思ったのは、失言と受け取られ兼ねない発言が多く飛び出しそうだなあという事。そう思っていたら、早速、”想定外”の人物から失言が飛び出した。杉浦正健法務大臣が就任後の記者会見で、「死刑執行の命令書にはサインしない。」と断言したのだ。彼は、「哲学、宗教、生命に対する考え方は色々在る。」述べた上で、「文明論的に、又、長期的なスパンで言えば、死刑制度は廃止の方向に向かうと思う。」とし、サインしない理由に付いては「私の心の問題で在り、宗教観や哲学の問題。」とした。しかし、発言に対する反響が余りにも大きかった為なのだろうか、その1時間後には「発言は個人としての心情を吐露したもので、法務大臣の職務執行に付いて述べたものではない。」と前言を事実上撤回するに到った。
死刑制度の是非に付いては、百人百様の考えが在ると思う。自分の場合では言えば、以前から主張している様に死刑賛成派である。しかし、今回は死刑の是非に付いて触れたいのではなく、法務大臣という立場で「死刑執行の命令書にはサインしない。」と公の場で明言したのはおかしいのではないかという事。
各大臣がどんな主義&主張を持とうが全く自由だし、特に”小泉強権政治”が敷かれた中、与党のみならず野党迄もが”物言えぬ羊”化している今だからこそ、様々な主義・主張を披瀝するのは悪くないと思う。又、元弁護士の彼としては、「どんな状況&理由で在れ、人が人の命を奪うという行為に加担したくない。」という強い思いも在ったのだろう。しかし、死刑制度が現存している我が国に於いて、その執行命令を下すべき立場の法務大臣が、「死刑制度自体には反対。」という意思表示ならいざ知らず、「死刑執行の命令書にはサインしない。」、即ち「自分が法務大臣の間は死刑執行を行わない。」と言ってしまうのは、明らかに職務放棄だと思う。
昔の話になるが、法務大臣に就任した後藤田正晴氏が、「法務大臣が個人的な思想、心情、宗教観で死刑執行を命じないのならば、初めから大臣に就任する事が間違いだと思う。」と語り、それ迄3年4ヶ月に亘って執行されていなかった死刑を再開した。正にその通りだと思う。別段、力ずくで大臣に就任させられた訳では在るまいし、どうしても嫌ならば引き受けなければ良いだけの事。どういう中身か良く理解した上で担当した業務を、「組織や上司の方針が、自分のポリシーと相容れないので一部を放棄します!」と、普通の社会人が明言したらどうなる事か。
前法務大臣は、「大臣になれるので在れば、どんなポストでも構わない。」といった感じで就任した様な御粗末さしか感じられなかったが、大臣を務めるからには、もっと強い自覚を持って貰いたい。
冗談はさておき、今回の閣僚の顔触れを見廻した際に思ったのは、失言と受け取られ兼ねない発言が多く飛び出しそうだなあという事。そう思っていたら、早速、”想定外”の人物から失言が飛び出した。杉浦正健法務大臣が就任後の記者会見で、「死刑執行の命令書にはサインしない。」と断言したのだ。彼は、「哲学、宗教、生命に対する考え方は色々在る。」述べた上で、「文明論的に、又、長期的なスパンで言えば、死刑制度は廃止の方向に向かうと思う。」とし、サインしない理由に付いては「私の心の問題で在り、宗教観や哲学の問題。」とした。しかし、発言に対する反響が余りにも大きかった為なのだろうか、その1時間後には「発言は個人としての心情を吐露したもので、法務大臣の職務執行に付いて述べたものではない。」と前言を事実上撤回するに到った。
死刑制度の是非に付いては、百人百様の考えが在ると思う。自分の場合では言えば、以前から主張している様に死刑賛成派である。しかし、今回は死刑の是非に付いて触れたいのではなく、法務大臣という立場で「死刑執行の命令書にはサインしない。」と公の場で明言したのはおかしいのではないかという事。
各大臣がどんな主義&主張を持とうが全く自由だし、特に”小泉強権政治”が敷かれた中、与党のみならず野党迄もが”物言えぬ羊”化している今だからこそ、様々な主義・主張を披瀝するのは悪くないと思う。又、元弁護士の彼としては、「どんな状況&理由で在れ、人が人の命を奪うという行為に加担したくない。」という強い思いも在ったのだろう。しかし、死刑制度が現存している我が国に於いて、その執行命令を下すべき立場の法務大臣が、「死刑制度自体には反対。」という意思表示ならいざ知らず、「死刑執行の命令書にはサインしない。」、即ち「自分が法務大臣の間は死刑執行を行わない。」と言ってしまうのは、明らかに職務放棄だと思う。
昔の話になるが、法務大臣に就任した後藤田正晴氏が、「法務大臣が個人的な思想、心情、宗教観で死刑執行を命じないのならば、初めから大臣に就任する事が間違いだと思う。」と語り、それ迄3年4ヶ月に亘って執行されていなかった死刑を再開した。正にその通りだと思う。別段、力ずくで大臣に就任させられた訳では在るまいし、どうしても嫌ならば引き受けなければ良いだけの事。どういう中身か良く理解した上で担当した業務を、「組織や上司の方針が、自分のポリシーと相容れないので一部を放棄します!」と、普通の社会人が明言したらどうなる事か。
前法務大臣は、「大臣になれるので在れば、どんなポストでも構わない。」といった感じで就任した様な御粗末さしか感じられなかったが、大臣を務めるからには、もっと強い自覚を持って貰いたい。
さて、後藤田氏の発言はもっともな部分もあるのですが、ただちょっと死刑制度を単純に考えすぎてはいないか、という気もします。
死刑制度の反対者からは「死刑は国家による殺人」という言葉が聞かれますが、実際はそれどころか、言ってしまえば国務大臣が部下たる刑務所職員に殺人を命令するということです。
実際に刑の執行を担当した方々に関するノンフィクションを読んだことがあるのですが、拘置所内で長く付き合ってきた死刑囚の生命を奪うことは、多くの職員の心に消しがたい傷跡や恐怖心を残しています。
そう考えると、単に「職務だから」「義務だから」という理由で死刑執行命令書に署名するのはいかがなものか、と思わざるを得ません。
といって、極刑をもって臨むよりほかない犯罪者も現実には存在するわけで、簡単に死刑撤廃を主張する気にもなれないのですが……
私は廃止に反対します。
なぜならば、
我が国には実質的な終身刑が無いからです。
誤認誤審を最小限にすることを前提として、
死刑制度は必要であると思います。
また、法務大臣がその職務として執行のサインを拒む事は、
法治国家として許されることではありません。
昔と異なり現在の死刑は為政者の見せしめではなく、
犯した罪に相応するものとして存在します。
昨今加害者の人権ばかりが強く主張される傾向があるようですが、
それは間違った考えであると思います。
猪口女史のあの服装は確かに
「ウチのお父ちゃん・・・・・」ですね。
内容が重複してしまう部分が在りますので、御二方へのレスという形で書かせて戴く失礼を御許し下さい。
私見になりますが、死刑には賛成の立場を取っています。以前、「死刑の是非」に付いて書かせて戴いた際、多くの御意見を頂戴しました。賛成派の方の御意見の中にも「一寸この部分は自分と違うかな。」と思われるものが在る一方で、逆に反対派の方の御意見に同感出来る部分も在ったりで、改めてこの問題の難しさを思い知らされた次第です。
法律的な見地から言うと、Tempelhof様が御指摘の通りに、我が国に「終身刑が存しない。」というのが大きいと思います。”一般的には”、死刑に次ぐ最高刑の無期懲役が終身刑に近いニュアンスを持たれていますが、刑期が定まっていないというだけで、10年位でも出て来るケースも在り、極論に過ぎますが数年で出て来る事も絶対に在り得ない訳ではないと思うんです。こういった状況下では、死刑は已む無しと考えます。
又、感情的な部分(実を言えば、この部分が自分にとって大きく影響しているのですが。)でも死刑は廃止すべきではないと考えています。「ハムラビ法典の『目には目を。歯には歯を。』といった復讐刑的な意味合いが死刑に在るので在れば、『復讐は新たに無限の憎悪を生み出すだけ。』である。」といった声や、、記事内で触れた様に「どんな状況&理由で在れ、人が人の命を奪うという行為は駄目。」といった声が在るのは判るのですが、そうは言っても身内が理不尽極まり無い形で殺された場合、やはり復讐刑としての死刑を自分は望んでしまうというのが本音です。江戸時代の仇討ちを、公的に代行して貰うシステムと言ってしまうと問題かもしれませんが、でもそれは自分の本音として在ります。
以前、死刑反対派の弁護士さんが、実際に奥様を理不尽な形で惨殺され、余りにも被害者サイドが蔑ろにされている現状を思い知らされた事で、死刑賛成の立場に変わった事をTV番組で語られておりましたが、全ての被害者が同じ様な気持ちとは言わない迄も、そういう思いを持っておられる方は少なくないと思うんです。
死刑が凶悪犯罪の抑止力に為り得ていないという意見も在りますね。その真偽は判りませんが、少なくとも被害者サイドの心情を考えると、死刑廃止には賛成出来ないというのが自分の素直な気持ちです。
後、ルパート・ジョーンズ様も書かれておられますが、実際に死刑執行を為される刑務所職員の精神的な負担は並大抵のものではないと思います。自分も大分前になりますが、死刑執行を為された刑務所職員の方に付いて書かれた本を読みました。絞首刑に到る迄の囚人の心の乱れを見続けなければならない辛さも然る事ながら、首に縄を掛けられた死刑囚が乗っている絞首台の床を開かせるボタンを、1人の職員が押すのには精神的な負担が大き過ぎるという事で、(確か)3人の職員が3つのボタンを同時に押して行う事で精神的な負担和らげている(誰のボタンが、実際に床を開かせたか判らない様にさせている。)という話には、職務とはいえ辛いだろうなあと思わされました。
とはいえ、そういう職務も含まれているのを承知した上で、その職業に就いた以上は、粛々と全うしなければならないと思うし、社会秩序を守る重責を担っていると割り切って従事して欲しいという思いも同時に在ります。こういった、人が嫌がる職務を務められておられる方には、精神的な面及び金銭的な面で厚くサポートして然るべきではないでしょうか。
大臣の失言については、もうどうしようもないのですかね。今朝、あのお騒がせ新人が「ヒラリーマンで重役の人事に興味を持っている人はいないでしょう」などと、シャァシャァと言っていましたが、自分の立場というものを全く理解していないから、新人議員もそうですが、杉浦法務大臣もそのようなことがいえるのでしょうね。
誰でも、死刑のゴーサインなんて、出したくないですよ。でも、自分の仕事として科されているのならば、嫌だのやりたくないだのと言う、子供のようなことは言うべきではないと思います。