気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く38 その1  松本から崖ノ湯口へ

2024年03月06日 | ゆるキャン△

 2023年10月29日、長野県ゆるキャン聖地巡礼の三日目の朝は晴れでした。松本市エリアの山間部は午前中は雨または曇り、午後から晴れ、という予報でしたので、この日の巡礼スポットである高ボッチ高原へ向かうタイミングを、予定より遅らせようかと思案しました。

 上図の宿の「ホテルMマツモト」を予定通りの9時前に出ました。予約していたタイムズさんのレンタカーの利用時間が9時からだったからです。

 

 今回利用したタイムズさんの松本駅前店です。「ホテルMマツモト」の西隣のアルピコプラザ立体駐車場の1階にあり、歩いて1分もかからない至近距離にあります。手続きを5分程度で済ませ、9時10分ぐらいに出発しました。

 

 今回のレンタカーは上図のMAZDA3でした。最近のタイムズさんのコンパクトカーは、山梨でも静岡でもこのMAZDA3が配属されているようで、乗る機会が多くなりました。今回で三度目かな、と思いました。運転し易く、わりとパワーがある感じで山道でもスイスイ走れますから、高ボッチ高原へのドライブにはピッタリでした。

 

 高ボッチ高原へは、諏訪市から行くのが近いですが、令和3年8月豪雨災害により、諏訪市からの唯一のアクセスルートである市道高ボッチ線東山ルートで崩壊および土砂崩れが発生し、それ以降ずっと令和6年4月頃まで通行止め規制がかかっていました。その掲示情報はこちら

 この市道高ボッチ線東山ルートに関しては、2019年4月の巡礼時にその東山公民館横の入口まで行っています。劇中にも出ている案内看板などを撮ったりしていますが、その直前に事故があったとかで閉鎖されたため、登ることが出来ませんでした。当時の巡礼レポートはこちら

 それで、今回のアクセスルートは松本市から行く市道高ボッチ線崖の湯ルートが唯一でした。だから松本市に泊まってレンタカーも松本市で利用したわけですが、さらに重要だったのが、松本市駅前からのアクセスが、県道295号線および289号線を南下するだけの楽なルートである点でした。県道289号線の「崖ノ湯口」で高ボッチ高原への案内標識にしたがって曲がれば、そのまま市道高ボッチ線に進めます。市道高ボッチ線の入口までの移動所要時間は30分ぐらいです。

 そんなわけで、割とのんびりと松本盆地を南下して、南東東方向に次第に向かう感じで東の山々の裾を通って登って、上図の「崖ノ湯口」信号交差点を通り、市道高ボッチ線へ入る手前の路側スペースに車を停めました。空の分厚い雲がまだまだ灰色に広がっていたからでした。

 

 松本駅前のタイムズさんを出てから34分で、県道289号線の「崖ノ湯口」付近まで到達しましたが、御覧のように高ボッチ高原の山々はまだ分厚い雲に覆われたままでした。思わず溜息をついてしまいました。

 車を路側に停めて外に出て、どうしたものかと暫く思案していると 塩尻市の公用車らしきワゴン車が市道高ボッチ線から降りてくるのが見えました。
 何かピンとくるものがあったので、手を挙げて挨拶すると、するすると近くに停まってくれて、作業着姿の運転手がウインドーを下げて察したように「もしかして・・・、高ボッチ高原に行かれますか?」と訊ねてきました。塩尻市の観光協会の職員の方でした。高ボッチ高原の朝のパトロールから戻ってくる途中だ、ということでした。

「ええ、これから行く積りなのですが、上はまだ天気が悪いですか?」
「頂上の駐車場を回った時に小雨が降ってましたんでね。でも昼前から雲も切れて晴れてくると思いますよ」
「あっ、晴れますか。それは良かった。雨が続いてたらどうしようかと迷ってました」
「そうですか、いまはまだちょっと小雨ですからね、時間をずらして、そう、二時間ぐらいはね、ずらして行かれたら如何でしょう」
「それが良さそうですね・・・、それまで、どこか近くに観光地みたいな所があれば・・・」
「それなら、そこの馬場家住宅を見学されては如何ですか。もう開館してますから入れますよ」
「馬場家住宅・・・、信州地方の古民家建築のあれですか?」
「そうです。土豪の館という感じの立派な民家ですよ」

 それで場所を教えて貰ったところ、来た道を1キロほど戻った、県道289号線の西側でした。お礼を言って見送って、車に戻ってUターンして、道を引き返しました。まもなく「馬場家住宅」の標識が見えてきました。

 

 広い観光駐車場に車を停め、駐車場入り口の上図の案内板を見ました。土豪の館、と言われたので興味津々でしたが、国の重要文化財なのか、と驚くとともに、知的好奇心が一気に湧きあがってきました。こういう文化財、古民家建築には興味があるからです。

 時計を見ると9時42分でした。よし、ここを見学して、それからゆっくりと高ボッチ高原へ登って11時半ぐらいに頂上に着けば、二時間ほどはずらせる、その頃には晴れるだろう、と考えました。

 

 駐車場の横に歩道があったので降りてみました。その横の草薮の刈り取られた跡が一直線に見えて綺麗でしたが、次の瞬間に、ハッ、となりました。草薮の刈り込みの意味するもの、草薮の中に横たわるものに気付いたからです。

 

 これは、土塁じゃないか・・・!

 

 歩道に沿ってぐるりと角を回って見ました。馬場家住宅の裏玄関口らしき切れ目を経て、さらに上図のように土塁が続いて見えました。

 これは凄い、中世戦国期の土豪の居館の土塁の典型的な遺構じゃないか、形がハッキリと分かるほどによく残ってるなあ、と感動してしまいました。

 私自身は、第一専攻が藤原期仏教美術史ですが、第二専攻として十数年ほど中世戦国の城館も研究していた時期がありました。その頃は奈良県在住でしたから、対象を大和国の中世城郭や城館に絞り込んでその大部分を調査して回りましたが、これほどの綺麗な土塁に出会った機会は稀だったからです。

 

 早速、案内板を見つけました。国の重要文化財に指定されていますから、文化財保護法の規定により、こうした案内板は設置が義務づけられています。国民の共有歴史遺産として税金で維持保存する以上、国民に保存経過を還元し案内するのが決まりです。

 案内板の図によると、土塁は北辺と西辺の部分が残っているようです。南の表門の両側は土塀になっていて、東辺は草薮になっていますが、土塁の痕跡らしき高まりが残ります。当初は土塁がぐるりと巡っていたのでしょう。

 

 一帯は歴史公園として整備されているようで、西側には北西に鎮守の森があり、それ以外は広い芝生地が広がっていました。西の道を隔てて畑が広がり、遠くには信州の山並みが望まれました。

 

 同じ位置から南を見ました。駐車場からの遊歩道がここで南に折れて、いかにも時代劇に出てきそうな立派な土豪の館の大きな門の前へと続いていました。

 この、いかにも中世戦国期の面影をとどめるような、重厚な館の佇まいが、たまらなく素敵でした。これは凄いじゃないか、教えて貰ってラッキーだったな、とワクワクしながら門へと向かいました。  (続く)

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ゆるキャン△」に登場しない... | トップ | 豊家の余香11 方広寺の大仏... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ゆるキャン△」カテゴリの最新記事