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伏見城の面影13 南禅寺金地院の東照宮

2024年07月10日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 南禅寺金地院の拝観順路は、明智門から左に折れて上図の弁天池の東から南に回って、南の高台に鎮座する東照宮へと続いていました。

 

 弁天池の東側で、道が僅かに登り坂になっていました。U氏が「東照宮が金地院のなかで一番高い位置にあるってことは、江戸期までの神仏習合形態のなかでいうと、東照宮が主で金地院はそれに属する神宮寺の位置にあったんだろうな」と言いました。

 

 金地院が東照宮の神宮寺であったかどうかは、徳川家の公式史料にも以心崇伝(いしん すうでん)の「本光國師日記」にも記載が見られないので分かりませんが、上図の金地院方丈を江戸期の古絵図にて「御祈祷殿」と記していますので、方丈が東照宮の遥拝施設としての役目も併せ持っていて、金地院と東照宮がワンセットの宗教的空間に置かれていた歴史をうかがわせます。

 

 道の突き当りから左には、上図の東照宮の山門にあたる楼門が見えました。先に前を通って見た建物です。

 

 反対側の右に進み、上図の石畳の参道を北へたどりました。

 

 程なく上図の東照宮門をくぐりました。東照宮門の破風屋根は傷んで要修理状態のようで、応急的に防水シートで覆われていました。

 

 東照宮門をくぐり、上図の拝殿の前に進みました。U氏が「こりゃすげぇな、総黒漆塗りの仏教式の拝殿じゃないか、こういうの初めて見たな」と感動の声を上げました。
 御覧のように、神社の一般的な拝殿の建物の形式ではなく、神仏習合期の仏教式の拝殿建築としての姿を示しています。京都でもなかなか見られない、貴重な神仏習合期の建築遺構です。

 

 その正面の破風の真下の壁には、神仏習合期の堂宇には一般的に掛けられていた懸仏(かけぼとけ)の円盤が見えました。U氏が「懸仏が普通にかかってるじゃんか、おー、初めてみたぞ。神仏習合の状態を保ってるなんてすげえなあ」と言いました。

 懸仏とは、神仏習合期において、神社の鏡に現れた本地仏像の姿を表したものです。江戸期までは各地の社寺の社殿や仏堂などに普通に掛けられていたもので、明治期の神仏分離にて分離撤去または破却廃棄の対象となって多くの遺品が失われてしまいました。いま現存する遺品の多くは、神仏分離政策が停止された後に場所を移して祀ったか、倉庫などに仕舞われて再び使用されなかったものが殆どです。

 

 ここ金地院東照宮の懸仏は、寛永五年(1628)の創建以来の状態をそのまま保っているようです。明治の神仏分離期にも撤去されなかったもののようですが、それはここの東照宮が江戸幕府徳川氏の創設した三東照宮の一にあたる重要な神社であったことが関係していたのかもしれません。

 周知のように、徳川家康の遺言によって創建が指示された東照宮は三ヶ所あります。江戸幕府の公式史料である「徳川実紀」に収められた家康の元和二年(1616)4月2日の遺言を原文で読みますと、「(遺体は)久能山に納め奉り、御法会は江戸増上寺にて行はれ、霊牌は三州(三河国)大樹寺に置れ、御周忌終て後下野国日光山へ小堂を営造して祭奠すべし。京都には南禅寺中金地院へ小堂をいとなみ、所司代はじめ武家の輩進拝せしむべし」とあります。

 すなわち、遺体を久能山東照宮におさめよ、周忌後に日光東照宮へ位牌を移せ、京都では南禅寺の金地院に小堂を営んで東照宮とせよ、という意味です。そして金地院の東照宮には江戸期を通じて京都所司代の番所が置かれ、創建当初は日光東照宮と比されていましたから、徳川政権の重要な祭祀拠点であったことがうかがえます。

 

 その家康の遺言に従って創建された「南禅寺中金地院」の「小堂」がいまも現存しているわけですから、この拝殿や奥の本殿は江戸幕府草創期の宗教施策の様相を如実に物語っているわけです。国の重要文化財に指定されていますが、国宝に昇格してもおかしくないと思います。

 

 拝殿の内部を見ました。天井には狩野探幽の筆による「鳴龍」が描かれています。以心崇伝の「本光國師日記」寛永七年(1630)三月十二日条に「狩野采女へ状遣ス。拝殿之龍杉しやうし絵之義申遣ス」とあって、拝殿の龍と杉障子の絵を狩野探幽に依頼したことが分かります。そのうちの「龍」が上図の「鳴龍」ですが、杉障子の絵のほうは奥にあるのか、暗がりでよく見えませんでした。

 また、上図のように拝殿内部の欄間には土佐光起の画、青蓮院宮尊純法親王の書になる「三十六歌仙」額が掲げられています。  (続く)

 


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