日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

旭川医大騒動、いま日本の大学構内で起こっていること

2021年01月15日 07時37分38秒 | 政治
 「新型コロナウイルスの患者受け入れをめぐり、旭川医科大学の学長が病院長に対し『辞めろ』などと発言したことについて、文部科学省が実態把握に乗り出したことがわかりました」(2021/01/05北海道放送)。
 「そこで」何が起こっていたのか? このTV報道が伝えるところでは、昨秋、旭川市内の大手民間病院でコロナ感染クラスターが発生し、地域有力医療機関の間で話し合いの結果これを救済すべくそれぞれの医療機関が分担することになったのだが、ひとり国立旭川医大学付属病院だけが受け入れを拒否した。それは、同大学長が「コロナを完全になくすためには(当該クラスター発生病院が)完全に消えて無くなるしかない」として拒否したためという。これに対して同大病院長は患者一名の受け入れを提案したところ、学長から「それならお前が辞めろ!」と辞職を迫られたという。この一連の「騒動」が文科省の耳に達し、冒頭のように監督官庁の「実態把握」という大学の自治を侵す「大事件」に発展してしまったのである・・らしい。
 伝えられる範囲で見る限りこの「学長」、アカデミアに相応しからざる「独裁者」のようだ。そもそも、1973年創立の同大学は、創立時、学長は法定で6年任期でそれ以上の連続就任は禁じられていたのだが、国立大学法人化と共に各法人ごとに規定できることとなったことから同大は6年の制限を撤廃し、結果として件の人物にあってはすでに13年を超える任期を占有しているという。どうやら長期独裁政権が樹立されてしまったようである。
 こういう状況に対して文科省は、この大学の何を見ようというのであろうか? 出来の悪い子供、それが地域社会の中から白い目で見られている。そもそも冒頭に引用したTVニュースの放送原稿の行間からは「アキレハテ」たる一国立大学というトーンが聞こえる。筆者は、独法化を機に学長独裁を指導力発揮と歓迎した監督官庁の文教政策に重大な陥穽が有ったものと見ている。
 北海道では先にも北大で「学長パワハラ解任事件」が有ったばかり。北海道ばかりではない。東大でも学長選考問題でくすぶり、大分大学では学部が選んだ学部長選出に対して学長と学部現場の間で角逐を生じるなど、強権学長と現場の間で、およそ最高学府らしからぬ「事件」が頻発している。
 いずれも国立大学法人化以前には無かった「不祥事」であり、およそ国民の信頼を喪失するに相応しい些事ばかりである。なぜこんなに知的でない問題が頻々と生ずるのか、その原因が」法人化」のどこに巣食っていたのか、86もの多数に分割統治してしまった独法化政策の誤りを含めて2004年から今日までの歴史を、文科省には虚心坦懐に検討してもらいたい。
 大学は、そもそも研究者や学生たちに対して知的自由を目いっぱい認める超俗空間、その意味では俗的社会からは特異な空間であり、知的逸脱をこそ奨励する環境である。それを害する仕組みや制度の悪しき改革が上記一連の堕落を招いたものであろう。
 アインシュタインと並んで20世紀を代表するもう一人の天才ニールス=ボアは、ハイゼンベルグの不確定性原理を見たとき「クレイジーでない理論は真理ではない」と言って激賞したという。学術の何たるかを伝える名言である。こういう知的自由が明日への可能性を開くものと信じたいではないか!

「議会乱入 教唆扇動 大統領」は他山の石

2021年01月14日 07時45分20秒 | 政治
 「世界で一番金持ちの豊かな国」あるいは「世界で一番軍事力の強い国」ということより何にもまして「自由と民主主義の国」という評価、それがどの程度正鵠を射ていたのかはしばらく措くとしても、それゆえに世界中から「アメリカンドリーム」という「夢」を抱いて人々がそこに集まり、それが巨大な民主主義と機会均等の「Melting Pot」によって練り込まれて発展したアメリカ合衆国。人々の夢とその実現の過程こそがアメリカに新しい文明を創造し、それが豊かさの源泉ともなってきた。世界で一番言論の自由が認められてきた国、そう自負してきた超大国の無残な凋落ぶりを世界はいま見せつけられている。
 米国の次期大統領を確定させるために参集された上下両院の連邦議会があろうことか暴力と流血の場と化した。多数の暴徒が議事堂内に乱入し、一時これを占拠した。議場内で銃声がとどろき、警備の警官に守られて上下両院の議員たちは、ガスマスクを付けて避難したという。栄光の歴史に泥を塗る暴挙!
ここに至った直接の原因は、法律が定めるバイデン氏への政権移行の手続きが自らの敗北を確定することになると焦ったトランプ氏が、これを阻止しようと目論んだことにあった。前日までにSNSなどを通じて、彼の支持者に「戦闘」が呼びかけていたと報道されている。ついに4人もの死者を出すまでに至ったこの「騒乱」、アメリカ合衆国は建国以来2世紀半の自他ともに誇った歴史的信頼と評価とを失うこととなったのだが。源をただせば、憎悪をあおり、法の支配を侮蔑さえしてきたトランプ政治にある。これを評して、ジョンソン英首相は「ワシントンの恥ずべき光景」と言い、ドイツのメルケル首相は「腹立たしく、かつ悲しい」と言ったそうだが、日本の指導層からは何の指摘も評価も聞かれない。
 あらためてよくよく考えてみれば、米国内の分断をトランプ氏一人のせいにすることもできない。ここに至る格差の広がりや国民統合の失敗は、歴代政権と与野党双方の政治機能の低下によるものであろう。すでにアメリカではブッシュJr.の時代に病魔は始まっていたのではなかったか。それを払しょくしようとして登場したオバマ大統領も期待に沿えずに流動していき、その幻滅の先に鬼っ子ドナルド・トランプを招いてしまったのであろう。
 いま思えば「民主主義」というシステムは、本当は高い倫理と知性と自律性に立脚しているために、それをネグレクトされた時には実に脆弱な事態に陥ってしまうものであること、それゆえ何もトランプのアメリカに特徴的に表出したというわけではなく、見渡せばいちいちあげつらわなくとも、今や世界中に反民主主義的政治が瀰漫していることからも容易に分かる。
 表題に掲げた「議会乱入 教唆扇動 大統領」は山形県渡辺米助さんの「朝日川柳」(2021/01/08収載)投稿作品である。実に簡潔にして明快、川柳というより三題噺という趣でもあるが、筆者にはこれが日本の民主主義への警告のように聞こえたのでここに借用させて頂いた。

東京オリンピック、本当に開催できると思っているのか?

2021年01月13日 07時39分33秒 | 政治
 「自民党の二階俊博幹事長は5日の役員会後の記者会見で、東京オリンピック・パラリンピックについて、『自民党として開催促進の決議をしても良いくらいに思っている』と述べ、開催に向けて強い意欲を示した。また、東京五輪・パラリンピックを開催すべきだと考える理由を問われると、二階氏は『開催しないということのお考えを聞いてみたいぐらいだ』と強調した」(2021/01/05朝日新聞)。
 この記者会見が行われた前日1月4日の全国コロナ感染者は総数3733人だったが、この翌日にはもう4912人へと25%も増加し、引き続き政府与党が緊急事態宣言発出を最終的に決めた7日にはその数は倍増して7570人へと突沸してしまっていた。こういうCOVID-19ウィルスがおごり高ぶっている折も折、政権中枢の権力者がオリンピックを「やらない」論理を訊いてみたいと言うのだが、パンデミックの猛火の中にあってなおお祭り騒ぎに興じたいという「自爆心理」を問いたいのは断然我ら「納税者」の方である。
 政府は、8日午前零時を期して東京他周辺3県に緊急事態宣言を発し、そこにすむ住民に行動の抑制を通告した。新たに一両日中に大阪・兵庫・京都3県、更には愛知・岐阜・三重東海3県も同様の事態に陥りそうだ。これらの地域の宣言が解除されるのはいつのことやら見えなくなってきた。
 かくて次々と追加・拡大して適用される「緊急事態宣言」が成功を収めて人々が再び元の生活に戻れる頃には、はや早咲きの梅の香りが漂っていることであろう。そして、この時期からワクチン接種を予定通り始めるとして、接種禍に不安を抱く国民を説得して全国民1億2千万人に対してこれが無事に完了するのはいつになるか?
 以上は国内の話であるが、諸外国の状況はどうであろう? 世界は広く大きい。パンデミックの炎は間もなく感染者1億人、世界各地でウィルスは個性を変えながら夫々の形で猛威を振るっている。今夏までに確実に抑え込める国や地域は1つとして存在しないだろう。一部に無観客開催という声までが聞こえるが、それはもはやオリンピックでもパラリンピックでもない。
 つまり、東京オリンピックは一年延期の判断が間違ったのである。いな、その前にこれを党利党略・私利私欲・権勢誇示をもって誘致した安倍氏とその政権与党の悪政の結果であった。神はそれを厳しく罰したのである。それが証拠に、当の安倍氏は昔の光今いずこ虚言の士として弊履の如く捨てられ、その後継の菅氏はもはや立っているのがやっとの権勢衰弱に陥っている。
 「Yahooニュース」のネット世論調査「みんなの意見」によれば、「東京五輪・パラ、2021年夏に開催できる」とする回答は5.7%、「中止になると思う」は85.7%(13日7時現在)だ。国民はすでにとっくに覚めている。いな、実は石原慎太郎元東京都知事がひとり誘致を叫んでいる時から人々は冷めていた。「因果応報」、その時の「無理」が「道理」を引っ込め、今日の失敗に通じたのである。以上は、「オリンピックを開催しないということのお考えを聞いてみたい」と言う二階氏への一国民としての筆者の御答だ。

「本能寺の変」で事件現場に不在?の明智光秀

2021年01月12日 07時25分50秒 | 政治
 NHKが得意の歴史「捏造?」大型時代劇、コロナ騒ぎですっかり予定を消化できずに年を越して上映中の「麒麟がくる」。実は筆者は今まで一度も該番組を見ていない。いよいよ放送は「本能寺の変」になるのだそうだが、このタイミングで興味あるニュースが富山県から寄せられた。
 西暦1582年、明智光秀が主君織田信長を殺害に及んだ本能寺の変。当然?のことながら、「事変」当夜光秀は全軍を指揮できる本能寺近くに在って、「敵は本能寺!」と叫んだかどうかは分からないが、燃えさかる本能寺の炎を眺めながら、起きた事件の大きさに大いにおののいていたであろうと想像するところだが、どうもそうではなかったという。
 事件の87年後にまとめられたという「乙夜之書物(いつやのかきもの)」という古文書によれば、光秀本人はその時刻本能寺現場に足を運んでおらず、そこから2里も離れた鳥羽にいたという。しかも、どうやら富山市郷土博物館の萩原大輔主査学芸員ら専門の複数の歴史学者によればこの著述の信憑性は非常に高いという。「本能寺の変」と言えば織豊政権の画期となったという意味で歴史の「大変極点」だが、その時の事実が伝えられていたものと異なるというのである。
 歴史上の「変極点」と言えば数限りなくある。たとえば「関ケ原の合戦」、この時、徳川家康は江戸でぬくぬく風呂に入っていたなど有り得なかったとしても、戦場遥か離れた場所でお茶を立ててくつろいでいたなどとは考えられない。がしかし、「本能寺の変」にして「総大将=明智光秀」不在ということであるなら、それもあながち有り得ないことではないのかもしれない。
 こう見てくると、歴史上の画期となった時代の変極点で起こっている様々な「その時」についてもっともっと真相を解明していく必要が有りそうだ。この国では、歴史が「科学」ではなく「思い出」と理解されていた長い長い時代があった。歴史が「社会科学」として認識されたのはこの国では決して古い話ではなく、あの大戦での完膚なきまでの敗北によって、それも敵国米国のアカデミーからの「指導」によって「強要された」ことによるのであってみれば、暗黒蒙昧の時代の日本史には事件現場に総大将の居なかった「本能寺の変」の類いの歴史事件は数多くあるのではないだろうか?
 少なくとも、あの大戦中、「西太平洋」「印度支那半島」一帯で戦わされていた絶望的な作戦では、その全てを指導していた東京の将軍らは言うに及ばず現地責任者の多くも生死の戦場からは遠くで指揮を執っていて、戦後も長く生きて天寿を全うした大物が数多くいた。
 講談的歴史ではなく、「社会科学」としての「歴史」として、本能寺に不在の明智光秀の真実としての日本の歴史を見直す必要は無いのだろうか? いま、学術会議任命拒否問題ではもっぱら社会学者が政権から忌避されている。こういう非知性こそが歴史を「講談話」にしてしまう主因である。「反知性」が売りの菅首相には是非とも猛省を奨めたい。

今日からは始まる緊急事態とその後の無策への不安

2021年01月08日 07時39分37秒 | 政治
 「GoTo なんとやら」という企画に莫大な国費を充てて、しかも計画を早めてまで実施していた「あの頃」がまるでウソのように、政府は一転して「東京、神奈川、埼玉、千葉の首都圏1都3県を対象」に2月7日までの1カ月間、 「緊急事態宣言」なるものを今朝から発令した、という。
 国民生活を大幅に制限した昨春の「宣言」時とは異なり、感染リスクが高いとされる飲食店を中心に午後8時までの営業時間短縮を要請するなど対象を抑制的に特定しての実施だという。菅首相が強くこだわっていたあの「GoTo イート」や「GoToトラベル」などは一体全体何処へ行ったのだろうか?
 対象4都県の食いもの屋さんの関係者は文字どおり「トンビにアブラゲをさらわれた」気分にちがいない。この際、美味いものをたらふく食べようとベルトを緩めていた御仁たちにも同様にお気の毒さまである。
 それにしても、この政策転換、これが菅政権中枢から出てきたものではないことである。そもそもの言い出しっぺは東京都知事小池百合子氏であり、彼女が周辺3県知事と語らって(というより扇動して)言い出した話であり、そこでは足下のCOVID-19ウィルスの跋扈ぶりに恐れをなしたことばかりでなく、彼女の極めて個人的な菅政権に対抗する「政敵感情」の表象としてのデモンストレーションでもあったのであるから、これを純粋に政治的または行政的政策とは言い難い。(ここ一両日感染爆発が謀ったように起こっているのは全くの偶然であることに注意をしておきたい)
 つまり、今日から始まった「緊急事態宣言」なるものは、結果として感染突発急拡大という実によいタイミングで発せられたのだが、それでいて菅政権による政策判断ではなく、また小池知事らの政治的・行政的先見性でもなく、ただただ行き当たりばったりに始まった全くの盲目的政策立案に過ぎないということである。
 この一年、感染症学、細菌学は言うに及ばず薬学や公衆衛生学などの成果は飛躍的に進化してきたはずだが、それらの成果がこの政策判断に採り入れられたフシは昨夕の総理会見を訊く限りでは全く感じられなかった。安倍内閣の過去8年来、学術的知見が政府の重要政策に採り入れられることは全く無かったし、政権交代の今もまったくない。
 こういう論理不在の非知的行動が、ウィルスという極微分子の塊にきりきり舞いさせられる主因である。これこそがこの国でアカデミーが無視された結果であり、かつ国力停滞の主因でもある。
 こうして今日から始まる「緊急事態」、あの真珠湾攻撃の歴史同様、始める計画がずさんゆゑに止める判断基準も無い。ゆえに打ち止め計画が作れない。果たしてジャと出るか?、ヘビと出るか? 菅政権と自公連立政権の余命もここにかかってくるが、その前にこの国の存亡もまたこの「一戦」にかかっている。