早朝小雨で義父母宅住まいだった空家の掃除を延期しようとしていたが、朝のストレッチには止んでいて、応援を頼んおいた息子宅に迎えに行きババと3人で車で出かけた。八柱霊園さくら通りの桜並木は満開のトンネルトなっていて車はスローペースだったが環七は日曜と会って順調で1時間で赤羽に到着できた。急に夏日になった中、部屋内も急上昇して掃除は2時間を要した。昼食は何時も利用している環七沿いの加平IC近くの焼肉店に入ると満席。半年ほど月1でや移転しているが満席状態は初めての事で驚かされた。1時間待ちというので他店を模索していたら携帯に間もなく空きができるとるということで引き換えした。小1時間食事して出発。八柱霊園さくら通りは朝同様スローペースとなったが15時半帰宅。当方は休まずGSCへ徒歩で食パンを出かけ、今年2回目のシャワーを浴びて少し休んで30分遅れの夕食は「うどん」となった。夜のストレッチは暑さが残る中となった。
(笑点新メンバー)
日本テテレビは7日、人気演芸番組「笑点」の新たなレギュラーメンバーに落語家の立川晴の輔さん(51)が決まったと発表した。3月で卒業した落語家の林家木久扇さん(86)の後任。晴の輔さんは昭和47年神戸市生まれ。立川志の輔さんに入門し、平25年に真打ちに昇進した。同日の放送で司会の春風亭昇太さんから経歴を紹介されると「よろしくお願いします」と緊張気味に挨拶した。笑点は昭和41年に放送開始。立川流の落語家がレギュラーメンバーになるのは初代司会者の故立川談志さん以来55年ぶり。
<台湾東部沖地震で百年老橋再利用>
台湾東部沖地震の震源に近い花蓮県沿岸部で、崩落した橋に代わり、日本統治時代の約100年前に建設された橋が6日夕、補強工事を終え開通した。崩落した橋は比較的新しく、現地でも古い橋の頑強さに驚嘆の声が上がる。台湾では統治時代の遺構が多く残っており、「百年老橋」も復興の一助となる。3日に発生した地震で崩落したのは、1971年に架けられた長さ約25mの「下清水橋」。花蓮県から台北へ向かう最短ルートで、開通後は隣接する統治時代の1930年に建設された長さ約10mの「旧蘇花第7号橋」が使われなくなった。最大震度6強を観測した今回の地震では下清水橋が崩落し通行不能となったが、統治時代の橋は補強すればすぐに使用できることが台湾行政当局の調査で判明。造りが頑丈で、地震から3日後には補強工事が完了し6日夕、通行可能になった。当面は1日3回、3時間限定で運用する。台湾メディアは「百年老橋」などと報道。交流サイト(SNS)でも「奇跡のようだ」「歴史が我々を守ってくれた」「やはり古いものは大切にすべき」など称賛する声が相次いだ。1919年に完成した台湾総督府は、現在も総統府として使われている。台湾では旧台湾総督府を改修した総統府をはじめ、統治時代の建造物などが多く活用されている。花蓮市内にある統治時代の日本家屋が残る観光施設「将軍府」。旧日本軍の花蓮港分屯大隊が駐屯していた跡地で当時の門柱を残した区割りのまま、建物を修復してレスタランや着付け店など約10店舗が入居する。1日に正式開業したばかりだったが、今回の地震で被災。着付け店では天井の水漏れ被害を確認したが、店主の林秋芬さん(54)は「ここは日本と縁のある場所。歴史を後世に残すためにも営業を続けていきたい」と前を向く。
花蓮にある「慶修院」は徳島県からの移住者が1917年に建てた寺で、地震の影響で本堂の柱がずれ、土壁がはがれた。石像が壊れる被害もあった。本堂は参観できなくなり、修繕の見通しは立っていないという。
(笑点新メンバー)
日本テテレビは7日、人気演芸番組「笑点」の新たなレギュラーメンバーに落語家の立川晴の輔さん(51)が決まったと発表した。3月で卒業した落語家の林家木久扇さん(86)の後任。晴の輔さんは昭和47年神戸市生まれ。立川志の輔さんに入門し、平25年に真打ちに昇進した。同日の放送で司会の春風亭昇太さんから経歴を紹介されると「よろしくお願いします」と緊張気味に挨拶した。笑点は昭和41年に放送開始。立川流の落語家がレギュラーメンバーになるのは初代司会者の故立川談志さん以来55年ぶり。
<台湾東部沖地震で百年老橋再利用>
台湾東部沖地震の震源に近い花蓮県沿岸部で、崩落した橋に代わり、日本統治時代の約100年前に建設された橋が6日夕、補強工事を終え開通した。崩落した橋は比較的新しく、現地でも古い橋の頑強さに驚嘆の声が上がる。台湾では統治時代の遺構が多く残っており、「百年老橋」も復興の一助となる。3日に発生した地震で崩落したのは、1971年に架けられた長さ約25mの「下清水橋」。花蓮県から台北へ向かう最短ルートで、開通後は隣接する統治時代の1930年に建設された長さ約10mの「旧蘇花第7号橋」が使われなくなった。最大震度6強を観測した今回の地震では下清水橋が崩落し通行不能となったが、統治時代の橋は補強すればすぐに使用できることが台湾行政当局の調査で判明。造りが頑丈で、地震から3日後には補強工事が完了し6日夕、通行可能になった。当面は1日3回、3時間限定で運用する。台湾メディアは「百年老橋」などと報道。交流サイト(SNS)でも「奇跡のようだ」「歴史が我々を守ってくれた」「やはり古いものは大切にすべき」など称賛する声が相次いだ。1919年に完成した台湾総督府は、現在も総統府として使われている。台湾では旧台湾総督府を改修した総統府をはじめ、統治時代の建造物などが多く活用されている。花蓮市内にある統治時代の日本家屋が残る観光施設「将軍府」。旧日本軍の花蓮港分屯大隊が駐屯していた跡地で当時の門柱を残した区割りのまま、建物を修復してレスタランや着付け店など約10店舗が入居する。1日に正式開業したばかりだったが、今回の地震で被災。着付け店では天井の水漏れ被害を確認したが、店主の林秋芬さん(54)は「ここは日本と縁のある場所。歴史を後世に残すためにも営業を続けていきたい」と前を向く。
花蓮にある「慶修院」は徳島県からの移住者が1917年に建てた寺で、地震の影響で本堂の柱がずれ、土壁がはがれた。石像が壊れる被害もあった。本堂は参観できなくなり、修繕の見通しは立っていないという。