真夜中の映画&写真帖 

渡部幻(ライター、編集者)
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J.J.エイブラムスの『スターウォーズ/フォースの覚醒』に思わず感心。

2015-12-27 | ロードショー
 

 『スターウォーズ/フォースの覚醒』は予想を超えておもしろい映画だった。JJエイブラムスの演出はかなりスピーディーで、『エピソード4』のビジュアル・イメージを意識しつつ、『エピソード5』におけるアービン・カーシュナー演出のめくるめく展開の力技を想起させて好調である。実際『エピソード5』ほどの緻密さはないし、あの毒気も感情的な深みも足りないとは思うが、勢いがあり、画面がイキイキとして、JJの優等生的な演出姿勢が活きた。

 ジョージ・ルーカスの創作姿勢は基本「私小説的」なもので、どこか暗くナーバスな傾向を拭えないところがある。『エピソード4』での若きルーカスはそうした自分の性格傾向を反転させて「明るい映画」を目指し、見事に成功した。しかし時を経た『エピソード1~3』では生来の個性を噴出させ、それゆえ娯楽作としてのバランス感覚を歪にした。僕はそこがおもしろいと思ったが、ファンからの評判はあまり良くなかった。『スターウォーズ』の底にあるのはルーカスの自伝的な感慨をフィクショナルに描いたストーリーだったが、『エピソード1~3』を取る頃には時すでに遅し、彼の手を離れて独自の道を歩み始めていたのである。

 

 『フォースの覚醒』は作者たるルーカスがほぼ手を引いて最初の作品である。権利を獲得したディズニーとの問題を記事で読むと気の毒に思うが、完成した『フォースの覚醒』を観るかぎりルーカスが撮っていたら、こうはいかなかったろうと想像せずにはいられない。JJの「八方美人的な演出」は、ここで考えうるかぎりのファン心理に応えて見事に完成された「商品」に仕立てているが、ルーカスなら良くも悪くもファンを裏切り「作品」に仕立て上げようとしていただろう。ルーカスには気の毒だが、僕はこれで良かったのだと思う。
 ただひとつ大きな疑問が残るのは、J.J.の演出はバランスが良すぎるからか、シリーズのこれまでと比べ、意外にも「脳裏に焼きつくイメージ」に乏しいのである。J.Jは優れた「まとめ系演出家」だが、想像力の飛躍が足りないのかもしれない。人物は魅力的でそこが美点なのだが、身を裂くような情念が薄いのも、ルーカスもしくはカーシュナー演出に譲ってしまう部分だ。

 

 『フォースの覚醒』はまず主演の「新しい顔ぶれ」の起用で成功している。カリスマ性はないが、それぞれに人間臭く、だからこそのフレッシュなムードを付与している。若手ではとくに『風の谷のナウシカ』のナウシカを思わせるデイジー・リドリーが目を引くが、アダム・ドライバーの芝居が変わっていて印象に残る。テレビシリーズの『GIRLS』やノア・バームバックの『フランシス・ハ』での彼も現代的でいいが、マーティン・スコセッシの新作『沈黙』では日本へ布教に来たリーアム・ニーソン扮するイエスズ会の神学者フェレイラの弟子フランシス・ガルペ役を演じるらしい。いかにも似合いそうである。また個人的に感心したのが古株のキャリー・フィッシャー。彼女がここまで深みある表情を見せたのはたぶん初めてだろう。ハリソン・フォード扮するハン・ソロとの再会場面で見せる風情に積年の人生がにじんでいた。

 

 映画マニア的にはマックス・フォン・シドーの起用が嬉しい。スウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマン作品の秘蔵っ子として脚光を浴び、ジョージ・スティーブンスの『偉大な生涯の物語』でイエス・キリストを演じアメリカ映画界に進出。ベルイマンは70年代のアメリカ監督に多大な影響を及ぼしたが、なかでもウィリアム・フリードキンの『エクソシスト』は顕著だった。シドーはこの大ヒット作に出たあと、シドニー・ポラックの『コンドル』の殺し屋役でも特異な存在感を披露した。品格と風格を兼ね備えた容貌は神話的なドラマによく似合い、ほんの少しの出演で作品に風格をもたらす。『スターウォーズ/エピソード4』ではアレック・ギネスやピーター・カッシングが引き受けたその責務を、『フォースの覚醒』ではシドーが任されているわけだ。しかし『スターウォーズ』シリーズにおける「老人=旧世代」の「退場」の仕方は、いつもちょっと拍子抜けしてしまうほどにあっけないのが特徴である。『エピソード4』におけるギネスのオビ=ワン、『エピソード6』のヨーダやダースベイダー(皇帝も)、老人でないが『エピソード1』のリーアム・ニーソンもそうだ。つねに疑問に感じるのだが、あの「感じ」は一体何なのだろう。
 今回ジョン・ウィリアムズの音楽が思いのほか控えめに鳴っていて、全盛期に必ず聴かせた「必殺のメロディライン」が無かったように思った。最も凄かったのは『帝国の逆襲』で、そのサントラLPはほとんど驚異的な出来栄えであった。しかし劇場の大音量で聴く「ウィリアムズ節」はやはりいいものである。日本映画でこのレベルのフル・オーケストラを聴かせて貰える日がくるとは到底思えないのだ。
(渡部幻)

   

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