いまさらだから過去形になってしまった、残念でならない。
河野談話の見直しはしない。
ひとたび安倍首相の口から発せられてしまえば、取り消すことは出来ない。
今朝の東海新報の「世迷言」
コラム子が日本人の矜持から慟哭して叫んだ正論を掲載する。
>東海新報 コラム 世迷言
☆★☆★2014年03月16日付
今後の円滑な政権運営のため「大事の前の小事」と判断したのか、それとも友邦や党内の抵抗勢力に妥協したのか、その懊悩は知るよしもないゆえ予断は避けたいが、安倍首相が「河野談話」の継承を表明したことは史実の否定と同断であり、日本国民はいつまでも贖罪意識にさいなまれることにつながろう▼河野談話の作成過程について韓国側とどのようなすりあわせが行われたのか、政府が検証を進めることになったのも束の間、菅官房長官が談話の見直しはしないと表明した時点で、これは首相も合意の上と理解したが、もしかしてと一縷の望みをつないでいたのも事実▼だが、首相が継承を表明したことは「綸言汗のごとし」となり、撤回はできまい。だからこそ韓国は「ほら、従軍慰安婦は存在した。強制連行はあった。軍の関与もあった」と小躍りしているはずである。もはやどう抗弁しても20万人が強制連行された、性奴隷にされたというプロパガンダ(宣伝)がひとり歩きし、日本という国が貶められるだけである▼談話の見直しは「国是」にすべきだった。でなければ虚妄が真実に化け、在米日系人による慰安婦像撤去訴訟などの努力も、「日本政府も公認したのだ」という印籠の前に非力化することは避けられない。これによって損なわれる国益は計り知れないのである▼無理難題に対しても「はいそうですか」と引き下がるような「戦後レジーム」からの脱却を訴えてきた安倍首相がここ一番という時にこれでは自己否定にもつながらないかと案じる。
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懊悩するほど悩んだ結論だろうか、あまりにも安易な結論で日本人として容認できるものではない。
コラムを読めば胸の奥からやり場のない憤りがこみ上げてくる。
どうしてこんな決断をしなくてはいけないのか。