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がんぼのぶらり紀行

北海道オホーツク遠軽で、昭和時代のお茶の間みたいな食堂 やってる おばちゃんです。

父の想い出 そば打ち部屋を

2019年03月15日 21時11分30秒 | 食堂のおばちゃん

小学校2年生の春、この家(店)に越してきた。

気が付いたら、ソバ屋として お客さんが来るようになっていた。

毎日学校へ通っていたから、出かけたあとに 家(店)でどんなことが起こっていたのかは覚えていない。

毎日、朝から晩まで父母が二人で協力して 家の中を整理・業務に使いやすいように変えて来たことだろう。

この数年でようやく、老齢の母と毎日 ソバ屋の仕事を共にするようになり、

たくさんの時間を共に過ごすうちに、昔の話を聞く機会が増えて来た。

越してきて間もなくは、以前の借主が放置していったゴミの処理に明け暮れたこと。

内装などもひどく朽ちていて、母が一人で建材を買い込んできて壁張りなどしたこと。

そば打ち部屋は昭和43年に 当時の父母には大金だった金額を借金し、大家さんの許可を得て新たに増築したことなど。

そば打ち部屋は、身体ひとつで 蕎麦を粉から麺へ作り上げる技術を覚えて来た父が 55年使い続けた来た部屋だ。

わずか4畳半ほどの広さだが、頑丈な板台と、窓には7~8本の麺棒がかけられ、いつも粉まみれだった。

毎日一回・年末大みそかには前日から5回も6回も 蕎麦打ちをする父の後姿を見ていた。

2016年末、父が他界。

そば打ち部屋は二度と使われなくなってしまった。

自分も何度か そば打ちに挑戦してみたが、悲しいかな、付け焼刃では・・・。

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いつからか物置部屋と化していたが、母には早くから いずれは「食品庫」として再利用したいと話をしており、

母からも了解を得ていた。

きっかけは どこから始まるものなのか。

突然動き始めたσ(^^)の意識は、

あ~あ・・ ついに始めちゃったよ。(笑) いつかやりたいとは言ってたけど、なんで今日始めた?って感じ。

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一人で店の営業を終えたあと、何気なく食材を納めにそば打ち室へ行ったのだが・・

お尻に火が付きました。(笑)

着手前 -----

片づけるなど微塵も考えていなかった状態です。板台の上も下も モノが溢れてます。

腕組みしながら2分ほど見つめたあと、一気に動き出す。

板台の上にあったものをすべて別場所へ移動。

部屋と板台に塩を。

ありがとうの気持ちを込めて手を合わせます。

1メートルほどの長さのバールを持ってきて ← なぜこういう道具が揃っているのか疑問ですww

55年の間、この台は ”取り外せないものだ” と思い続けてきたんですよ。

父の大切な仕事場だからと。

何だか それを裏切った後ろめたさに包まれながら・・

とうとうはずしてしまいました。

分解した板台の板。重くて大きくて、手こずりました。

板類はひとつずつ(しか持てないくらい重い。20㎏はある)裏の物置へ運んでいきました。

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父さん母さん。55年という長い歴史を わずか20分ほどで壊してしまいました。ごめんなさい。

でも、この場所は 新しい未来へ向かって 大切な場所として使わせていただきます。m(_ _)m


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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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力をありがとう (ナス太郎)
2019-04-01 20:50:28
前向きに強く進んでいる姿に力をもらっています。
次の元号が公布されて更に気持ちを新たにしています。
ありがとう。
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