がんぼのぶらり紀行

北海道オホーツク遠軽で、昭和時代のお茶の間みたいな食堂 やってる おばちゃんです。

自宅軟禁

2019年03月17日 18時26分32秒 | 徒然

金曜日、息子が軽い下痢をし、娘と私が勤める会社のルールにのっとり、自己申告。

土曜日朝には検体を提出したのだが、

「(検査機関の保健所が土曜日・日曜日をはさむため)結果は火曜日夜」

その間、”当人と接触した恐れのある私” は ”感染の危険性が大きいため、本人がノロウイルスに感染していない事実が確認できるまで” パートに出ることはおろか、本来の仕事である食堂業務もできず、母に会いに病院へ行くこともままならぬ。

だが、”必要に応じ外出はOK”  なんだか腑に落ちぬ。

娘は、息子の症状が発覚した時点で自宅には戻らず、実家で一人 別居生活を始めた。食堂は休店。

当の息子は金曜日中にはすっかり元気になり、「いや、おそらくそれ(ノロウイルス感染)じゃない」

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店にも出られず、パートにも行けず、病院にも行けず。

母さん、ごめんね。何日も顔を見せず、きっと不安でいっぱいだろうね。

連絡のしようもなくて・・ 電話して看護士さんに ”伝えてほしい” と言おうとしたけど・・本当にごめん。

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自宅で、「やることないか!何かないか!」 と、掃除も片づけも、目につくところから片っ端からやっていく。

ちっともじっとしていない。

自宅軟禁、今日で三日目。

ついに ”やることがなくなった” ・・・

朝からず~っと PCモニター前でネットサーフィン・・・ つまんね。

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明日も引き続き、店もパートも病院にも行けない日。

だが、同僚の四十九日だ。午前9時半より参列予定。同僚父様から頼まれて、お寺さんまで同行させていただく。


父の想い出 そば打ち部屋を

2019年03月15日 21時11分30秒 | 食堂のおばちゃん

小学校2年生の春、この家(店)に越してきた。

気が付いたら、ソバ屋として お客さんが来るようになっていた。

毎日学校へ通っていたから、出かけたあとに 家(店)でどんなことが起こっていたのかは覚えていない。

毎日、朝から晩まで父母が二人で協力して 家の中を整理・業務に使いやすいように変えて来たことだろう。

この数年でようやく、老齢の母と毎日 ソバ屋の仕事を共にするようになり、

たくさんの時間を共に過ごすうちに、昔の話を聞く機会が増えて来た。

越してきて間もなくは、以前の借主が放置していったゴミの処理に明け暮れたこと。

内装などもひどく朽ちていて、母が一人で建材を買い込んできて壁張りなどしたこと。

そば打ち部屋は昭和43年に 当時の父母には大金だった金額を借金し、大家さんの許可を得て新たに増築したことなど。

そば打ち部屋は、身体ひとつで 蕎麦を粉から麺へ作り上げる技術を覚えて来た父が 55年使い続けた来た部屋だ。

わずか4畳半ほどの広さだが、頑丈な板台と、窓には7~8本の麺棒がかけられ、いつも粉まみれだった。

毎日一回・年末大みそかには前日から5回も6回も 蕎麦打ちをする父の後姿を見ていた。

2016年末、父が他界。

そば打ち部屋は二度と使われなくなってしまった。

自分も何度か そば打ちに挑戦してみたが、悲しいかな、付け焼刃では・・・。

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いつからか物置部屋と化していたが、母には早くから いずれは「食品庫」として再利用したいと話をしており、

母からも了解を得ていた。

きっかけは どこから始まるものなのか。

突然動き始めたσ(^^)の意識は、

あ~あ・・ ついに始めちゃったよ。(笑) いつかやりたいとは言ってたけど、なんで今日始めた?って感じ。

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一人で店の営業を終えたあと、何気なく食材を納めにそば打ち室へ行ったのだが・・

お尻に火が付きました。(笑)

着手前 -----

片づけるなど微塵も考えていなかった状態です。板台の上も下も モノが溢れてます。

腕組みしながら2分ほど見つめたあと、一気に動き出す。

板台の上にあったものをすべて別場所へ移動。

部屋と板台に塩を。

ありがとうの気持ちを込めて手を合わせます。

1メートルほどの長さのバールを持ってきて ← なぜこういう道具が揃っているのか疑問ですww

55年の間、この台は ”取り外せないものだ” と思い続けてきたんですよ。

父の大切な仕事場だからと。

何だか それを裏切った後ろめたさに包まれながら・・

とうとうはずしてしまいました。

分解した板台の板。重くて大きくて、手こずりました。

板類はひとつずつ(しか持てないくらい重い。20㎏はある)裏の物置へ運んでいきました。

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父さん母さん。55年という長い歴史を わずか20分ほどで壊してしまいました。ごめんなさい。

でも、この場所は 新しい未来へ向かって 大切な場所として使わせていただきます。m(_ _)m


厨房の片づけを始める ~ その2

2019年03月15日 20時51分16秒 | 食堂のおばちゃん

調理場中央の台には 大口ガスコンロが2台、小口ガスコンロが4口。

毎日フル運転で汚れ方も半端ない。

再び、言い訳をしておこう。

両親が55年かけて築き上げてきた、古い小さな食堂の調理場だ。

あまりにもゴチャゴチャ状態で、見せるのが恥ずかしくなる画像だが、自分の記録のため。(;^ω^)

  ↑  ↑

「その1」でも出て来た言葉だけどね。(笑)

あと何度、同じセリフが出てくるやもwww

作業のしやすさを考えると、中央の調理台にガスコンロが置かれ 人が周りをぐるぐる というのは非常に作業効率が悪い。

だが、55年前に父母が 居抜きでこの店を借りた時点で、このスタイルでしかできなかったようなのだ。

前身は おでん屋だったと子供の頃に聞いた記憶がある。

一度には無理だけど、少しずつ ちょっとずつ 自分の作業しやすいように変えていこう。

何せ、55年かけて築き上げてきたものを、たった数カ月で何とかできるものでもあるまい。

いや、そりゃさ。お金があれば業者さんに頼んで一気に、ってことができるわよ。

うん。お金、ない。(爆)

だから自分の持つ ”クソヂカラ” と ”ワルヂエ” と ヒトが首をかしげる ”オカシナアイディア”で この空間を変えていく。

さて、またまた登場。ゴチャゴチャ度Maxの調理場風景。(;^ω^)

着手前 ----

これでも2年前に考えて考えて モノを減らして ばあちゃんが調味料類を取りやすくして・・と試行錯誤したのだよ。(笑)。

棚板とワイヤーネットと、あらゆるものを組み合わせて まるでハウルの城のような 「なんでも揃う調味料棚」。

載ってるものを全部おろして・・

向こう側に映るモロモロが非常に目の毒だが、気にしない。

これからどんどん変えていくのだから。

棚の向きを変え、置くモノも吟味する。

垂れ壁に一部棚板を固定させることで、3本あった棚の足を2本に減らし、ガスコンロの配置を一列にして 配膳に使える場所を確保。

棚に置く調味料類も入れ物を統一し、頻繁に使わぬものは別の場所へ。

毎日必ず使うものだけを取りやすいように配置していく。

あとは実際、調理をしながら また考えていく。

電動ドライバーが大活躍。明日のために充電しておかなきゃね。


【片づけ祭り】実家二階 テレビ周り

2019年03月15日 20時40分55秒 | 食堂のおばちゃん

母が病気で留守なのだが、

わずかでも留守の間の水道光熱費の節約のため、あちこちの電気設備等を見直すことにした。

不要な電源を止めておこうと思ったのだ。

手始めに 母が毎日座って楽しんでいた、テレビ周りを確認。

今はテレビはなく、棚だけが残っている。

ちなみに請求が続いていたNHK受信料は、先月解約をした。

延長コードやコンセントを辿りながら、不要と思われる接続部をはずしていった。

一か所でこんなに出て来た・・

ばあちゃん、これ 火事になる。(;^ω^)
昔の家なので各部屋のコンセントがそれぞれ一か所しかなく、55年かけて そこから分岐させてきた結果だ。

いい機会だから、現状を把握して 見直しをしたい。


厨房の片づけを始める ~ その1

2019年03月06日 19時15分37秒 | 食堂のおばちゃん

息子が手伝ってくれることとなり再開した食堂業務。

いつまでも泣いてばかりもいられない。

母の入院費を捻出するためにも 頑張らなきゃ!

この十数年は、年老いて来た父や母に合わせて、調理場もモノの配置などがいろいろ変わってきた。

特に、母は大工仕事が大好きで 毎日電動ドライバーを片手にあちこち いじくりまわしていた。

翌日仕事に行くと、前日あったものがすべてなくなり 棚が新たに設置されているなど日常茶飯事だった。

母が倒れ、息子が手伝ってくれることで、これまでのモノの配置がいろいろ不便なことがわかり、(母の身長145cm、息子の身長178cm) あちこちの道具配置などを変える必要が出てきたのだ。

取扱メニューもガラリと変わったので、使わなくなったものも大量にあり、一度にはできず 少しずつ進めている。

夜パートが休みの今日は、手始めにカウンターそばのレンジ周りから。

あまりにもゴチャゴチャ状態で、見せるのが恥ずかしくなる画像だが、自分の記録のため。(;^ω^)

ちなみにこの棚もカウンターも全て母が自分で創作したものだ。

15年前までは、この棚にテレビも置かれていた。

これでも メニューの取扱いをやめた 蕎麦関係の食器など、ずいぶんモノを減らした後なのである。(;´∀`) どんだけモノがあるんだよ~(笑)

これらを一度 全部はずして・・・

中央の四角い黒い物体はモデムとルータ。

そば打ち部屋で使用していたメタルラックをはずして持ってくる。

今のところ、必要なものを配置。

こうしてみると けっこうよけいなものを置いたままになっていたりするのを実感する。

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私のブログは、母がいつも楽しみに見ていた。

元気になってマウスを持てるようになったら、一番にこのブログを見られるようにしてあげたい。

母さん、がんばれ~(*^^*)


母の事 46日目

2019年03月06日 18時53分30秒 | 徒然

3月4日月曜日。

脳梗塞で壊死した右半球脳の圧を外へ逃すため、はずされていた母の頭蓋骨片を戻す手術が行われる日。

早朝 息子と共に遠軽を出発。北見日赤へ。

午前10時半からの手術を控え、周りで準備を進める中、母の前に 見えるように 顔を出す。

わずかだが意識が戻り、反応がある。声掛けにも小さく頷く。

せっかく伸びた髪の毛が、また剃られて丸坊主になっちゃうね。

大丈夫。2カ月でまた素敵なショートヘアになる。

一緒に手術室へと促され 移動するベッドの脇を歩きながら 8階から3階の手術室階へ 

「終わるまで待ってる。大丈夫。寝ている間に終わるよ。いってらっしゃい」

家族の見送りはそこまで。大丈夫とは思っても涙が溢れ出た。

こんなはずじゃなかったのに。

母はもっともっと何年も先まで、元気で歩いて笑っていたはずなのに。

 

息子と、約4時間をデイルームで過ごした。

待つことに慣れてしまった自分。

この十数年、同僚や同僚の家族、自分の父を送ってきたことを思い出す。

いつも 「待っていた」

デイルームの同じスペースに後から来た人がテレビをつけた。

昼のワイドショー? この十数年、まともにテレビをみていないので 誰が誰やらまったくわからず、話題にもついていけない。

おもしろくない。うるさいだけ。

消してほしいが、後から来た人は画面を見ながらニヤニヤ 時には声を出して笑う・・・

ここでケンカを売ってもしかたないしなぁ。

午後2時過ぎ、看護師さんが呼びに来た。

術式を担当した先生から説明を受け、声掛けにも反応し、麻酔も切れたので病室へ移りますと。

少しの時間を待たされ、病室に戻った母に再会する。声をかけたが眠っている。呼吸は穏やかだ。

先生も来て 大きな声で名前を呼んでくれたが、「だめだこりゃ~ww 眠っちゃったわ~」

しばらくの間は傍についていたが、病院側からの申し出と 連日の疲れもあり 遠軽へ戻ることにした。

母さん。 頭蓋骨の穴が塞がったよ。

ようやく上を向いて眠れるよ。

脳が半分、反応しなくなってしまったことで、忘れてしまったこともあるかもしれない。

できなくなってしまったこともある。

でも、「一度 死んだ。そして 生まれ変わった」 と考えようよ。

利き手の右手が動く。だから大丈夫。

目が覚めたら、少しずつ ひとつずつ また覚えていこう。

帰ってきてくれてありがとう。

そして 守ってくれた向こうの世界にいる父さん。 

母さんを連れていかないでくれてありがとう。


内容掲示

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