がんぼのぶらり紀行

北海道オホーツク遠軽で、昭和時代のお茶の間みたいな食堂 やってる おばちゃんです。

【修繕】水道 破損四か所

2019年04月18日 16時38分35秒 | 食堂のおばちゃん

家が古いもんだから、ひと冬 越すたびに どこかしら不備が浮上する。

流し台の排水管が凍り付き(一晩で) 翌日の営業ができないとか

水落としをしたにも関わらず、水道凍結し、翌日正午過ぎまで水が出ず営業ができないとか

落雪防止の冬囲いをしてあったのに囲いをはずしてみたらガラスが割れていたとか

外部換気扇のカバーが破損していたとか

毎年の恒例行事なのだが、正直なところ 出ていくお金も半端じゃない。(´;ω;`)ウッ…

そしてこの春。

半年ぶりに二階への水道を開通させようとしたら、元栓箇所で割れがあり水が噴き出し、慌てて止める。

馴染みの水道業者さんに修理をお願いし、今朝9時前、「12分くらいで終わるよ」とニコニコ作業にかかってくれた彼は、

結局 11時半までかかって ”エライ目” にあって作業を終わらせてくれた。

最初発見した破損個所をいとも簡単に取り換え、2階の台所で水出し確認をしようとしたら 階段途中の管からものスゴイ勢いで水が噴き出した。

そこを治して、再度水出ししたら 壁抜け箇所でも水が噴出。

それも治して、最終確認をしようと水出ししたら 二階の流し台陰の水道管が割れ、水が噴き出していることが判明。(-_-;)

計 4か所。

結局、二階の台所への通水は、住人が長期入院となっていることから 当面必要としないので 1階トイレの手洗い場までの完全修理をお願いすることに。

予定外の作業と不足部品の調達とで、業者さんにとっても 想定外の時間と労力を費やすことになる。

開店時刻を大幅に過ぎた午前11時半。バタバタと片づけを始めたところへ一人目のお客様来店。遅いながらも暖簾を出す。

あ~あ、修繕費、万単位で請求が来そうだわ。泣 


両親の想いを現実化

2019年04月12日 21時27分22秒 | 徒然

昭和55年。自宅から2km離れた場所に、狭いながら「畑を作りたい」と土地を手に入れた両親。

家を建てるでもなく、毎年春から秋まで、仕事前の早朝に夫婦で出かけては、家庭菜園を楽しんでいた。

平成28年、父が逝去し、母はわずかな年金から固定資産税を支払うことが辛くなってきた。

十数年前から売りに出しているにも関わらず、場所が悪いのか、買い手からの打診もいっさいなかった物件だった。

毎年、固定資産税のみが重くのしかかる。

一人娘の私とて、早くに一人身になり 生活するにアップアップ状態だが、子供たちが成人した後、今も決して裕福な生活ではないが、母の精神負担を減らしたくて、毎月わずかずつだが助けになればと母に渡していた。

 

昨夜、”決まりをつける時が来た” と直感した。

数年前に「何があった時のために渡しておく」と母から預かった土地登記書。

それを持ち、当時お世話になった不動産屋さんに相談に行った。

司法書士事務所を紹介していただき、即日 訪れる。

てきぱきとコトを進め、書類を作成してくださる司法書士先生。

父が逝去した際に余分に取り置きしておいた書類のコピーが、今回とても役に立った。

戸籍謄本や印鑑証明、住民票など。

モノによっては 三か月以内のものでなければならないものもあり、それらは役場住民課へもらいにいった。

現在は存在しない父からは 相続、病床にいる母からは 贈与 という形で 土地を譲り受ける。

名義が 私になった時点で、”両親が懸念していた 『土地を手放したい』” を実現したい。

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亡くなった父にとっても、現在 病床にいる母にとっても

モノを持っていることにより生まれる 余計な出費(時間やお金や気遣いや不安・心配)を ひとつでもなくしたいという思いがひしひしと伝わってくる。

元気なうちはいいが、病気などで自分が動けなくなったあとに、自分が手に入れたあとに付随してくる様々な負の要素が 子や孫にかかってくることを懸念していた。

自分も年を重ねて来たな、と実感している。それらの気持ちが手に取るようにわかる。

病床にいる母の「心残りをひとつでもなくしていきたい」を、できるかぎり早く 現実化してあげたい。

週明け月曜日、司法書士の先生により 書類が送られる。


新元号は「令和」& 現状

2019年04月02日 00時03分54秒 | 徒然

母は心原性脳梗塞(脳の右半分が完全に壊死)を発症したものの、命を長らえ 現在北見病院入院中。

左半身完全不随、言語障害、食事もできず鼻腔から経管栄養、寝返りもできぬ寝たきり、唯一の利き手の右手には終日ミトン・・
健康だと思っていた次の瞬間に倒れ、目が覚めたら自分では何もできないという突然の現実。

意識がはっきりしているため、あまりに切ない日々が続く。

リハビリもできぬ状態で、居場所もまだ見つからない。

一方で 母が倒れた直後から、「俺が手伝う」と申し出てくれた力強い味方となってくれた息子と共に、55年の歴史を積み上げてきた両親の食堂を潰したくないと、早朝から奮闘中。

日々、車で片道一時間の病院へ母を見舞い、金銭的な余裕など全くなく、生活費を捻出するため、週に五日 夜パート。帰宅は午後11時。

世間様は 新しい元号が発表され 大わらわのようだが、私の”毎日”は昨日と何ひとつ変わらない。

さて。

これからどう進んでいくのか私の人生。


内容掲示

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