日食。
ほとんどが部分日食だが、それさえ滅多にみられるものではない。
それが5月21日、太陽のかなりの部分を月が覆う形で部分日食を確認することができる。(直に太陽を観てはいけません。)
見たいけど、でもこの時間まだ仕事してるってことは、明日朝は寝坊の確立、非常に大きい。
さっさと寝ればよいのだが、まだ仕事が残っている。 明日にまで引き延ばせないのだ。
だったら、ブログなんぞ書いてないでさっさと仕事をすればよいのだが。(笑)
かといって、朝まで起きている自信もない。
日食。 昼間というのに、あたりは薄暗く、曇り空とはまた違い、夕方の暗さとはまた違い、独特のかげり。
昼なのに、妙に薄暗い 日食の数分間。
アマテラスオオミカミが天岩戸に隠れてしまい、世は真っ暗になってしまった・・・
>>天岩戸
ちょっと詳しくてわかりやすい「天岩戸伝説」 から
えぇじゃないか 伊勢の旅 http://www.ise-kanko.jp/monogata/iwato.html より
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世の始まりの頃のこと…。スサノオノミコト【須佐之男命】は日本国の創造神であるイザナギノミコトによって生み出され、海や地をおさめるように命じられていました。しかし、彼はどうしようもない乱暴者で、仕事もせず周りの者を困らせるばかりでした。
何度諭されても改心することなく暴れ回り、あまりの傍若無人さに遂にはその地を追われることとなったスサノオは、姉であるアマテラスオオミカミ【天照大神】の元に向かいます。
高天原【たかまがはら】を治めていたアマテラスは、弟のあまりに荒々しい様子を伝え聞き、「高天原を奪いにきたのでは?」と警戒して迎えました。
スサノオは迎えたアマテラスに対して「そのような気はない。ならば子をもうけて、女が生まれたら邪心があり、男が生まれたら清い心の証である」と誓約をしました。
まずアマテラスがスサノオの剣を三つに折り、天の真名井の水とともに噛み砕いたものを吐き出すと女の三神が生まれました。
次にスサノオがアマテラスの髪飾りの珠を同様に噛み砕き吐き出すと男の五神が生まれました。
スサノオは、これによりアマテラスの怖れは邪推、スサノオは潔白と証明された。と言い張り、アマテラスの珠を使ったことでスサノオの所為を示すものではないとする他の神と押し問答になりますが、結局スサノオは高天原に居座ってしまいました。
ところが高天原でもスサノオの乱行は変わらず、田を荒らしたり、御殿に糞をまき散らしたりとやりたい放題で、皆が困り果てる中、アマテラスは姉として「何か考えがあってのことなのでしょう」と、大目に見ていましたが、ある日スサノオが織り小屋に皮を剥いだ馬を投げ落とし、巻き込まれた織女が命を落としてしまった事に、嘆き・怒り、ついには天の岩戸にこもり、入り口を大岩で閉ざしてしまいました。
太陽の神が隠れてしまったことで世界は闇となり、さまざまな禍いが生まれ出てきます。困り果てた八百万【やおよろず】の神々は天の安河原【あまのやすかわら】に集まり相談をし、オモイカネの案で様々な儀式を行います。
常世の長鳴鳥を集めて鳴かせ、八咫鏡【やたのかがみ】・八尺瓊勾玉【やさかにのまがたま】などを作り供え、祝詞を唱えます。そしてアメノウズメノミコトが岩戸の前で、足を踏み鳴らし胸をはだけ袴まで押し下げて舞い踊ったところ、八百万の神は笑い転げ、その声は高天原中に鳴り響いたそうです。
岩屋の奥でこの笑い声を聞いたアマテラスは、岩戸を塞いでいた扉の岩を少し開けて「何故暗い世にアメノウズメは踊り、神々は笑っているのか」と騒ぎの訳を尋ねます。
アメノウズメが「貴方様より貴い神様がおいでになったので、皆で喜んで踊っているのです」と答え、すかさず別の神がアマテラスの前に鏡を差し出しました。
鏡に映った自分の姿を「新しい神の姿」と見間違えたアマテラスが、もっとよく見ようともう少し扉を開いた時、岩屋の横に控えていたタヂカラオが強力で扉を開け放し、アマテラスの腕を掴んで引き出します。
そして、注連縄を岩戸の入り口に張り、「もう二度とこれより中には入らぬよう」と皆の願いを伝えました。
こうしてアマテラスが岩戸の外に出たことによって、世の中は以前のような明るさを取り戻し、禍いもおこらなくなりました。
一方スサノオは八百万の神によって、罪の償いにたくさんの品物を供することを科せられたあと、髪と手足の爪を切られ高天原を追放されてしまいました。その後「根の国」に渡ったとされています。
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これまでの人生で、ここ北海道オホーツクでの(部分)日食を確認できた経験は4度くらいかしらねぇ。
部分日食は結構な割合であるらしいが、今回のように日本で大規模な日食の観測をできるのは25年振りなのだそうだ。
その前の日食祭り(?)の頃は、私はまだ青春真っ盛り。 < ウソつけ!
日食と聞いて思い出したのが、「タイプライター」。
何が関係あるかって?
がんぼにとって様々な文字列は、結構な確率で 「図書館」 「調べもの」 「結果を手書き」 「字が汚ねぇ!」 「タイプライターほしい!」 「お願い買って♡」 に当てはまるのだ。
学生の頃は、日食をはじめとする宇宙を含め、天体・地球・自然・生物に興味を持った。
当時、町の図書館(図書室)は、福祉センター4階だったか5階だったかにあった。
今のようにインターネットなどなく、本などもそうそう買えるものでもなく、ましてや百科事典など、当時高卒初任給が5万円とか6万円とかのあたり、「全32巻、総ページ32,000、全巻そろえて数千万円」 のシロモノ。
手に入らぬものは、借りて見るべし。 だが、百科事典は持ち出し禁止。
情報を 「自分のものにしたい!」 私は、図書室にあしげく通いつめ、百科事典をすべてノートに写し取るのかというほどの勢いと執念(深さ)を持っていた。 今思えば、よくやったわ。(笑)
1974年に日本語翻訳され発行されたブリタニカ国際大百科事典。全32巻。
当然、全巻まるごと (は不可能で(笑)) ではなく、「知りたい・見たい」 該当部分を辿り辿って抜き書きしていった。 デジカメも欲しかったなぁ。 掲載されたカラー写真、撮りたかったなぁ。 < 当然その当時はない。 まだフィルム全盛の時代。 カメラで撮影は可能だが、良く撮れるかどうかも現像してみないとわからない当時では、毎度現像料を払うことは、考えちゃう。
今なら、インターネットで簡単に調べものができ、必要な個所はどんどんリンクで別ページへ飛んでいき、いつでもコピーペーストが可能で印刷が可能で・・・
夢みたいな時代だわ。(笑)
さて、学生当時、字を書くのは嫌いじゃなかったけど、相手は分厚い百科事典。 半端な文字数ではない。
おかげでペンを持ち続けたせいで腱鞘炎にもなりかけた。(^_^;)
下手くそな字ではありながら、ビッチリと書き連ねたノートたち。
あのノートの束もいつのまにか消えてしまって。(笑)
当時から、珍しかった『タイプライター』 が欲しくて仕方がなかったんだよね。
でも、親に無理言って買ってもらった高かった英文タイプライターも、英語が苦手な ( 『苦手』 という言葉は、『そこそこつかえる』 人間が使うもんだ (笑) 全く使えない人間が何を言うか ) 私は使い切れなかった。
ローマ字で打ったとしても日本語で読めなければ意味がなかった。
その頃から、岩見通にある、パン屋さんのウインドウに、「キーボード」 が登場した。
アップル社のパーソナルコンピューターの一部として、展示されていた。
日々、そこを通るたび、憧れの目で見つめた。
欲しい。 でも高いし、だいたいコンピュータなんて普通の人が使えるものではない。 < 当時はそのレベル。
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今こうしてPCのキーボードをカタカタやっているのが正直なところ信じられない反面、これはこれで自分の 「やりたい事をやっている」 証しでもある。
夢をかなえることは難しい。
でも、ちょっとだけ、ほんとに小さい事だが、 「昔、望んだ夢を叶えた」 ことに気が付いた。
今日、T社の社長さんとじっくり話をさせて戴く機会に恵まれ、その中で 「夢を追う・叶える」 ことが楽しくもあり大変でもあり、そんな会話をしてきたばかりだった。
昔、憧れをもって見つめていた 「キーボード」。
これが、タイプライターでもワープロのキーボードでも、PCのキーボードでもよかった。
「自分のヘタな文字を活字にしたい」。
今思えば、「活字にしたかった」 のか、「キーボードをたたく(打つ)」 ことをしたかったのか、どちらが優先事項だったのかあやふやだ。 まぁ、どちらも 「やりたかった」 ことだから、両方だったのかもしれないが・・
小さなことでもいい。 確かに それは今、 「夢が叶った」 ではないか。
そうなると、もしかするともっと 「昔夢見たことが現実に叶えられている」 もしくは 「もう少し頑張れば、叶えられるところにいる」 ことがあるのではないか。
自分の周りをもう一度、見回してみようか。 そして、見直してみようか。
そんな風に思った、日食前夜の 丑三つ時。