がんぼのぶらり紀行

北海道オホーツク遠軽で、昭和時代のお茶の間みたいな食堂 やってる おばちゃんです。

自慢

2012年05月31日 00時41分57秒 | 徒然

紋別訪問先で、自宅庭に自生する ”ウド” を頂いた。

先日から通う アツシ ”M山” にもあるが、料理するヒマなく、もらってはこなかった。

”あげるよ。もって帰りなさい。”  せっかくなので戴いて帰る。

 

 

 

自慢じゃないが、ウドの料理はしたことがなかった。

ウドだけでない。 フキやコゴミ、ゼンマイなど、山菜料理は一切したことがなかった。

 

なぜか?

 

 

 

親がすべてやってくれたから。

食堂を営む両親。 料理は当然得意。

私は子供の頃からいつも、 『できた、美味しい山菜料理を食べるだけ』 の人だった。

 

 

今日も実は、帰宅時間が早かったら、実家に届けていたかもしれない。

いいのか悪いのか。

帰宅時間は8時半。

 

マジメな娘なら、親の作る料理方法をちゃんと覚えて嫁に行っただろう。

 

だが、この娘 (もう、『娘』 と呼ぶには犯罪だ)、 見よう見まねどころか、山菜料理は親が作るもの、と認識。

 

子供の頃から父が毎年、山菜を山ほど取って来て料理し、食べさせてくれた。

苦みがあって当初は苦手だったのに、年を取るにつれ、うまさがわかるようになった。

 

 

自慢。

 

今日、もらった山菜(ウド)を初めて料理した。

頂いたのは、直径3センチを超えるほどになった大振りのウド。

根っこから、ハサミで2本切り、戴いて帰った。

 

さて。 どうやって料理すんだ?

 

親のやっていたことは見てきていたはずだが、まさか自分で作ることになるなど考えていなかったので。  わからない。(^_^;)

 

 

それでも、葉の部分を一部、天ぷらに。 茎の柔らかい部分と皮をきんぴらに、根の部分と茎の太いところは、ハスッカイにして湯がいて・・

 

2本の ”ウド” は、無事に食材となりました。

初めて作った ウド料理。

 

 

皮剥いて人参と、”きんぴら” 左下透明ケース。

葉と細い茎は、さっと茹で、絞ってゴマ和え。写真上ボウル。

太い茎部分は、ハスッカイに切って下ゆでし、酢味噌和え。 写真右下透明ケース。

この他に、穂先の柔らかいところは天ぷらにした。(喰っちゃった!!)

 

 

いや~、美味かったわ~♡

 

今まで一度もやったことがなかったが、今回を機に ”ウド” を使ってオカズを作る自信を得た。

 

何年も見続けてきた両親の料理と味 。 知らない間に何とかモノにしてたようです。

ありがと~ね!  > おすそ分けするほどなくて、すんません。


不調の原因 ~ ありがちな。

2012年05月25日 18時37分03秒 | 徒然

調子の悪かった23日、24日は何もする気にもなれず。

しかし、仕事が進まぬという焦りにさらに落ち込みは加速する。

 

おまけに食事ができない。 モノを食べる~噛む~ことが全くできないのだ。

口に入れても、左、右、口の中でどちらへ移動しても、噛めない。 顔が痛い。

もちろん味などわからない。 一口二口呑み込んだだけで食べるのもやめてしまった。

 

 

全身の具合の悪いのは24日朝には少し軽減したが、

顔 (正確には 『あごが痛い』 のだが顔全体が痛い。) の痛みはピーク。

ここまで来てようやく、「歯に原因」というのが確定。 

それまでは 肩が凝ったのが歯に来たか、あるいは全身の疲れが首に来たか、判断がつかなかった。

 

こうなると、問題の歯をさっさと直さなければいつまでたっても軽減されることはない。

朝一で、家族揃って昔からの行きつけであるT歯科へ電話を入れた。 すぐに見てもらえるといいのだが。

 

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運よく、「10時半に来て下さい」 と言ってくれ、だるい体をようやく持ち上げ、

ハミガキをして保険証とハンカチもって、車を運転して時間前に歯医者へ到着。

 

で、保険証と同時に提出したのは

 

もうね。 しゃべるのも苦痛だったのよ。(笑)

で、この手段に出たわけ。

 

通常、歯医者さんへ行くと、診察椅子に座って口をあけて

先生に 「どうしました?」 と聞かれても口は閉じられず 「あがあがあが・・」 なんて事があるじゃないですか。

おまけに痛みの個所や症状がうまく伝わるかどうかもわからない。

 

 

それで、最低限伝えたいことを書いて、受付時一緒に出したんだけど、これまた受付の女の子にも何も言われずに、そのまま先生のデスクへ届いたらしい。(笑)

 

これが結構、功を奏したようで、

先生が横へ来るなり、「はい、こんにちは」 と言ったきり、

何も言わずに何も聞かずに、痛い場所をいろいろ診てくれた。 しっかり伝わったということだ。(笑)

 

 レントゲンを撮り、その後、悪化しているであろう歯の冠を機械で切断。

長年使用し続けたために ~該当の歯は20年前に治療し冠をかぶせた~ すっかり弱く折れてダメになってしまった芯棒を取り去り、

ぽっかり空いた穴に (実際には直径1ミリ以下) ネジ様の針を何度も何度も差し込んでは押し込み、回転させ更に押し込んで、何かをからめ取っては引っ張り出し・・・ あああ・・・  痛い・・・  (T_T)

 

久しぶりにじんわり涙ぐんだ。 痛~。 図太い神経はとっくに遠い昔に消え去ったはずなのに。

 「涙が出ちゃう・・だって・・(あとは勝手に想像してくれ)だもん♡ 」

 

だがこれを我慢しなければ、痛みは去らないのだ。 我慢するのだ。

 

 

 約30分後、ようやく解放され、涙で前がみえないまま

「はい、今日はここまで。 詰め物はしないで (穴は) 開けておきますからね

 膿を出すための処置だが、ホントに抜けてくれるのだろうか。

 

 

 4日分の化膿止めと、痛み止めをもらった。

痛み止めは 「我慢できないくらい痛くなった時だけ、飲んでくださいね」 つまり劇薬。

 もともと、クスリ飲みではないので、もらった薬もできれば飲みたくない。>面倒くさがり

 

 

処置は的確で、数時間後には痛みが軽減。

ようやくモノが食べられるようになった。

 

T歯科医さんとはもう30年来のお付き合い。子供らも小さい頃から通わせた。

またしばらくお世話になることとなる。

どうぞよろしく m(_ _)m


不調

2012年05月23日 22時03分29秒 | 自身の健康

朝起きた時から体調すぐれず。

 

半年に1回くらい、こんな日がある。

普段丈夫に動き回っているだけに、不調を訴えると、反動が大きい。 

一度ヘロヘロになると、なかなか復旧できない。(^_^;)

 

 

 

6時に目が覚め、この時は寝ているのが苦痛で起きて仕事を始めたが、

1時間ほどで今度は逆に横になりたくなって。

 

眠れるわけではない。 眠くないのに横になりたいって結構苦痛。

で、また少しすると寝ているのが苦痛になって起きて仕事。

 

肩が張って、首が回らず、背中が痛くて胸が苦しくなって、歯が痛くて、モノが食べられなくて。

 

起きてるのも苦痛、寝るのも苦痛。

そんなのを数回繰り返した今日。

 

幸い、出かけなければならない用事はなく、

サイト3か所構築作業とフリーペーパーの締切。

だが、それさえ進めることができない。

 

「やらなければ」 という焦りと 「やりたくてもできない」 焦りがピークになる。

 

あげくにフリーペーパーで使用するイラレは最近頻繁に落ちるし。 異常多すぎ。

 

 

息子の力を借り、フリーペーパーは何とか締切に間に合わせたが、ヘロヘロの私を見るに見かねた子供らに、温泉へ引っ張って行かれる。(笑)

到着するかしないかのうちに、また2本の電話が立て続けに入り、明日以降の予定を強制的に決定する。

 

 

 

 

今日は早く寝よ。


体力勝負と根気勝負

2012年05月21日 15時01分00秒 | 徒然

最近、これでもか! というくらいの作業量が続いている。

もちろん、『急いで今しなくても』 よいこともあるのだが、年を取ってくるとどうも、「今やっておかなければ後悔する」 念が先に立ってしまう。

巻き込まれる娘や息子にとっては、はた迷惑な話だが、まぁ勘弁してつきあえよ。(笑)

 

 

実家が持っていた土地を売り払う事になり、これまで使っていたブロック類をすべて片付ける(モノによっては廃棄)ことになった。

使えるものなら使いたいと、何度か往復してブロック類を持ち帰る。

 

40個くらい運んだかしらね。

往復3回目の車の中・・ ブルーシートは一応敷いたが、あまり意味がないような・・

かといって、軽トラックを貸してもらうにもお金がかかるしねぇ。

 

 

とりあえず、「やりたかったこと」 は何とか終えて、家へ戻ってからはまた仕事。

 

日々、大変だわ。 でも、やらなきゃね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事用スーツケースも形無しだわ。

ケースを開けたら、ipad じゃなく、にゃん’s 登場。


日食とタイプライターと小さな”夢”

2012年05月21日 00時44分20秒 | 気温と天気

日食。

 

ほとんどが部分日食だが、それさえ滅多にみられるものではない。

それが5月21日、太陽のかなりの部分を月が覆う形で部分日食を確認することができる。(直に太陽を観てはいけません。)

 

見たいけど、でもこの時間まだ仕事してるってことは、明日朝は寝坊の確立、非常に大きい。

さっさと寝ればよいのだが、まだ仕事が残っている。 明日にまで引き延ばせないのだ。

だったら、ブログなんぞ書いてないでさっさと仕事をすればよいのだが。(笑)

かといって、朝まで起きている自信もない。

 

日食。   昼間というのに、あたりは薄暗く、曇り空とはまた違い、夕方の暗さとはまた違い、独特のかげり。

昼なのに、妙に薄暗い 日食の数分間。

 

 

 アマテラスオオミカミが天岩戸に隠れてしまい、世は真っ暗になってしまった・・・

 

>>天岩戸

  ちょっと詳しくてわかりやすい「天岩戸伝説」 から

  えぇじゃないか 伊勢の旅 http://www.ise-kanko.jp/monogata/iwato.html より

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世の始まりの頃のこと…。スサノオノミコト【須佐之男命】は日本国の創造神であるイザナギノミコトによって生み出され、海や地をおさめるように命じられていました。しかし、彼はどうしようもない乱暴者で、仕事もせず周りの者を困らせるばかりでした。
 何度諭されても改心することなく暴れ回り、あまりの傍若無人さに遂にはその地を追われることとなったスサノオは、姉であるアマテラスオオミカミ【天照大神】の元に向かいます。

 高天原【たかまがはら】を治めていたアマテラスは、弟のあまりに荒々しい様子を伝え聞き、「高天原を奪いにきたのでは?」と警戒して迎えました。
 スサノオは迎えたアマテラスに対して「そのような気はない。ならば子をもうけて、女が生まれたら邪心があり、男が生まれたら清い心の証である」と誓約をしました。

 まずアマテラスがスサノオの剣を三つに折り、天の真名井の水とともに噛み砕いたものを吐き出すと女の三神が生まれました。
 次にスサノオがアマテラスの髪飾りの珠を同様に噛み砕き吐き出すと男の五神が生まれました。
 スサノオは、これによりアマテラスの怖れは邪推、スサノオは潔白と証明された。と言い張り、アマテラスの珠を使ったことでスサノオの所為を示すものではないとする他の神と押し問答になりますが、結局スサノオは高天原に居座ってしまいました。

 ところが高天原でもスサノオの乱行は変わらず、田を荒らしたり、御殿に糞をまき散らしたりとやりたい放題で、皆が困り果てる中、アマテラスは姉として「何か考えがあってのことなのでしょう」と、大目に見ていましたが、ある日スサノオが織り小屋に皮を剥いだ馬を投げ落とし、巻き込まれた織女が命を落としてしまった事に、嘆き・怒り、ついには天の岩戸にこもり、入り口を大岩で閉ざしてしまいました。

 太陽の神が隠れてしまったことで世界は闇となり、さまざまな禍いが生まれ出てきます。困り果てた八百万【やおよろず】の神々は天の安河原【あまのやすかわら】に集まり相談をし、オモイカネの案で様々な儀式を行います。
 常世の長鳴鳥を集めて鳴かせ、八咫鏡【やたのかがみ】・八尺瓊勾玉【やさかにのまがたま】などを作り供え、祝詞を唱えます。そしてアメノウズメノミコトが岩戸の前で、足を踏み鳴らし胸をはだけ袴まで押し下げて舞い踊ったところ、八百万の神は笑い転げ、その声は高天原中に鳴り響いたそうです。

 岩屋の奥でこの笑い声を聞いたアマテラスは、岩戸を塞いでいた扉の岩を少し開けて「何故暗い世にアメノウズメは踊り、神々は笑っているのか」と騒ぎの訳を尋ねます。
 アメノウズメが「貴方様より貴い神様がおいでになったので、皆で喜んで踊っているのです」と答え、すかさず別の神がアマテラスの前に鏡を差し出しました。
 鏡に映った自分の姿を「新しい神の姿」と見間違えたアマテラスが、もっとよく見ようともう少し扉を開いた時、岩屋の横に控えていたタヂカラオが強力で扉を開け放し、アマテラスの腕を掴んで引き出します。
 そして、注連縄を岩戸の入り口に張り、「もう二度とこれより中には入らぬよう」と皆の願いを伝えました。
 こうしてアマテラスが岩戸の外に出たことによって、世の中は以前のような明るさを取り戻し、禍いもおこらなくなりました。

 一方スサノオは八百万の神によって、罪の償いにたくさんの品物を供することを科せられたあと、髪と手足の爪を切られ高天原を追放されてしまいました。その後「根の国」に渡ったとされています。

-*-*-*-*-*-

 

 これまでの人生で、ここ北海道オホーツクでの(部分)日食を確認できた経験は4度くらいかしらねぇ。

部分日食は結構な割合であるらしいが、今回のように日本で大規模な日食の観測をできるのは25年振りなのだそうだ。

その前の日食祭り(?)の頃は、私はまだ青春真っ盛り。 < ウソつけ!

 

 

 

 

日食と聞いて思い出したのが、「タイプライター」。

 

何が関係あるかって? 

がんぼにとって様々な文字列は、結構な確率で 「図書館」 「調べもの」 「結果を手書き」 「字が汚ねぇ!」 「タイプライターほしい!」 「お願い買って♡」 に当てはまるのだ。

 

学生の頃は、日食をはじめとする宇宙を含め、天体・地球・自然・生物に興味を持った。

当時、町の図書館(図書室)は、福祉センター4階だったか5階だったかにあった。

 

今のようにインターネットなどなく、本などもそうそう買えるものでもなく、ましてや百科事典など、当時高卒初任給が5万円とか6万円とかのあたり、「全32巻、総ページ32,000、全巻そろえて数千万円」 のシロモノ。

 

手に入らぬものは、借りて見るべし。 だが、百科事典は持ち出し禁止。

情報を 「自分のものにしたい!」 私は、図書室にあしげく通いつめ、百科事典をすべてノートに写し取るのかというほどの勢いと執念(深さ)を持っていた。 今思えば、よくやったわ。(笑)

1974年に日本語翻訳され発行されたブリタニカ国際大百科事典。全32巻。

当然、全巻まるごと (は不可能で(笑)) ではなく、「知りたい・見たい」 該当部分を辿り辿って抜き書きしていった。 デジカメも欲しかったなぁ。 掲載されたカラー写真、撮りたかったなぁ。  < 当然その当時はない。 まだフィルム全盛の時代。 カメラで撮影は可能だが、良く撮れるかどうかも現像してみないとわからない当時では、毎度現像料を払うことは、考えちゃう。

 

今なら、インターネットで簡単に調べものができ、必要な個所はどんどんリンクで別ページへ飛んでいき、いつでもコピーペーストが可能で印刷が可能で・・・

夢みたいな時代だわ。(笑)

 

 

 

 

さて、学生当時、字を書くのは嫌いじゃなかったけど、相手は分厚い百科事典。 半端な文字数ではない。

おかげでペンを持ち続けたせいで腱鞘炎にもなりかけた。(^_^;)

下手くそな字ではありながら、ビッチリと書き連ねたノートたち。

あのノートの束もいつのまにか消えてしまって。(笑)

 

 

当時から、珍しかった『タイプライター』 が欲しくて仕方がなかったんだよね。

でも、親に無理言って買ってもらった高かった英文タイプライターも、英語が苦手な ( 『苦手』 という言葉は、『そこそこつかえる』 人間が使うもんだ (笑) 全く使えない人間が何を言うか )  私は使い切れなかった。

ローマ字で打ったとしても日本語で読めなければ意味がなかった。

 

その頃から、岩見通にある、パン屋さんのウインドウに、「キーボード」 が登場した。

アップル社のパーソナルコンピューターの一部として、展示されていた。

 

日々、そこを通るたび、憧れの目で見つめた。

欲しい。 でも高いし、だいたいコンピュータなんて普通の人が使えるものではない。 < 当時はそのレベル。

 

-------------

 

今こうしてPCのキーボードをカタカタやっているのが正直なところ信じられない反面、これはこれで自分の 「やりたい事をやっている」 証しでもある。

夢をかなえることは難しい。

でも、ちょっとだけ、ほんとに小さい事だが、 「昔、望んだ夢を叶えた」 ことに気が付いた。

 

今日、T社の社長さんとじっくり話をさせて戴く機会に恵まれ、その中で 「夢を追う・叶える」 ことが楽しくもあり大変でもあり、そんな会話をしてきたばかりだった。

 

昔、憧れをもって見つめていた 「キーボード」。

これが、タイプライターでもワープロのキーボードでも、PCのキーボードでもよかった。

「自分のヘタな文字を活字にしたい」。

 

今思えば、「活字にしたかった」 のか、「キーボードをたたく(打つ)」 ことをしたかったのか、どちらが優先事項だったのかあやふやだ。 まぁ、どちらも 「やりたかった」 ことだから、両方だったのかもしれないが・・

 

小さなことでもいい。 確かに それは今、 「夢が叶った」 ではないか。

 

そうなると、もしかするともっと 「昔夢見たことが現実に叶えられている」 もしくは 「もう少し頑張れば、叶えられるところにいる」 ことがあるのではないか。

 

自分の周りをもう一度、見回してみようか。 そして、見直してみようか。

 

 

そんな風に思った、日食前夜の 丑三つ時。


寒い

2012年05月18日 23時00分15秒 | 徒然

5月18日でございます。

現在の気温、オホーツク3月初めの気温、3度です。

山は雲に包まれ、たかだか70メートル程度の瞰望岩のてっぺんにある《東屋》がまったく見えません。

 

 

オホーツクお決まりとはいえ・・ねぇ?

 

せめてもう少し温かさが欲しいわ。


洗濯機用ゴミフィルターは爆発物??

2012年05月14日 11時45分07秒 | 徒然

ネットで『洗濯器ゴミフィルター』を購入した。 翌日、発送メールが届いたので、2日後くらいには到着するものと思っていた。

ところが5日過ぎ、「遅いな~」と思いながらも、まぁ、大して急ぐ&必要不可欠のものでもないので呑気に構えていた。


翌日。

配送業者さんが届けに来てくれた時の話。



「伝票に品名がなく、型番しか載っておらず、『危険物』 扱いされて 空便に乗せることができなかった。 遅くなってすみません。」


要するに、伝票に「ゴミネット」とか「ゴミフィルター」とか書いてあればすんなり飛行機に乗れたものが、RS33Cとかアルファベットのみだったため、『中はなんだ! 爆発物か!!』 と疑いがかかり、結局フネでゆっくりと洋上を、豪勢な時間の旅をして来たわけだ。

仕方がないかもねぇ。 このご時世だ。 危険性がある場合にはそれ相応の対処をしないといけない。 





・・・昔はよかった。。。 ってか?(笑)


内容掲示

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