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■トッド・スティーブンス監督
とても良い映画。良い映画作家。
近い将来アカデミー賞作品賞の『Coda コーダ あいのうた』枠でノミネートくらいはされそうなポテンシャルを持った映画作家ですね。
ライトにも見れるし、セリフで語っていないことがものすごく多くて、実は情報量が豊か。
永遠に味のするガムのようにいつまででも噛んでいられる奥行きがある。
しかも軽やか。押し付けがましくない。うっとおしくない。
で、俳優の演技が全員素晴らしいでしょ。
で、さらに現状はB級感もある(かなり低予算映画らしい)。
コーダ枠に入って欲しいわけではないけどその力は絶対にあるし、すでにプロジェクト動いてるはずですよ。
そもそもウド・キア先生を主演に連れてこれる人ですから。相当。
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■「あまり感情表現をしなかった」
ウド・キア先生のインタビューによると
「あまり感情表現をしなかった」とのこと。
「このような物語や流れに起伏がある場合は演じる側が過剰に表現すべきではない」的な。
だからソファに座ってリタの孫から言葉を聞くときも、パットはノーリアクション。
でも観客は150%わかるわけよ。パットの気持ちが。それが映画よ。
ここで感傷的な音楽流したり涙流して抱き合ったりしねーのよ。
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■自分にもあったのか
年老いたゲイが「昔の業界は良かったわ。今の業界はつまんないわ」って愚痴を言う映画だったら、まさかこんなに褒めませんよ。
主役のパットにはヘアメイクドレッサーとして華やかな時代もあったけど、パートナーも90年代に失って世間から酷い差別も受けて、その辺のおじいさんと見分けがつかないルックスになってひっそりと暮らしている状態(友達もいなそう)。
楽しかった時代からすると相当な落差。
常に諦めて生きてきた結果の、冒頭のパットのシーンなんだと思いますよ。
そんなに寂しそうだったり辛そうなわけではない。
色々捨ててきた境地なんだろうなという暮らし。
でも、諦めていたものや寂しく感じることがあったわけよね。
それが、元親友の死化粧をするという道中(過程)で、自分達が死の恐怖を味わった時代を知らない若い世代が"のびのびゲイ"として暮らしている様子を見て、
「あぁ自分はそうじゃなかったけど、若い世代が希望を持って生きられる世の中になったことは悪い変化じゃないよな」と思ったわけよね。
で、「自分はそうじゃなかった」と諦めていたけど、パットは若い世代のゲイからある一言を言われたことで「自分にもあったのか」とハッと気づく、という。
ほ〜ら、良い映画じゃん!
ネタバレは以下に
色々語られてないことがある。いっぱいあるので書ききれないし、僕もわかってないとこ多いと思う。
まずパットの彼氏は90年代にHIVに感染しAIDS発症となり亡くなったらしい。
AIDSパニックの時代だし田舎町だったので酷い差別に遭ったのだろう、と。
おそらくその為にパットのヘアサロンは閉店。
親友だったリタも「怖くて」パットの彼氏の葬儀に出席できなかった。
葬儀に出席したらうつると思われていたのかも。
パットと交流があることがバレるとリタも差別に遭うと思ったのかも。
パットと交流があることがバレるとリタも差別に遭うと思ったのかも。
で、以降パットとリタは断絶したしパットは信頼していたのに裏切られた!と思ってリタの印象がどんどん悪くなっていった。
一方でリタはパットに対して罪悪感を持っていただろうし、気性の荒さ(リタの孫のダスティン曰く)もあったけどどうやらリタは地元では人望もある人物だった模様。
リタによる「死化粧はパットに」という遺書によって2人は再会(リタは幽霊として)。
幽霊リタが「あの時は怖かったの、ごめんなさい」と。
「まぁそうか、怖いわな。彼氏を失った自分を支えるどころか見捨てたリタをクソだと思ってたけど、自分も悲しみや怒りをリタにぶつけてただけだったな」とパットが思ったかどうかは知らんけど、パットはリタに死化粧をする。
で、リタの孫のダスティンのセリフ
「祖母にカミングアウトした時、祖母は"自分にはゲイの素晴らしい友人がいる"と話してくれた。あなた(パット)は僕を救ってくれた」
「祖母にカミングアウトした時、祖母は"自分にはゲイの素晴らしい友人がいる"と話してくれた。あなた(パット)は僕を救ってくれた」
パットが酒に酔って死んだ友人をハッテントイレから引きづり出してきたときに、
「目の前でゲイカップルと子供」の姿を2人で見た。
「目の前でゲイカップルと子供」の姿を2人で見た。
「良い変化だ」と言いつつも「でも自分は何も次に残せない」と呟いた。
これがパットが諦めたことであり諦めきれてなかったことなんでしょうね。
これがパットが諦めたことであり諦めきれてなかったことなんでしょうね。
でも違った。
実はパットの存在が知らないところで若者(ダスティン)を救っていた。
もっと言うと服屋の店主スーもパットに救われた1人。
実はパットの存在が知らないところで若者(ダスティン)を救っていた。
もっと言うと服屋の店主スーもパットに救われた1人。
自分はあたかも「点」のような存在だと思っていたけど、次の世代に影響を与えることができていたのか、と。
スワンソングとは「人が亡くなる直前に人生で最高の作品を残すこと、またその作品を表す言葉」とのこと。
パットにとってリタの死化粧もスワンソングだけど、
ダスティンという存在自体も実はパットにとっての作品の一つだったんだよね、と。
ダスティンという存在自体も実はパットにとっての作品の一つだったんだよね、と。
あ〜も〜ほら、いい映画!