深堀大三郎の生涯マナビスト

自然や街を歩いて観察するのが大好き、歩いて歩いて楽しみたい。
また、お城の石垣を眺めると力が湧いてくる。

「”ピカッ・どん”・・・医者も、医学も、何もかもがまったくの無力!」

2013-08-09 05:13:15 | Weblog
68年前の今日、長崎に原子爆弾が落とされた。

カンカン照りの日だった。

お袋と早朝からの畑仕事を済ませ、11時過ぎ、早めの昼食をとろうと「上がりがまち」に腰を下ろしたときであった。

目の前で閃光が、そして、ものすごい地響きが起こった。

この瞬間、長崎に原子爆弾が落とされたのである。

気がついたら、2人とも床下に頭だけ突っ込んでいた。

2人だけだったので、お互いに目と目を合わせ、無事を確認してホッとした。

親父は、変な雲を見たと驚いて、漁からまもなく帰ってきた。

その日の夕方から朝方が大変だった。

被災者達が、ボロボロの服装、やけど姿で夜道を歩いて逃げてきた。

爆心地に近いところは、われわれ田舎から働きに出ている者が多かったからである。

終戦までの期間、グラマンが毎日のように来襲してきた。

火傷で動けない先輩と、防空壕で過ごす日が続いた。

最高の薬は、メンソレタームだった。

それでも彼は、生き抜いた。

お袋は、十数年後、血が止まらないで座ったまま、発病後一年も経たずに亡くなった。

原因は、他人には誰にも言わなかったが、畑仕事中に黒い雨を見たことが原因だと思っている。

みな知るが良い。

放射能に対しては、医者も、医学も、何もかもが全く無力なんだということを!




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2 コメント

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深堀さん (hiroko)
2013-08-09 06:23:54
おはようございます、本当の怖さを知らない、話で聞いたことしかない者にとっては何と言えばいいのか言葉が見つかりません。

どうか今日と言う日を心安らかにお過ごし下さい。
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ひろこさんへ、ありがとうございました。 (深堀大三郎)
2013-08-09 07:56:39
原爆の悲惨さは、記録のとおりです。一発で、十数万の一般人が殺傷されたのですからね。でも、瞬間の破壊力だけでなく、放射能の影響は、当時何の知識もなく、奇妙な病気で次々と亡くなる人が出てきたことで恐怖心だけが増幅してゆきました。水、食料など、食べられるものは何でも食べ、どこでも飲みましたからね。放射能の恐怖は、今も昔も変わらないと思いますが・・・。
これから、ボランティアに出かけます。コメントありがとうございました。
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