68年前の今日、長崎に原子爆弾が落とされた。
カンカン照りの日だった。
お袋と早朝からの畑仕事を済ませ、11時過ぎ、早めの昼食をとろうと「上がりがまち」に腰を下ろしたときであった。
目の前で閃光が、そして、ものすごい地響きが起こった。
この瞬間、長崎に原子爆弾が落とされたのである。
気がついたら、2人とも床下に頭だけ突っ込んでいた。
2人だけだったので、お互いに目と目を合わせ、無事を確認してホッとした。
親父は、変な雲を見たと驚いて、漁からまもなく帰ってきた。
その日の夕方から朝方が大変だった。
被災者達が、ボロボロの服装、やけど姿で夜道を歩いて逃げてきた。
爆心地に近いところは、われわれ田舎から働きに出ている者が多かったからである。
終戦までの期間、グラマンが毎日のように来襲してきた。
火傷で動けない先輩と、防空壕で過ごす日が続いた。
最高の薬は、メンソレタームだった。
それでも彼は、生き抜いた。
お袋は、十数年後、血が止まらないで座ったまま、発病後一年も経たずに亡くなった。
原因は、他人には誰にも言わなかったが、畑仕事中に黒い雨を見たことが原因だと思っている。
みな知るが良い。
放射能に対しては、医者も、医学も、何もかもが全く無力なんだということを!
カンカン照りの日だった。
お袋と早朝からの畑仕事を済ませ、11時過ぎ、早めの昼食をとろうと「上がりがまち」に腰を下ろしたときであった。
目の前で閃光が、そして、ものすごい地響きが起こった。
この瞬間、長崎に原子爆弾が落とされたのである。
気がついたら、2人とも床下に頭だけ突っ込んでいた。
2人だけだったので、お互いに目と目を合わせ、無事を確認してホッとした。
親父は、変な雲を見たと驚いて、漁からまもなく帰ってきた。
その日の夕方から朝方が大変だった。
被災者達が、ボロボロの服装、やけど姿で夜道を歩いて逃げてきた。
爆心地に近いところは、われわれ田舎から働きに出ている者が多かったからである。
終戦までの期間、グラマンが毎日のように来襲してきた。
火傷で動けない先輩と、防空壕で過ごす日が続いた。
最高の薬は、メンソレタームだった。
それでも彼は、生き抜いた。
お袋は、十数年後、血が止まらないで座ったまま、発病後一年も経たずに亡くなった。
原因は、他人には誰にも言わなかったが、畑仕事中に黒い雨を見たことが原因だと思っている。
みな知るが良い。
放射能に対しては、医者も、医学も、何もかもが全く無力なんだということを!
どうか今日と言う日を心安らかにお過ごし下さい。
これから、ボランティアに出かけます。コメントありがとうございました。