深堀大三郎の生涯マナビスト

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「日経社説・”入試中止で体罰がなくなるか”は、何を言いたいのだろうか?」

2013-01-22 11:00:35 | Weblog
大阪市立の桜ノ宮高校、体育科とスポーツ健康科学科の入試が中止となった。
何が原因かと言うと、この科に属する生徒が、度重なる度を越えた体罰と称する暴力を受け、耐えられず自殺した。
この暴行的体罰は、この生徒だけでなく、体育科では、伝統的?に全種目的に行われていたというところまではっきりしている。
それに対して、橋下市長は、「体罰を生む体質を残したままで新たに生徒を受け入れるべきではない」と主張している。

社説は、「体罰問題を新規の生徒募集停止に結びつけるのは筋が違う」と言う。
何故なの。
体罰を生む体質を残したまま、生徒を受け入れることが最良とでも聞こえるが、それでも社説は良いというのだろうか。
もし、第二の犠牲者(多分、現状のままでは出るであろうと考える)が出たということになると、どういうのであろうか。
「原因がわかっていながら、どうして受け入れたのだ」と、社説は書くだろう。

社説は、その他、色々な教育関係(学校、教育委員会)の問題点を指摘しながらも、その対処方法は論ぜず、「命の大切さ」はもとより、「体罰と言う外からの力を借りず、自発的なやる気」をどうしたら出せるようにするか、から完全に逃げているように感じる。
そして、社説こそ筋違いな、橋下市長への不満へと摩り替えているように思えて成らない。
問題は、学校側、教育委員会にあるのではないだろうか。
「けじめの第一歩」をつけよと主張したのは、橋下市長だったはすである。
「人事権等は教育委員会にあり」と喧嘩を売り、何もぎりぎりまで動かなかったのは、教育委員会じゃなかったのか。

まだまだ問題はある。
体育部の生徒に、暴力教師をあがめるような行動を起こさせたり、「可哀そう」の言葉をかけさせたり、一部の保護者らの関係者に迎合するかに思えるマスコミの態度こそ、筋違いのように思えて成らない。
一流紙の社説は、社説らしく、一般読者を納得させるような筋の通った社説を書いてほしい。









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