深堀大三郎の生涯マナビスト

自然や街を歩いて観察するのが大好き、歩いて歩いて楽しみたい。
また、お城の石垣を眺めると力が湧いてくる。

「何時、沖縄の人は伊江島、下地島に変わったのだろうか」

2009-12-30 13:02:04 | Weblog
「伊江島か下地島で」 普天間移設先 小沢氏が意向(産経新聞) - goo ニュース
普天間の移転先が何時、伊江島か下地島でよいに変わったのだろうか。たしか、沖縄は反対していたように思うが・・・簡単に、勝手に一部の権力者が言っているように思うが、沖縄県民の意思を汲んでの話だろうか?疑問に思うし不思議な気がする。小沢さんは、自分の出身地に迎えるよう宣言するなら説得力がある。


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2 コメント

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びっくりしました。 (癒しの島の住人)
2009-12-31 20:47:07
朝のニュース報道を見てびっくりしました。

情けないですが地元の役所のホームページに掲載されてます。

宮古島市伊良部支所 水産観光課

1979年開港。国内で唯一パイロットの飛行訓練の為の飛行場です。羽田空港のメイン滑走路とほぼ同じ3000mの滑走路を持ち、毎日多くのジェット機が離着陸を繰り返している。練習機は南東、宮古島方向に離陸した後、大きく旋回して、北西方向の海側から着陸する。この北西の海側には飛行場を取り巻くように道路が走っているので、このポイントで見学すると数十m上空を、爆音とともに降下してくるジェット機をたて続けに見ることができる。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%9C%B0%E5%B3%B6%E7%A9%BA%E6%B8%AF

申し訳ありません・・
あまりにもこの問題の重大さを地元はわかってないようにおもったので、この場を借りて
お話をさせてください。

現在、宮古島本島と伊良部島をつなぐ橋が建設中です。主人が申すには、他の二つの橋(来間大橋と池間大橋)には歩道があるのに、伊良部大橋にはないとの現場さいどの話があります。そして地下ダムも建設されるとのこと・・農業用と申しておりますが・・

色々な疑問がありました。小沢さんの発言がすべての答えを明らかにしてくれたきがします。

美しい癒しの島・・・そこに基地がやってくる・・ストーリーは明らか・・

72年の本土復帰がすべての原点。
シナリオはあらかじめ準備されていたのでしょうか。
ただの一介の主婦ですが、ここで生まれ育ちこの自然の変遷を肌で感じてきました。
自然のまま・ありのままに残っていてほしいと思うのはいけないことでしょうか。

最近の島の様子に憂いを感じてます。
触れてはいけない領域に踏み込み始めた・・
これも歴史の流れだというならば、だれが歴史を動かしてるのでしょうか・・

マナビストさん・・どうしたらよいでしょうか?おしえてください。

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いろいろ教えていただき感謝! (マナビスト)
2010-01-02 08:40:21
コメントありがとうございました。遅くなり申し訳ありません。戦前、戦中、戦後と生きてきた後期高齢者として思うことは、まだ、真の平和で無いということです。数年前10日間ほど沖縄で仕事させていただきましたが、どこへ行っても基地以外は美しい景色でした。なんとか僕としては残して欲しいと願うのみです。そのためには、唯一沖縄県民の真の叫びを発信し続けることではないでしょうか。
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