藤野から世界へ

神奈川県の北端、藤野町に住み始めた夫婦が山里の暮らしの中で感じたり、考えたりしたことをつれづれに綴ります。

ラダックその1 空路でレーへ

2010-09-24 12:06:00 | 海外
 9月19日、北インドはラダックへの旅から帰ってきた。インドを旅行するのは10年振り、とは言っても、今回旅してきたラダックは、地形的にいうとインドの一番北にあるジャンムー&カシミール州に属し、東西に細長い形をしていて、南側をヒマラヤ山脈(の端の方)、北側をカラコルム山脈(K2があることで有名)に挟まれている。
 陸路で行くとなると、ヒマーチャル・プラデーシュ州のマナリからラダックの中心地レーまでは1泊2日のバスで5000m前後の峠を3つも越えなければならない。もう少し若ければなんていう台詞は吐きたくないのだが、期間も短いことから、デリーから空路でレーへ飛んだ。僅か1時間のフライトである。

 9月5日にエア・インディアで成田空港を発ち、同日夕刻にインディラ・ガンジー国際空港に着。10年前の記憶を辿ると、深夜未明に着、照明は薄暗く、空港の外へ出ると怪しげな客引きがわんさかと押し寄せてきて、バスを尋ねると全然違う車に乗せられそうになったり、何故か空港内に野良犬がいたり、ついて早々大変な思いをしたので、警戒していたのだが。





 いきなり拍子抜けである。このオシャレなインド現代アートの数々は一体? 到着ロビーに全面絨毯が敷き詰めてあるのには驚いた。最近、空港を全面的に建て替えたようで、現在も工事は続いている。当然、怪しげな客引きは一掃。

 空港近くのホテルに投宿して、翌朝は3時起きで国内線ターミナルへ。



 国内線は初めて使ったのだが、これも曼荼羅をデザイン化したような長い垂れ幕がそこここにかかっているオシャレな空港。ジェットエアウェイズでレーへ。
 ラダックが近づくと、この地球の皺のような見事な地形が眼下に広がる。人間が住めるのは、氷河や雪が溶けて川となる所にできた僅かな扇状地に過ぎない。





 レーは、かつてここにあったラダック王国の首都、現在もラダック地方の中心である。人口は、約25000人で、ラダック全体の15%を占めている。この時期の気温は、昼間は20度を超えるが、夜は10度以下となる。高度は3500m前後で、富士山で高所順応を試みたものの、到着した初日は少し歩くと息が切れたり、また猛烈に眠くなったりした。

 街は、観光業が主体なのだが、今年の8月上旬に発生したインダス川流域の大洪水の爪痕もまだ生々しく、今シーズンの観光客は激減してしまったようだ。この洪水の原因は、この地域の温暖化で氷河が溶けた量が例年より多かったためとされているらしい。

 これがレーにある王宮。チベットのラサにあるポタラ宮は、この王宮をモデルにしたとのこと。



 街は観光客相手の店であふれかえっている。



 所々、「free tibet」とか「tibetan refuge(難民)」との横断幕が掲げられたチベット難民の人達がやっているらしい市場がある。品揃えを見てみると、やはり仏像やシンギングボール、法具などが多い。店をやっている人は様々で、みんながみんなチベットからの難民というわけではないし、かなり商売っ気が強い人もいた。まぁ、よく値段の駆け引きをしながら買い物を楽しんだ。



 これが一番の大通り、メインバザールで、五色の旗タルチョがはためいている。タルチョの向こうにちょこっと見える白い建物はモスク。ラダックでは、チベット密教が多数派だが、ラダック全体ではイスラム教徒も15%程度いて、レーではその比率は高い。



 ラダックの観光は、ゴンパ(密教寺院)巡りやトレッキングが主なものとなる。今回、トレッキングは日程の都合、そして予想以上に高所が厳しかったので断念した。体は慣れるには慣れるのだが、連れ合いは階段などちょっとした登りでも息が切れていたようでしんどそうだった。そこで、旅の前半はゴンパ巡りとなった。
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