明宝ハムってご存知ですか?
私はこれまで聞いたこともありませんでした。紹介して下さったのは、中部地方在住のmiyakoさんです(miyakoさんありがとうございます~)。
見た目はね、親しみやすいというか、庶民的というか、地味なんです。
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まるで魚肉ソーセージを思わせるようなシールに包まれています。 でも中身はプレスハムです。
カットしてみると・・・ |
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こんな感じ。 おや!?塊肉がゴロゴロしているのでは?
(外見から擂り身状のソーセージを想像していたのですが、そういえばプレスハムですものね) |
そして食べてみると、ですね。
なんだかとっても美味しい!!
ハムって、スーパーのをたま~に買うくらいで、あまり食べなかったのです。というのもごく少量の割には高いし、食べてみるとなんだか蒲鉾のような甘い味がするし。
買うたびになんだかがっかりするので、最近はもうハムコーナーにあまり足を運ばないくらいでした。
専門店のものは違うのかもしれませんが、更に更に高価で、よっぽどの機会でもないと買えないです。
このハムは、しっかりお肉の旨みがあって、妙な甘さがありません。どちらかというと塩分がしっかり効いています。
もうちょっと食べたいなー、と思わせる、素朴な味なのです。
ダンナサマも大変気に入って、ハムエッグにしたり、ポテトサラダに入れたり、そのまま焼いてハムステーキにしたりして堪能しました。
(見かけの割に)おぬしやるな!
感銘を受けて、調べてみると、こだわりと歴史と、そして物語のある会社なのでした。
ハム作りに際しては、主に次のようなポリシーがあるそうです。
・国産豚モモ肉の生のみを使用
・保存料・着色料・酸化防止剤、増量剤は一切使用せず、微量の亜硝酸Naとリン酸塩を使っているだけ
・お肉は手作業で丁寧にきれいにして、脂やスジを取り除く
こういった良心的な作り方は、味に反映しているな、と実感しました。
1本が終わりに近づくと、寂しいなー、もっと食べたいな~、と思わせる何かがあるのです。
そう、頂いたものを食べ終わってしまって、寂しいなーと思っていたところ、近所に出来たコーヒー&食材屋さんでこの明宝ハムを発見!
やった!
小躍りしてしまいました。
更に嬉しいことに、先日行ってみたら賞味期限間近ということで、セール価格になっています。思わず2本も買ってしまいました・・・。
そして歴史と物語。
ハム作りのルーツは、昭和28(1953)年ということですから50年以上も歴史があるなんて驚きです。
いわゆる「昔ながらの」という形容詞から想像するのは、外側が赤く着色してあって、中はでお肉の比率が低そうな擂り身状、味は甘くてかまぼこのようなハムですが、こちらの明宝ハムは、昔から、こんなにしっかりしたハムを作っていたなんて。
(生産量を少なく抑えていたため、幻のハムと呼ばれたこともあったとか。)
(あの赤いハムのイメージは、一体どこから来るんだろうか・・・。)
明方村(現郡上市)に大きな工場をつくるにあたっては、なんだかオトナの事情もあったようですが、でも今でもこうやって美味しいハムを我々が頂ける訳だし、まあいいですよね。
明宝ハムの歴史をかいつまんでご紹介しますね。
なかなか波瀾万丈。
■明宝ハムのこれまで
(
http://www.meihoham.co.jp/comu/about.htmlを参考にしました)
[ ]内は、Fujikaによる追記です。
○昭和28(1953)年、岐阜県郡上郡(ぐじょうぐん)奥名方村(おくみょうがたむら)の農協(奥明方農協)で「明方ハム」製造開始。
畜産振興と食生活改善のために動物性タンパク質をというねらいで「新農村建設国庫補助事業」として始められた。
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○売り上げ不振のため、[比較的安価な]プレスハムに的を絞る。
生産量は年間3万6千本程度。
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○昭和45(1970)年、奥明方村が明方村に改称。
[奥明方農協も明方農協と改称されたものと思われます]
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○昭和48(1973)年、明方農協は郡上農協に合併し郡上農協明方支店としてスタート。
郡上農協内では明方ハムの生産は農協経営上赤字部門だが、名方村関係者は郡上農協に対して生産継続を要望。
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○昭和55(1980)年、名方ハムについてNHKテレビ「明るい農村」で<農民ハム18万本>のタイトルで全国放映。この放映を契機として、明方ハムは次第に名声を高める。
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○高度成長経済と自然食ブームを背景に、昭和55年に10万本、昭和58年19万本、昭和62年には約38万本と著しい成長を遂げる。
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○昭和58(1983)年、優れた営農集団に贈られる県朝日農業賞を受賞。お中元時期と年末は、郡内からの贈答品として特に売り上げが上がる。
このころ販路は60%が隣接の八幡町、村内が20%、20%が郡外。県内はもちろん県外でも”おいしいハム”としてひっぱりだこになる。
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○昭和61(1986)年、工場の経営について、郡上農協と村の意見が対立。
明方村は、村おこしのためにも村内の現工場の場所で、補助事業(公社営畜産基地建設事業)の予算で工場を拡張することを提案し事業採択の見通しもついたが、農協は補助事業は断り隣接の八幡町への工場移転を決定。
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○明方村は、郡上農協とは決別し、村主導で会社を作ることを計画。
[このとき決裂した農協側もハム加工場を作りました。現在JAめぐみのが経営する「めぐみの農業共同組合食肉加工事業所」がそれで、ブランド名は「明方ハム」(みょうがたハム)です。なかなかドロドロした確執があったようで・・・。詳しくはWikipediaの「明宝ハム」「明方ハム」をどうぞ。]
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○昭和63(1988)年1月、第3セクターハム製造販売会社『明方特産物加工株式会社』を設立。
村内の7つの各地区の消費組合・商工会・森林組合・畜産組合・村が出資をし、村民総参加ともいえる会社である。
商品名は、昭和28年以来の手作りの伝統をそのまま生かしまた大勢に愛されてきた『明方の宝』という願いを託して『明宝ハム』に。
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○平成元(1989)年、村おこしのため、やはり第3セクター方式の『めいほうスキー場』ができ、『明宝』の知名度が上がる。
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○平成4(1992)年4月村名を『明宝村』(めいほうむら)に改名。
名前の統一による村おこしを狙って自治体のCIを展開したことになる。
[会社の名称も、『明宝特産物加工株式会社』になる]
[村名を産業側に合わせるなんてびっくり!なおWikipediaの「明方村」によると明方村(みょうがたむら)から明宝村(めいほうむら)への改称は村を二分する騒動だったそうです。]
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○明宝特産物加工株式会社が出来たことにより村の産業の育成、雇用の確保ができ過疎化への歯止めにもなっている。
販売先は8割が県内、2割が県外になっており着実に業績を伸ばしている。
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○平成16(2004)年、明宝村を含め周辺の3町4村が合併して郡上市になる。
■参考情報
明宝ハムホームページ