ベトナムの子どもたちに奨学金を――FUJI教育基金

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[ツーズー病院訪問] (2007年10月9日)

2007-12-18 | ドクさん

 ツーズー病院はベトナム一の規模の産科専門病院で、日本にもこのような大きな病院はない。ベトちゃんドクちゃんがそこで分離手術を受け、25歳の今日まで(ドク君は結婚して最近独立し、ベト君は先日亡くなった)暮らしてきた。
(ドクさん夫妻)
 私は2年前、初めてドク君に会い、彼の片足を支えている骨盤の小さいこと、手術当時すでに意識のなかったベト君に残り半分を与えたこと、そして今日まで看護をしてこられたツーズー病院の姿勢に深く感動し、尊敬してきた。旅行者には簡単に訪れることのできない病院である。今回、静脈点滴の器械をおみやげに持参した。
 前副院長のタン先生、平和村のチュン先生、ドク君、あとから院長のタン先生も来てくださり、立派なザボン(唐辛子と塩をつけて食べる)をいただきながら説明をうかがった。また、私達の質問にもこたえていただいた。

 なお、平和村は親に捨てられた障害を持つ子どもを育てるために、ドイツのNGOによって建てられ、このツーズー病院内を含めて、全国に4箇所ある。
 医師281人、看護士800人以上、スタッフ1,800人で、ベッド数1,100、患者2,000人、お産は年間4万5,000人。ベトナムには産科の病院が少ないため、患者が集中しているという。日本のように分娩促進剤を使ったり、帝王切開等はせずに、結合児も逆位も普通分娩で産ませる、障害児の割合は約1.5%で、このなかには耳の聴こえない子などは含まれていない。この数字は日本の10倍である。その他、スタッフの仕事のやりかたの違いが、いろいろわかった。
 午後も遅くなったので、平和村の4階だけ案内していただいた。
現在、ツーズー病院の平和村には60人が収容されている。うち35人は学校に行くことができるが、25人は障害が重く、一生面倒を見ることになるという、チュン先生の説明であった。現在はドイツの援助はなく、病院が費用を出しているという。
まず通された一室には、四方の壁全体に3段の棚が設えてあり、異常胎児の標本が保存されていた。ラベルを見ると、戦争終結直後の標本とみられるものから、最近のものまであった。
 子供たちの部屋に行く階段の壁には、子供たちの写真が掲げられている。
ベッドには、重度の障害を持つ小さい子供たちが横になっている。彼らは、思わず抱き締めてしまいそうな美しい目をし、我々の来訪を喜んで声をあげてくれた。子供たちは大変弱いので、空港から直行した我々がどんな病気の原因を持ってきているかもしれないと、早々においとました。(宮本記)



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