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ベトナム奥地の学校-2 (長谷川義春)

2012-04-30 | ベトナム奥地・中部高原地帯の中学校

長谷川義春さんから、ベトナム奥地の学校の様子について、詳しいレポートを教えていただきました。5回に分けて掲載します。『トゥオイ チェ新聞』の翻訳(長谷川さんによる)と、長谷川さんのコメントです。


[2]   トゥオイ チェ新聞2009年9月17日

"学校"を求めて広大な原生林を歩く

 広大なプーマット国有林の中に、ベトナムの学校教育の中でもおそらくは最も困難な奥地の学校、モンソン第3小学校(ゲアン省(*訳注1)コンクオン郡モンソン村)がある。

モンソン村の中心地から分校まで、先生は山道をよじ登り川を徒歩(かち)渡って、藪を押し分け、非常に危険な行程を一日がかりで歩かなければならない。ケーブン集落、ケーコン集落そしてコーファット集落の全部を合わせた地域で、1台の自転車もない。この地域の子供たちは、日々、自分の足で森を越え、川を徒歩(かち)渡って学校に通う。

2009年の新学年(*訳注:9月)にあたって、小学校は卒業生(*訳注:ベトナムの小学校は5年制)に対し「村の中心地にある中学校に進学するよう」辛抱強く働きかけた。しかし、困難な経済状況の中で、子供たちの多くが進学を果たせなかった。ある卒業生の一人は無邪気に、自慢した。

「ボクはもう、学校を全部終わりまで勉強したんだよ。」

グエン ダン コア

*訳注1:《①山岳地帯の通学》の*訳注1を参照してください。

                                                                  

 タブロイド版『トゥオイ チェ新聞』2009年9月17日付記事のいちばん上にある大きな写真の説明文には、「3人の子供を学校に連れて行くダンライ族の母親」と説明文が添えてあります。おそらく、川はかなりの急流なのでしょう。先頭を行く大きな子は、荷物を竿に通して母親と2人で分け持ち、転ばないように腰を落として一歩ずつ川底を探りながら慎重に歩を運んでいます。母親は、いちばん小さな子を背負って、右手で荷物の竿をつかみ、左手で2番目の子が水に流されないように手をつないでいます。水深は、母親の膝を超える深さまであります。母親に右手を取ってもらっている2番目の子は、水に濡らさないよう服を大きくたくし上げ(たぶん、貴重品であるズボンは脱いでいて、パンツは はいていません)腰まで水に浸かりながら、両足を大きく踏んばって一生懸命に歩いています。先頭を行く大きな子が頭から提げている布は袋状になっていて、たぶん、学用品とかサンダル(もし履いて通学しているとすれば、川を渡っている今は脱いでいるでしょう。サンダルを履かずに通学している子も珍しくない)とかが入っているのでしょう。写真の画面からは、川を渡る子供たちの緊張感が伝わってきます。それだけ、この川を渡るのは危険を伴うのでしょう。その川の流れも、毎日同じではありません。雨が降った後は当然水かさが増え、流れもさらに激しくなり、危険性も増大します。

 そして、母親の負担の大きさも、想像するに余りあるものがあります。早朝、恐らくまだ暗いうちに起きて3人の子供たちに食事を取らせて身支度を整えさせ、親子4人で何時間も山道をのぼり下りして川を渡り森を抜け、始業時刻前に学校に着かなければなりません。帰路も当然同じ道ですから、母親が付き添うのでしょう。とすれば、母親は毎日同じ道を2回ずつ往復することになります。その時間的・体力的負担は半端なものではないと、私は思います。そして、一家の、農家の主婦である以上、家の仕事もこなさなければなりません…。

 さらに4枚、小さな写真が掲載されています。そのうちの1枚の写真には、「校門前で歓迎してくれる小さな友人たち」と説明書きがあります。たぶん、記者が携帯電話で校長先生に「もうすぐ学校につく」と連絡を取り(奥地の学校でも、簡便な連絡手段として校長先生は必ず携帯電話を持っているようです。たぶん“行政”の指導によって。電波が届かない地域もあるようですが、この地域はたぶん届くのでしょう)、先生から連絡を受けた子供たちが珍客を歓迎しようと校門の前で記者を待ち受けていたのでしょう。

 もう1枚の写真には、「学校に通う子供の足元」と説明書きがあります。サンダルは大人用で、小さな子供の足にはブカブカで歩きにくそうですね。そしてよく見ると、右足の鼻緒に当たる部分が切れかけていますね。たぶん、この子はふだん裸足で通学していて、親か誰か大人が履いていたサンダルが切れかけてきたので新しく買い替え、不要になったものを「とりあえず拝借」したのだろうと思います。足元に石ころがゴロゴロしているところを見ると、たぶん場所は川原で、ここを裸足で歩くのは石がゴツゴツしているので足の裏が痛いし危ない。こんな大きな切れかけたサンダルでも、履いたほうがラクに歩ける、ということなのでしょう。

 次の写真には「ダンライ少数民族の生徒の微笑」とあります。民族によって顔の雰囲気や目の色に多少の違いはあっても、子供の笑顔にさほどの違いはないと思います。

 さいごの写真には「滝のような急流を小舟で学校へ」と説明書きが添えてあります。ちょっと見るとレクリェーションのようで楽しそうですが、実は、けっこう危険なのです。何年か前に、私はトゥオイ チェ新聞で次のような記事を読みました。

 《十数人の通学生を乗せた小舟が急流に呑まれて転覆し、乗っていた子供たち全員が溺れ死んで、年老いた船頭1人がやっと浅瀬まで泳ぎ着いて助かった。助かった船頭が“自分はもう長い間、渡しの船頭をやってきたが、こんな事故を起こしたことはない。しかし自分ももう歳で、体力もなくなって、舟を転覆させ1人の子供も助けられなかった。もう怖いので、渡しの船頭はできない…”と、泣きながら記者に語った。地元の人たちや学童たちは、川を渡ることができなくなって困っている…。》

 そしてその何ヵ月後かに、私は、その記事を読んで心を痛めた多くの読者が新聞社に基金を寄せ、その基金などを元にその川に橋が架けられた…という続報を読みました。