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介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

もうすぐ退院?

2011-12-11 12:49:16 | 日記
土曜日に父のところと母のところへ行ってきました。

午前5時00分
 後述する理由で、「やっと帰れる!」と思える状態に到達。
 始発の電車が5時08分だから「間に合う」と、セキュリティを掛けようとしたら、事務室の電気を消し忘れていた。
午前5時20分
 再度の施錠確認を行い、会社の最寄り駅へ
午前7時00分
 無事帰宅。
 雨戸を明け、猫たちに餌を与え、洗濯機を回して、風呂掃除などを終らせた後、テレビのスイッチを入れたら、東京MXテレビ「ミンキーモモ」(「空モモ」と呼ばれる初代モモ。しかし、何10年前だよ!)が映ったので、朝ごはんも食べずに見ていた。
午前8時00分ごろ
 洗濯機が止まったので、久しぶりに屋外に洗濯物を干す。
 やはり、洗濯物を外に干せるというのは、部屋干しをしなければならない状態よりも気持ちがいい。
 洗濯物を干し終わると、昼寝用布団に横になってテレビを見る。窓を開けた隙に入ってきていた猫4匹が寄って来たが、面倒だからそのままにして猫の体温で温まっていた。
午後9時00分ごろ
 金曜日にガス屋さんが来たのだが不在だった為に、今日集金に来た。
 生活費を入れている場所には「新聞代+小銭」しか入っていなかったので、約7千円を私の財布から支払う。
午前9時40分ごろ
 横になってテレビを見ていたらウトウトとしてしまい、何度か少し離れた所にある目覚時計を確認したが、何度目からからは9時30分から殆ど進んでいないので、寝不足の頭でも『おかしい』と気付き、飛び起きて目覚時計を良く見ると9時40分(長針が見えておらず、何かの影を長針だと思っていたようです)
午前10時00分
 父が入所している施設に到着。
 母のことで職員に呼び止められるかと思っていたら、何も無かったので2階へ。
 ロビーにも食堂にも居ないので部屋へ行ってみると、父が横になっております。
 声を掛けると返事があったのですが、話してくる内容が支離滅裂で意味不明[シモの話なので、割愛します]。
 同室の方が戻ってきたので、『用がなければ帰るよ』と言うと、帰ってもいいと言う事で、10時15分に施設を後にして、帰宅の徒へ。
午前10時20分
 帰宅。
 リュックサックを押入れから出して、母のところへ行く準備を開始。
  ・従兄に連帯保証人欄を書いてもらった入院の書類
  ・先週、母に頼まれたタオル3枚
  ・先週持ち帰ったバスタオル1枚[当然に洗濯済み]
午後0時20分ごろ
 先週不在で受取れなかったから『本日の12時~14時』で再配達手続きしていた郵便小包が届く。これでやっと出かけることが出来る。
午後0時40分
 母の入院している病院へ向かって出発。
午後1時15分
 病院に到着。
 入館手続きを済ませて病室に上がると、先週は母1人だけだった病室は、満員(4人)状態。
 母に持ってきたタオルとバスタオルを見せると、全部いらないといわれてしまった。
 どうも枚数を勘違いしており、予備が未だあると思っていたことが判明。無事、タオルとバスタオルはベッド横の棚へ収まる。代わりに、使用済みのタオルとバスタオルをリュクサックの中へ。
 入院の手続き[1週間も後れてしまった]をする為に、病室を出ようとすると、ジュースか炭酸が飲みたいというので、病室に戻る途中で炭酸飲料を購入。
 病室に戻り、カーテンを閉めて、炭酸飲料を母に手渡す。母が炭酸飲料を呑み終わるのを待って、今朝の父の様子と、ガス代7千円のことを話す。母から「昨日の検査結果がよければ、火曜日に退院だから迎えに来てね」と言われたが、火曜日は何が何でも無理なので、退院が本決まりになったら別の人間に連絡して退院するしか無い事を納得させる。
 看護士が検温に来たので帰ることにしたら再び退院日の事を話し出す。多分、看護士に状況を認識させる為だと思ったので、『平日は会社の重要な鍵を幾つも所持して開錠・施錠しているから、それなりの代替者に鍵を渡しておかないと来れない。どう考えても・・・遅くとも3日前の昼までに退院日が確定した連絡がないと、代替者が見つからないので、火曜日の退院を月曜日に連絡が来ても、休めない』と返事をすると、看護士が手板に挟んでいた紙にメモをして「火曜日の難しいようですね」と言ってくれた。
午後5時ごろ
 チョット寄り道していたので遅くなったけれど帰宅。
 猫に餌をあげ、風呂がまに火を入れる。
午後6時ごろ
 油の量を間違えてベトベトなってしまったマーボ豆腐をおかずに夕食を食べていると、新聞屋が集金に来る。
 風呂に入った後、午前と同じく昼寝布団で横になりながらテレビを見ていたら、寝てしまった。気付いたら午後9時を過ぎていたので、自室に戻り就寝。


しかし、先々週、先週は辛かったです。
オリンパスや大王製紙が起こした不祥事の影響で、親会社(左記の会社とは無関係)の監査法人から連結対象子会社に対して臨時の会計監査及び内部統制体制のシステムチェックが今月実施と決定。
納期が書類到着の翌日とか当日になっている事前調査資料が、社長からメール転送でドンドン降って来て、殆ど家に帰るのが終バス。どうしても間に合わないので金曜日(12/9)は泊り込みで仕事を片付けて、近くのホテルに泊まろうと思っていたら・・・取敢えず予定していた仕事が終ったのは土曜日の午前5時。
今日も、朝6時に家を出て・・・只今、休憩をしているけれど・・・残りの仕事を片づけ中。最悪のケースを考えて、私服では来なかったけれど、やはり家には帰りたいよ~

昨日は市役所から

2011-12-07 08:03:45 | 日記
ケアマネージャーが介護認定の更新申請手続きをしてくださる事になったと言う事は前回書きましたが、その申請を受けて、市役所の介護担当部署から勤務先に電話が入りました。

ケアマネージャーは、私が立ち会った方が良いだろうと言う事で「土・日を希望」と書いてくださりましたが、市の職員が病棟の看護士に確認した所、病院としては『本人は受け答え可能なので面会に支障は無い。』との回答があったために、わたし抜きで当人との面接(ボケの有無等の対面調査)をする事になりました。
市の職員から「入院すると、ボケが進行する方が居りますが、どんな感じですか」と問われた際に、『ボケは進んでいないように感じます』なんて、まともに返事するのではなかったと、電話を切った後で後悔致しました。

ケアマネージャーから

2011-12-05 20:51:23 | 日記
夕方近くに、勤め先に母を担当しているケアマネージャーから電話が入りました。
何事かと思って電話に出ると、母の介護認定の更新手続きについての打ち合わせ。そういえば、木曜日の午後に病院へ行った際に、母は「市の認定職員が認定に来るから、病室で会うのがいいわね」と行っておりました。

これまでは、母が「ケアマネージャー任せ」で介護認定の更新をやっておりましたので、私も同じく「ケアマネージャ任せ」の気持ちで応対しましたが、私の状況を理解した問い掛けをしてくれて、助かりました。適当な方だったら、市の認定職員と会う日が平日の日中(自宅か病院)になってしまったでしょう。四角四面な方だったら、手続きの代行はやっていただけたとしても、書類の入手や記入は当人又は家族に行わせるようです。
本当に良い方が母のケアマネージャーになってくれて感謝です[父が現在の特養に入所できたのも、施設内でこの方が強くプッシュし続けてくれたお陰と聞いております]。

母入院(続報) ほか

2011-12-05 08:02:41 | 日記
12/1(木)
 未明に救急車で運ばれた母を残して会社に向かう。
 8時に会社の鍵を開けると、やや暫くして、社員の1名が出社。当日の行動予定を訪ねると『外出予定無し』と言う事なので、事情を説明して、私が預っている会社の鍵一式を渡し、施錠の手順を説明。
 午前中は月初の諸々の仕事があるので、昼に退社。
 午後1時30分頃に自宅に戻る。洗濯物も残っていたので洗濯機にぶち込み、その間に、途中で購入したパンで遅い朝食兼軽昼食。洗濯機が終らないので軽く風呂掃除を行い、風呂桶に水を張っている間に、母の着替え等を準備。
 洗濯機は未だ終らないし、入院の準備も完全には用意できなかったけれど、バスの関係で出かけるのに丁度良いと考えた午後2時チョット前、会社から支給された携帯電話が何箇月かぶりに鳴る。携帯に出て話し始めたらバッテリー切れ。仕方なく、自宅の黒電話から会社へコール。どちらが勘違いしていたのかどうでも良いが、私は明日会う予定にしていたドコモショップの社員が来たとの事。
 予定したバスに乗り遅れたので、次のバスが来るまでの30分間に洗濯機も停まるだろうと考えて自宅で待っていると、父の実家に住んでいる従兄に見つかってしまい、今朝の状況を説明。
 明け方の緊急通報に対する確認の電話が入ったので、入院した旨を伝えると、母が退院したらその旨を機械を使って知らせる様に指示。
 洗濯物を手早く(気持ち、しわを伸ばして)干して、イザ病院へ。
 午後3時40分頃に病院到着。外来用の入り口が開いていたので、見舞い人の手続きを省いて院内へ。最寄のエレベーターが上がったせいで、病棟を間違えたのはご愛嬌。
 点滴(多分、抗生物質)と尿カテーテル状態の母は、素人目にも半日で大分良くなっており、会話も出来た。3日の日にやってほしい事を幾つか頼まれる。

1日空けて、12/3(土) 
 午前9時00分 デーサービス会社に母が入院した旨を連絡。
 午前9時10分 1日に「大根と柿を馴染の薬局に渡して欲しい」と頼まれていたので、リュックサックに詰め込んで、土砂降りの中、先ずは父の入っている介護施設へ。
 午前9時25分 施設に到着。事前に父のことで呼ばれていたため、先ずは職員との話し合い。母を担当しているケアマネージャーも同席。父は施設が提携している病院で見てもらうことに変更。積極的治療は行わない事を改めて確認。
 午前9時45分 2階に上がり、食堂に居た父に母が入院した事を「年1回の心臓病の定期検査」と言い換えて、それと無く話す。目の前のコーヒーを飲んでいないので、先程職員から「お父さんはこのごろ薬も飲むのを嫌がっている」といわれた事もあり、『水分を取らないと、病院で大嫌いな注射を余計に打たれるよ』と脅したが、暖簾に腕押しで、ヘラヘラ笑っているだけ。
 父と話していると、私が久しぶりに赤紺色のリュックサックを背負っていた為か、父が別の施設に入所していた時に私の姿を何度か見ていたと言う女性入所者が声を掛けてくる。入所者のグチは大抵決まっており「あんたは偉いね~毎週来て。うちの家族は来てくれないのよ」とか「もう帰るの?もっといなさいよ」のどちらか。今回は前者だった。
 9時55分頃に施設を後にして、薬局へ。大根と柿を渡したら直ぐに帰るつもりだったが、医師から言われた病名について知りたかったので母が入院した事と言ってしまった為に、1時間半も雑談。
 帰宅後、1日の日の夜に炊いたご飯の残りを炒めて、昼食。汚れ物は水を張った洗い桶にぶち込んでおく(食器用洗剤をチョット垂らして)。
 午後3時00分頃 1日に頼まれた不足品(目覚し時計、くし、ブラシ、スリッパ[取敢えず3足])と、薬局がお見舞い品としてくれた「吸い飲み」や化粧品サンプルをリュックサックに詰め、最近になって買ったPSPを片手に母のところへ出発。
 午後3時40分頃 病院に到着。こんどは外来用の出入り口が閉まっていたので、チャンと入館手続き。母が入っている病棟に上がると、1日に入っていた病室には母のプレートがないので、順番にネームプレートを確認していくと、3部屋奥へ移動していた。母は病室に居なかったので、リュックの中のモノを出した後、ベッドに腰掛けて持参したPSPで時間を潰していると、バスタオルを取りに来た看護士(?)が「お母さんは今洗髪中ですよ」と教えてくれた。
 程なくして母が戻ってきたので、持参した物を確認させ、施設での話を伝える。
 午後4時30分頃に病院を後にして、午後5時過ぎに帰宅。風呂がまに火を入れて、その間に途中で買ったパンで夕食を済ます。
 
12/4(日)
 父の実家に住んでいる従兄に、入院の連帯保証人になってもらうべく、依頼しに向かう。以前登場した向かいに住む小父さんと庭先で話していたので、用件と母の状況を話して、書類の記入を依頼。
 夕方に記入した書類を我が家に持参してくれた。
 

母 緊急入院

2011-12-01 11:44:24 | 日記
食が細くなり、足もむくんでいた母ですが、昨日の明け方に緊急入院となりました。
病院から渡された書類に書かれていた病名は、次の3つ
 「蜂窩織炎」(http://health.goo.ne.jp/medical/search/10OC1000.html)
 「心不全」
 「腎不全」

以下、ドタバタの経緯
○12月1日
午前1時30分頃
 母が、離れに住んでいる私を起こすために壁を箒の柄でたたいたので、急いで庭に出てみると・・・箒をさかさまに持って廊下に立っている母が『病院へ行くから、連れて行って』との事。
 どのようにして行くのかと聞くと、「自分1人で福祉タクシー」を使うといっていたので、更に『玄関の鍵』『薬』『診察券と健康保険証』『財布』を用意して有るのかを尋ねると、財布以外は用意していなかったので、母は慌てて準備を開始。しかし、この時点では『出かける前に石油ストーブのタンクが空だから、灯油を入れて』と言うので、私は『母は未だ重篤ではない』のだと思っていた。

午前1時40分頃
 我が家の庭に住み着いている猫(4匹)に餌を与えた後に、寝巻きのまま玄関で灯油を入れていると、着替え終わった母は市から提供されている緊急通報機の『通話』(注)ボタンを押しています。 通報機のスピーカーから『職員を呼び出しております。暫くお待ち下さい』のアナウンスが5回ほど流れた後に、「○○サンどうなされましたか~」との職員からの呼びかけが帰ってきたので、母が「足が痛くてねむれない」「7日に診療の予約を入れた」「我慢できなければ2日に来るようにいわれている」「あと1日我慢が出来ないほど足が腫れている」と、ご丁寧な説明を開始。『何を悠長な事を』『その機械使ったらタクシーではなく救急車でしょう』と思っていながら、灯油が半分ほど入った石油タンクをストーブにセットし、やっと部屋が暖まり始めた頃に、通報機の先の職員が「通話」ではなく「緊急」のボタンを押すべき状況だと言う事に気付き、看護士にバトンタッチ。
(注)⇒日常の相談とか、眠れない時の話し相手を求める時のボタン

午前2時00分頃
 通報機の先に居る看護士が状況を把握して、救急車をコール。
 私は慌てて着替えを済ませ、戸締りと火の元のチェック。石油ストーブは最後に消そうと点けたまま。

午前2時10分頃
 救急車のサイレンが聞こえたので表通りまで出ると、既に隊員の1人が緊急用ケースを持ってこちらに走ってきたので、家まで案内。
 暫くすると、残りの職員も到着したので、石油ストーブを消して、再度の点検。
 玄関の鍵を閉めると、母は救急隊員に抱えられてストレッチャに載せられていた。

午前2時40分頃
 救急車の車内で隊員による母の状況把握及び搬送先[掛かりつけの病院]が決定したので、出発

午前3時00分頃
 病院に到着。隊員の案内で、私は荷物を持って救急受付窓口へ。
 診察券と健康保険証を係りに員に渡して、待合所で一人淋しく待つことに。このとき、今日出社予定の社員の中で会社の鍵を所持しているのは私だけであることに気付く[他の者は、地方に出張中か出張予定]。

午前4時40分頃
 救急センターの担当医(心臓内科)が待合所に来られて、先ずは発症の説明。
  どこか(勝手に抜いた歯?水虫?)からか「ばい菌」が侵入
    ↓ 
  抵抗力が落ちていた為に炎症(巡り巡って右足の腫れ)
    ↓
  人工弁に多少の悪影響(左足のむくみ)
    ↓
  心不全[狭心症]
 次に治療方法の説明
  抗生物質の投薬
  ※抗生物質は弱っている心臓にはダメージを与える
    ↓
  心臓への感染(特に人工弁)があるかどうかを検査する必要がある
    ↓
  心臓への負担が大きい場合には、投薬は中止する
    ↓
  栄養バランスが崩れていた為に腎臓の機能も低下している
    ↓
  だから、入院させます
 医師は、「もう帰っても構いませんよ」と言ったのですが、この病院は山林を切り開いて建てて居るので、最寄り駅まで徒歩40分程度[因みに、自宅までだと徒歩2時間]掛かるために、バスが走り始めるまでここに居る旨を返答。目の前のバス停に来る1番バスは6時47分。

午前5時15分頃
 付き添い者(私)が未だ居ると言う事で、病歴や緊急連絡先を書く用紙を救急センターの看護士が
持ってきて、「後ほど受取に行きますが、どうしても待てない時間になったら呼び出してください」と言い残して消える。

午前5時50分
 ダメモトで、会社の鍵を持つ出張予定の社員のところへ電話を入れようとすると、先程とは別の医師が私の名前を呼ぶ。その場で返答すると、電話を中断させてしまったと思ったのか恐縮しながら自己紹介。今回入院する救急病棟での主治医「循環器の荻」先生。
 先程受けた説明及び治療方針の繰り返し。

午前6時10分
 ソロソロ、待っている限界かな~と思っていると、先程の看護士が来て救急センター内で母と面会。渡された書類と一緒に私が持っていた荷物を看護士に渡して、待合所へ戻る。
 いい加減起きているだろうと思い、先程電話する心算だった社員の携帯へコールしたが、応答無し。約3分おきに6時40分頃までコールしたけれど、応答無し[この社員、会社には7時30分前後に出社してくるの]。

午前8時00分
 会社に到着。

チョット危なくなりました

2011-11-29 16:58:27 | 日記
前回から2週間も間が開いてしまいました

先ずは、この2週間で父のところへは行ったのは26日の1度だけ。15分間です

それよりも、自宅で日常生活を自力で行っている母の状態が・・・
先ず、以前書いたように歯がグラついていたので小食になっておりましたが、その後も別の歯がグラつくようになった為に小食が続きました。そして、それが今も続いております。
仏壇に上げるご飯の量とどちらが多いか判らないほどです[各家庭で、神棚や仏壇に上げるご飯の量はバラバラなので、参考にならない比較ですね]。

次に、軽度の狭心症が頻発しているのか、僅かな歩行でも苦しいと言う事が多くなり、リハビリを兼ねたスーパーへの買い物もしておりません。更に、施設との話し合いで父が病院へ行く時には家族(母)が付き添う事になっておりますが、施設までの徒歩20分が無理と言う事で、24日に行く筈だったのに父は病院へ行っておりません。

最後に、26日に母を連れて父のところへ行った訳ですが、帰宅後、母の両足には赤アザができており、それが痛む為に横になっている時間が増えてしまいました。
不運のスパイラルは続き、足の痛みは熱を伴っているので、どうしても水分を摂取してしまいます。これが原因で、心臓への圧迫と、足のむくみが増してしまい、更に起き上がれない状態となりました。

下手をすると、母の方が先になるかもしれません。

介護していません

2011-11-15 09:26:14 | 日記
本当は行きたくなかったけれど・・・土曜日に父の所へ行ってきました。
所要時間は約20分。

過日、母が歯を自力で抜いた事を書きましたが、他にもグラついている歯があり、その後も3食「おかゆ」生活を続けたせいなのか?朝起きるのが緩慢であり、時として「体が地震」と称して起きません。当人に聞くと、地震とは動悸や目眩を指すようです。
そんなことも有り、自宅を出たのが10時過ぎ。施設に着いたのが10:17でした。

特段、事務所等に用事は無いし、事務員も用事で私たちを呼び止めることが無かったので、そのまま2階へ。
2階に上がり、いつもの様に「さて、父は何処に」と話しながらロビーに向かうと、父に良く似た人がロビーを横切って、食堂から部屋へ向かっています。
以前、別の方だったことがありますが、取敢えず母と二人でその後を追いかけていき、トイレ前を過ぎたあたりで追いついてみると、父でした。

二人で父に声を掛けると「日向ぼっこをするんだ」との返事。
それではもう少し日当たりのいい場所へと言う事で、父が入っている部屋の1つ手前まで車椅子を押して移動。
父は「ああ~あたたかいな~」と言いながら、自分の部屋へ入ろうといたします。
2人部屋なので、今日はもう1人の方も部屋の中に居りましたが、父はそれが嫌なようでして「居やがる」と呟きながら先程の位置に戻ろうとするのですが、車椅子の車輪が上手く捌けず、隣部屋にバックで入ってしまいました。

どうにか自力で当初の位置[隣部屋の入り口横]に戻ったので、先週、父のところへこれなかった詫びと理由[親戚の七五三祝い]を私が言ったのですが、その時点で私が居ると言う事にはじめて気付いたようです。その上、先週来なかった事などどうでも良い様な感じでした。
大分、ボケが進みましたね。

この後、どの部屋の方かは知りませんが、女性入所者が近付いてきて「あら、いいわね~」と会話を始めるのですが・・・やはりトンチンカンな答えをしています。
 入所者「お近くなんですか?」
 母  「ええ、直ぐ近所なんです」
 入所者「だったら毎日でも来れるわよね」
 私  『(心の中で)余計なお世話!』
 入所者「私は北千住だから、ここに厄介払いされて、家族は滅多に来ないの」
  ※因みに北千住は東京都にある北千住であり、私が駅前のスーパーと書いている駅まで
   電車で来るのに、2経路ありますが、最も早い電車(快速特急)で40分程度掛かります。
   駅から施設の最寄のバス停までは凡そ15分程度
 私  「それでは、○○線で△△駅乗換えで、ここまで1時間位ですね」
 入所者「家ばかりで、施設(入所施設の事?)が無いのよ」
 父  「そうだよね。昔はここは森と畑で何もなかった」
 一同 『???』
 母  「おばあさんは、自分の住んでいた家の事を行っているの。この村の事を尋ねていないの。分かる?」
 私  『(心の中で)自分は「私には孫が居ないから、おばあさんじゃない」と言って、
     おばあさんと呼ばれると怒るくせに、他人はお婆さん呼ばわり?』
 入所者「それじゃ~ごゆっくりと」

女性入所者との会話も終わり、来たのも遅く、買い物も控えているので、帰ることに。
ロビーを過ぎてエレベーターの近くに来ると、先程の女性入所者が近付いてきて「あら、もう帰ってしまうの。もっといてあげなさいよ」と、私たちにとっては余計な一言。
母が「近所でちょくちょく会っていますから、長く居る必要はないの」と言って、サッサとトンズラ。

その後、いつものスーパーに行くと白菜が安売り(1玉99円)していたので、買いたそうなそぶり。
そこで、おとなしく待っているのであれば、荷物を2回か3回に分けて運ぶから、好きなだけ買えばと提案したら、3玉買った上に、トイレットペーパー12ロール入りも1つ購入。
母が他の物を購入している間に、私は自宅に戻って長めの荷縄を自転車のカゴに投入して、再びスーパーへ戻って、スーパー内の洗剤コーナーで母と合流。
レジ近くに置いて在る手ごろな段ボール箱に白菜3玉を詰め込み、トイレットペーパーと共に後ろの荷台に括り付け、残りの荷物は自転車の前カゴに何とか押し込んで、一旦帰宅。
荷物を降ろすと、再びスーパーに行き、母を乗せて無事帰宅いたしました。
時計を見ると11:30だったので、1時間30分程度の外出となりました。


壁の修理

2011-11-11 08:43:52 | 日記
予定していた火曜日は雨だったために第2回目の工事日が延びてしまい、昨日、壁の修理が終了いたしました。
でも、壁の修理に伴い、荷物を寝室に仮置きしたままなので、母は「埃っぽい荷物と一緒の部屋では寝たくない」と言って、わざわざ狭い部屋で寝ております。
明日、土曜日には何とか片付けてあげたい。

↓が震災後[3月20日ごろ]に撮影した物です。

≪南西部 その1≫ 壁の一部が崩壊



≪南西部 その1の部分拡大≫ 外からの光が差し込んでいる


≪南西部 その2≫ 根太との間に亀裂が走っている

介護しませんでした

2011-11-07 07:53:18 | 日記
先週は、文化の日を含めて3日間の休みがありましたが、1回も父の所へは行きませんでした。

先ずは、11月3日(木)
 土曜日に父の所へ行くつもりですから、元々、この日に父のところへ行こうなんて殊勝な気持ちは持っておりません。

1日置いて、11月5日(土)
 母がなかなか起きなくって、8時近くになってから朝食。
 すると、庭先から「お早う御座います」との声が聞こえてきたので、何事かと思い表を見ると、どこかで見たような男性が1人立っております。
 キョトンとしている私に「壁の工事に来ました」。ハイ、3月11日の震災で一部崩れた壁を、やっと直しに来てくれたのです。それも、事前連絡無しに突然[1ヶ月ほど前に見積書は貰っております]。
 4名の方が分担して17時まで工事してくれましたが、それでも1/2弱程度しか工事は進まず、残りは火曜日に工事を予定。
 家を留守にする訳にもいかず、結局、父のところへはいけませんでした。

明けて、11月6日(日)
 昨夜から降り続く雨のせいもありますが、今日は親戚から七五三祝いに呼ばれておりますので、父のところへは行けませんでした。
 しかし親戚とは言え、町会の人間だけでも30名近くを呼ぶというのも大変ですよね~。それにしても、主賓である子供[長女6歳、長男5歳]がお色直しをしたり、最近話題になった「碁盤から飛び降りる」(注)の真似事をしたりと、会場で行うと賑やかですね。思い起こせばウン10年前、そのころは仕出し屋に頼んで自宅で行うことが未だ当たり前であり、私の七五三祝い(7歳)も自宅で行いましたが、30名は超えていなかった様な気がいたしますし、お色直しなんてありません。

(注)
 会場で係りの方が初めて公開された儀式みたいな事を言っておりましたが、50年程前にも現在の皇太子や秋篠宮が5歳の時に行っておりますし、少なくとも私は斯様な儀式があることは知っておりました。ただ、やんごとなき方々が行う儀式なので、下々は真似るのを控えたいただけの筈です。
 変な例えですが「鵜の真似をするカラス」ですね。

介護していません

2011-11-04 12:57:33 | 日記
書くのが遅くなってしまいましたが、先週も土曜日に父のところへ行って来ました。

先週は月曜日から寝不足が続いた為か、土曜日は朝食後の食休みで10時まで爆睡。
母に『何で起こしてくれなかったの』と言うと、「疲れているようだし、良く眠っていたから起こさなかったの。ソロソロ起こそうと思ったのよ」との返事。
慌てて出かける支度を始めて、施設に着いたのが10:20頃

施設の2階に上がり、ロビー近くまで行くと、女性職員の方が「お父さんは日向ぼっこしていますよ」と、親切に教えてくれたので、ロビーを左に曲がると、トイレの少し先に父がいました。
いつもの様に取り留めのない話を5分程度して、父には「ソロソロ帰るよ」と言っている最中に、先程とは別の女性職員の方が私たちの為に椅子を2脚持ってきてくれたので、行為を無にしては何なので、とりあえずは座る事に。

父も私たちも特に話す話題もないので、3人で黙って日向ぼっこをすることとなってしまいました。
半分寝惚けた状態の私は、舟を漕ぎ出してハッとし手目を覚ましたので、ここらが潮時と思い、私が父に「買い物があるから、もう帰るよ。散歩でも行くのならば、一緒に行こう」と話しかけると、「未だ寒いから、温かくなるまでは外には出ない。もう少しここに居ろよ」との返事。

今は11月だから温かくなるのには半年も掛かるというと、怪訝そうな顔をしました。
これまでにも書きましたが、父の言動は季節を無視しております。どうも父にとっては、常に今は「春先」「田植え前」のように感じます。

施設を後にしたのが10:45頃なので、私のうたた寝を含めて、なんやかんやで25分も居たのですね。

その後、いつものスーパーへ移動する際に警官に二人乗りを注意されたので、母を荷台に乗せたまま私が降りて自転車を押そうとしたら、再び注意を受けたのですが・・・母が足の悪いことを話すと、ぶつくさ呟いて、解放してくれました。

一方、母は

2011-10-25 08:18:23 | 日記
ここ1週間、変な料理は出ていません。[味付けの点は置いといて]
配膳前に、丹念に布巾で拭いてくれております。

しかしながら、ふらつきが生じるせいか?動作が鈍くなっております。
また、体を屈めると心臓が圧迫される為なのか「苦しい」と言っており、部屋の掃除は専ら私が朝か夜に行うことになりました。

あと、奥歯がぐらついているのと、その為に入れ歯が合わなくなった事から、食事量が減りました[心臓病患者が飲む薬の関係で、歯科医に行っても簡単には抜歯してくれません]。
そこで昨日、帰りしなに『お茶漬け』と『蒸しパン』を買って帰ったのですが・・・歯がグラついて食べられないからそれらを買ってきた事を行ったら、「グラついていた歯を(自分で)抜いたから大丈夫」との事。

出血が止まらなかったらどうする心算だったの!まったくもお~。

介護していません

2011-10-24 11:14:04 | 日記
いつもの如く、土曜日に父の所へ行ってきました。
今回は15分弱[施設滞在時間数]でした。

21日(金)
諸般の事情で、どうしても当人が当日に持ち帰る資料がある為に、南東北地区の日帰り営業に出ていた社員が戻ってくるのを待っていたら、会社を閉めたのが20:30頃。
家に着いたのが22:30頃だったので、毎週金曜日に楽しみにしている22:00から始まる「にっぽんの芸能」の第一部『花鳥風月堂』を見る事ができませんでした(月曜日5:00に再放送があることも忘れて、見ておりません)。
帰宅途中に降り始めた雨に強くなってきたので、土曜日は父のところへ行けないかも知れないと思いながら、就寝。

22日(土)
平日よりは少し遅めの5時に目を覚ますと、昨夜よりも強い風雨。
天気予報を見ると降水確率70%と言う事なので、それを信じていたら、8時ごろには一旦雨風が収まったので、父の所へ行く事に決定。
2週間前に施設から渡された介護計画書に記名押印をした物を封筒に入れて、9:15に家を出たのに・・・そんなにゆっくりと走った覚えはないのに、何故か施設に着いたのは9:30。
1階奥にある事務室の窓を叩いて介護計画書を手渡した後、エレベーターで2階へ。
母が珍しく「食堂を見てきて」というので、見に行くと、父が座っておりました。
母には手招きで食堂に居る事を伝え、父には『何していたの?』と問いかけると、「テレビをみていた」との返答。
食堂に設置されている大型画面によるテレビは見難いから、2階ロビーのテレビを見るようになったはずなのに?と思い、『ここからだと見難いでしょう』と話しながら、目の位置が父と同じ高さになるように膝を屈めてみると、多少は画面が見やすくなりましたが、やはり人物などが光ってしまい、顔の区別や背景が良く判りません。
そのうち、母も父の所へ到着し、やはり同じような事を遣り取りを行い、父は「向うだと、好きなテレビ(番組)が選べないから、食堂のテレビを見ている」との返事。
食堂にしてもロビーにしてもリモコンは特定の入所者が独占しているので、当人がチャンネルを変える事が出来ないと言う点では同じ。なのに、今日は見え難い食堂のテレビの方が良いと言うのは何かあったのかもしれません。

母が「何も用がなければ帰るよ」と言うと、父は「用はないけれど、テレビでも見ていろ」と言って、珍しく私たちを引き止めました。淋しいのだと思いますが、雨が降ってきたら困るのと、私が1週間ほど風邪を引いているので、「また雨が降ってくると困るし、これから買い物をしないと食べる物がないから帰るよ」と母が言うと、渋々了承したので、施設を後にしました。

いつものスーパーへ行く途中に、久しぶりに警邏中の警察官に自転車の二人乗りを咎められてしまいました。

介護しませんでした

2011-10-17 15:57:06 | 日記
今回は、土曜日にも日曜日にも、私たちは父の所へ行きませんでした。

ハイ。介護の真似事の放棄です。

これは言い訳になりますが、断続的な雨と向かい風の中、母を自転車の荷台に座らせて、私が押していくのは無理と判断したからです。
何故無理なのか?雨の時には外出しない理由は以前に書きましたので省きますが、扇風機の風(風量を弱)に当たっても息ができないと言って、ウチワを使っている母は、風除けである私がサドルに座っていないと、あの風の中では呼吸がままならないからです。

1回サボると、父の所へ行くのが億劫に感じます。
でも、2週続けて顔を出さないと言うのはダメですよね~

前回の続きです

2011-10-14 12:41:57 | 日記
2階へ行こうとしている所を呼び止められ、ロビーの端にあるテーブルに案内されている間、私は『若しかして、自動引き落とし口座の残高が、また不足したのかな~』と勘繰っておりました。しかし、話の内容はそれではなく、父の介護計画書[介護方針]の確認でした。
本人が機能回復を願っていない(痛いのはイヤだからリハビリを拒絶)ので、職員の説明は右から左へ抜けておりました。本人及び同居者の記名・押印が必要な書類ですので、記名・押印の場所を改めて確認し、一旦預って、次回の来所の際に事務局へ渡すと言う事に致しました。

予定外の説明が終わって2階へ。
エレベーターを降りて、『さて、今日も部屋を先に見てこないと』と思いながらロビーに向かうと、珍しく父がロビー前に設置されているテレビを見て居りました。
過去に何度かテレビについて父と話したことが有りますが・・・食堂の大型液晶テレビは父が座っている位置の斜め前に有りますが、証明の関係か?画面が見える位置だと思われるのに見えません。そこで、楽しみが無いといって部屋で寝ている父に「ロビー前にあるテレビだったら画面が見えるから、見に行けば?」と話しても、興味を示さなかったのに・・・本当に珍しい事です。

他の入所者の方もそのテレビを見ているので、部屋で話す時よりも小声でいつもの簡単な会話を交わしましたが、テレビを見ているほうが楽しいのか、今日は私たちの顔を余り見ようと致しません。
出掛けに母にあんな事があったので、母を立たせたままで居る事も良くないと思い、今回も早々に帰ることに致しました。


介護していません

2011-10-13 12:13:09 | 日記
大抵は勤務中にこのブログを書いているので・・・仕事が立て込んでくると書くのが遅くなってしまいます。

さて、いつもの様に土曜日に父の所へ行ってきました。
施設に居た時間は25分程度。
先に今回の総括を書いてしまいますが、『今回は無事に2人で行けて良かった。』

当日、私は3連休の初日で体がダレて居たのか?風邪を引いたようで、右半身(肩からわき腹にかけて)に痛みを感じて7時まで起き上がれませんでした。
どうにか朝食を済ませ、洗濯も母と二人で分担して終らせてのが9時頃。
背中を向けていた私に「さて、お父さんの所に行こうか」と母が声を聞こえて来たので、振り返ると、母が私に向かって倒れこんできました。
どうにか支え、仰向けに寝かせた後に母に声を掛けたのですが、深呼吸をしているだけ返事がありません。
とっさに浮かんだのが『脳梗塞 or 脳溢血』『狭心症』『死亡フラッグが立った』(←本気です)の3つ。
『脳梗塞 or 脳溢血』を発症した者に対しては、揺すってはダメと言う程度の知識は有ったので、耳元で『聞こえている?』『どうしたの?』『緊急通報ボタンを押すよ!』と声掛けをしてところ、「少しこのままで居れば大丈夫」との返事がやっと返ってきました。時間にすれば2分程度なのでしょうが、返事が返ってくるまでの時間は長かったですね。後で聞いたら、「最近、急にフラ~てなるから怖くて散歩が出来ない」と言っていましたので、どうも軽度の狭心症になっている感じです。
母の状態が落ち着き、当人も出かけると言っているので、改めて父のところへ向かう為に家を出たのが9時30分頃。

前回、パンクを修理したので自転車はとても快適で、途中で呼び止める町会の人も居なかった為、凡そ3分で到達。
2階へ上がる為にエレベーターへ向かおうとすると、見慣れない女性職員が私達を呼び止めました。


***とりあえず、ここまでで一旦終わりにして、続きは日を改めて書きます***