笑いは、「緊張の緩和」というのは、亡き枝雀師匠の言説。
それは、「ボケ」=「緊張」、「ツッコミ」=「緩和」にも当てはまるかなぁと思う(私見だけど)。
「ボケ」が、変:均衡を崩す、規定値を逸脱する
そして、観ている人が、???と感じたところで(緊張状態)で
「ツッコミ」が、それがどういうことなのかを告知=定位置を与える。
つまり、緊張が解け(溶け・説け)て、再安定状態に復する(ホッとする)。
「ボ . . . Read more
インターネットが日常になって、久しい。
勿論、それは、個人的には既に仕事をする年齢になってからなのだけど
それまではなかった、外部との関わり合い方だと思う。
つまり、直接、接する人との関係と、メディア(テレビ、本、新聞・・・)
の中間の位置、
そして、名無しでも発信できる、という今までにない(ないことはなかったが一般的ではなかった)
コミュニケーション手段として。
ある意味、無責任でも有りうる発 . . . Read more
「決めたい」「決まって欲しい」が、大躍進する選挙が始まった。
私が「決めます」という顔のポスターを見かけるようになった。
駅前のビラ配りには、遭遇したが、
街宣カーによる候補者名の連呼はまだ聞かない。
準備が間に合わなかったのかも知れない。あるいは、逆効果だと気付いたのかも知れない。
(以前と比べて少ないだけで、全くない訳ではないようだ)
さて
予想する今回の衆議院選挙の結果は、自民党の圧勝だ . . . Read more
テレビ大好き人間であるので、休日で家にいるとほぼ一日中テレビが点いている状態である。
悲しいかな・・・、文化的貧困。
でも、最近は、YouTubeが侵食して来た感じ。
かなり、嗜好の偏りが激しいので、見たい番組がやっていなかったりすることが多い。
録画もいつでも観れると思うと、観なくて、結局、観ないまま消えて逝ってしまったりする。
バラエティ番組と、科学番組が、多い。
あと、MLBで大谷翔平。 . . . Read more
「決め・分け」論の投稿が少し空いたが、書きたいことは山ほどある。次に、書こうと思っているのは、「お笑いと「決め・分け」論」、思い入れが強くて、あれもこれもと思い始めると、どう書こうかと(つまり、柄にもなく、「決めて」やろうと思ってしまう訳で空回りしてしまうという愚かさである)迷う間に、空いてしまったという訳。なので、まとめずに、思いつくまま、書き始めます。
「お笑い」というと、テレビです。(最近 . . . Read more
同じ対象に対して、人はそれぞれ違う考え方をする。
何故、違う考え方をするんだろうなという疑問が、ずっとあった。
ある人は、「それは奴らがバカなんだ」(理解力という能力の優劣)とか、
あるいは「私には理解できない」と投げたり(理解の拒絶、あるいは先延ばし)する。
この違いの、解釈として、「性格」という分類があると思う。
ユングのタイプ論というのをご存知だろうか?
ユングといえば、河合隼雄先生だ . . . Read more
さんざん、受けて来た教育の愚痴を書いたが(⑨⑩)
じゃあ、自分がとはならず、だからこそ偏った自分には、向かないと言うか、
理想化して、自分がなってはいけないというのが、教師という職業だと思う。
じゃあ、「分かりたい」派のゴリゴリの小生に
何んの仕事が向いているのか?
なのだけど、やはり本質的には「研究者」だろうなと思う。
で、研究者を目指したかというとさにあらず、大学に残るという選択肢はなかった . . . Read more
学校教育について、「決めたい」「分かりたい」を考えてみたけれども、
本来、教育は、「分かりたい」ものであって、
「決めたい」が出てくるのは、教育で得た知識や、培った判断能力を、
実生活で活かすことでの局面になるのだと思うけれども・・・
「受験競争」が、教育を歪めている、
つまり、「決める」ことの比重が、教育において高まっているのは、否めないかと思う。
様々な事象・問題・課題に「何故」そんなことが . . . Read more
子育ての次は、学校教育の「決め・分け」について書きたい。
自分の経験から、書くので、そんなことないよ!と思われるかも知れないが、ご容赦願いたい。
そもそもが、全部、そんな感じなので、ここまで、読んでくれた奇特な方がいるなら
とおに、ご察し(独断と偏見ばかりであること)のこととは思うが・・・(寛い気持ちで読んで欲しい)
学校教育は、「決まり」で始まる。
「学び」は「真似び」であり、とにかく「理由 . . . Read more
実は、小生、父親歴20数年の初老である。
最近は、人物の写真は滅多に撮らないが(というか皆無に近い)
子供が、小さい頃は、「撮り過ぎ」と言われる程、多くの枚数を撮っていた。
初期は、フィルムカメラで、暫くして、デジタルになったので
撮り易くなった(敷居が下がった)。
幼児期の子供の写真を今、見ると、単純に「幸せ」だったな・・・と思ってしまう。
今の、彼ら(娘・息子)と比べると、そこに写っている . . . Read more
この「決め・分け」論をここに書き始めた動機。
小生(一人称代名詞で迷うが今回は「小生」で行きます)、
mixiというSNSで、日記のような駄文をたまに書いていた。
「決め・分け」的な二分法で考えるようになったのは、去年からなんだけど
どんどん、自分の中で有効になった来た。
自分の周りや、世の中で起こったことを(理由を)考えるとき(つまり「分かりたい」と思うとき)
かなり、すんなり、理解できるよう . . . Read more
論より証拠?・・・「決め・分け」論④の続き
「分かりたい」の困った人について、もう少し深堀りしたい。
勿論、「分かりたい」は、普通の欲求なので、あって当たり前の気持ち。
どうしてそう決まったか、分からないで、決まりだから、決まったからと
従うのは、普通、気持ちが悪い。
ちゃんと、「理解」して、「決断」したいというのが、真っ当だと思う。
ところが、「分かりたい」が、過ぎる人は、
「分かり」切るま . . . Read more
ひとつの事柄の判断が人によって分かれる
あるいは、二分するようなことは、「分かりたい」「理解」したい人間にとっては
好餌であるといえる。そこから、違いを見つけ出し、「分かった」瞬間の喜びは余りある瞬間である。
「決めたい」人にとって、自分の考えと違う考え方は、
「理解できない」、ものが見えないバカ、世の中には馬鹿多いと
切り捨ての対象になる。
なので、この考察も、その類なので、ここから先は、お引 . . . Read more
「決め・分け論」、←「論」なんて付けているが、
「論」といえる程、素晴らしい着想という訳でも、体系化できている訳でもない。
ただ、これと名付けた方が、通りがいいというか、
一連のテーマで書いているものということを言いたいというか・・・
他の言い方では、「決め・分け説」というのもなんか違う気がする。
「決め・分け分類」というのが、一番近い気がするが、なんかくどい(?)
(説くは、解くに通じるので、魅 . . . Read more
もし、あなたが、あなたの振舞いを見た人から、次のように言われたらどうだろう。
「違うなぁ」
あなたは、あっ、ディスられている。
「間違い」「誤り」「ミス」を連想するだろうか。
それとも、
あっ、評価されている。
「特徴」「特色」「個性」と捉えるだろうか。
言うまでもなく、前者なら、「決めたい」派
後者なら、「分かりたい」派 の傾向があると思う。
「それ、違っているなぁ」と
「さすが、違う . . . Read more